<目的>
主に日本で栽培されている果物、トマトを構造的な観点を含め、様々なスケールで分野横断的に調査し、それに基づいて栄養学としての果樹の価値を再定義する事を目指す。
<背景>
日本は島国であり、中高生の人は地理で習ったと思うけど、中緯度の温暖湿潤気候です。降水量が平均的に高い事が特徴です。素晴らしい四季(春夏秋冬)があり、特に年配の情緒ある女性などは、そうした四季の移り変わりを慎ましくも楽しみながら毎年過ごされているかと思います。かくいう私も、完全に自立して自分の食事のメニューを主に生鮮食品を中心に栄養バランスを考えて組み立てるようになり、よりこうした日本の四季という自然の素晴らしさを感じています。読者は四季をどういうときに感じるでしょうか?絶対的な気温、湿度もそうですが、四季は人間の場合は服装から得られることもありますが、動物からはあまり感覚として四季が入ってきません。むしろ、植物の四季の移り変わりによって、「あ~、秋がきたな」と感じるようになります。例えば、秋が本格化してくると金木犀の独特の香りがします。深まってくると山々が赤や黄に色づきます。動物でも魚に関しては旬があります。秋刀魚などはそうです。一方で、家畜、すなわち牛、豚、鶏は一年中安定して得られる貴重な食材ですが、一般的には旬はありません。スーパーマーケットで日常的に食材を買っていると一番、季節によって変化して移り変わるのは果物ではないでしょうか?今なら、スイカ、ぶどう、すもも、ももなどが旬の果物です。夏が過ぎると私が大好きな梨の季節になります。この記事では主に栄養学の観点で果樹学を新たに最定義することを目指しますが、より調査、勉強、考察を通じて果樹学を知ることは、私自身、あるいは読者がより日本の四季を愛する事ができるようになります。より果物の事が詳しくなると、旬の果物が出てくるときの感慨も変わってくるでしょう。このように考えると果物は決して、身体としての健康に貢献するのではなく、日本の自然を愛する事、日本に住んでよかったなと思える尊厳にも関わりうることです。言い換えると、ずっと一定の温度で季節が変わらないよりも、春夏秋冬、毎年順番が変わることなく循環として繰り返していく中でその変化をかみしめ、楽しんでいくことができる体の健康とは一定、独立した幸福感にも関与するという事です。これは日本だからこそ味わえることです。前述した様に植物は日本の四季に動物よりも敏感に適応してきました。だからこそ、その季節にしか果実をつけない旬が存在します。従って、植物の果樹学としての植物生理学の背景には必ず日本の四季、自然条件が関係しているという事です。夏に、夏が旬のブドウを食べる。人がそうした食生活を送ることは日本人として意味があるし、夏を健康に乗り切る一つの物質的な支えにもなります。
2025年7月4日金曜日
栄養学としての果樹学
登録:
コメントの投稿 (Atom)

0 コメント:
コメントを投稿