2025年12月3日水曜日 0 コメント

2020年1月23日に学生さんに向けて、駒田の部屋で書いた内容です。2015年から2021年にかけて日本で主に高校生の学生さんに向けて毎日伴走する形で内容を変えて、書いていた内容を今の私が見返して思う事。「内容についてちゃんと精査してくれた日本人は果たして一人でもいるのかな?」と思う部分がある。「学生さんに対する無償の、すなわち一切見返りを求めない愛」この一言で済まされた部分があるのではないか?あまりにも内容が多すぎて、一つ一つの内容はおおよそ無視されたのでは?。私のパソコンに電子データとして残る文章は2017年からしかもはやないけど、見返してみて思う事。もっと膨らませて内容を充実する余地は十分にあるけど、毎日、手を変え、品を変え、受験生と伴走した価値は「愛」という一言で済まされないのでは?と思います。どこかで1年でも今の私の表現力、知識でもって、もう一度「駒田の部屋」を復活させてもいいのかも。当然、学生さんに対して無料で。その代わり、コメント、賞賛、誹謗中傷などを一切排除して、芸能人(365日の紙飛行機みたいな浮かれが感じはなく)、政治家(安倍晋三さんから独立して)などの干渉を許さず、真摯に取り組む。受け取る学生も真剣でなければならない。2015年に私が学生さんに出した価値、フレームワークをもう一度、再検証する意味で。例えば、2020年1月23日に学生さんに向けて書いた記事は今の私の知識でもって書き直すと、おおよそ下の連続的な文章のような感じになる。同じテーマでも全く異なる書き方になりますね。私として、自分が過去やったことを、自賛することは日本人として恥ずかしいことではあるけれども、例えば、イチローさんの小さい頃からの結果ではないプロセスは誰も検証しようとはしません。駒田の部屋のプロセスを私自身が検証する事は、私個人の問題だけではなく、亡くなられた安倍晋三さん、石破茂さんも含めて日本の問題に関わることだと思います。医療の部屋だけではなく、駒田の部屋もとても私にとっては大切な歴史です。

「生きづらさ」について一緒に考えましょう


受験生のみなさん、学生さん、こんばんは。

「生きづらさ」という言葉を世間で耳にしたことはあるでしょうか?
最近、時折、そういった情報が入ることがあります。
この「生きづらさ」という事が、
社会で一つの概念として流布することは、
私は、良いことだと考えています。
その理由は、
生きづらさの正体を考える上で、
先入観、固定観念を見直すきっかけになるからです。
例えば、
「学校がどうしても合わない人は、行く必要があるのか?」とか、
「なぜ私たちは、生活するうえで
お金に縛られないといけないのか?」とか
「もっといろんな働き方があるのではないか?」とか
「大学の通い方ももっと多様であるべきではないか?」とか
そういうことを考える出発点となったりします。
そういう言葉が出てくること自体、
社会がより包容力を持ったともいえると思います。

皆さんの中で、この「生きづらさ」を感じている人はいると思います。
その中で、
特に深刻な悩みとしてそれを捉えている時間が一定割合ある人は、
おそらく、
日常、多くの時間を占める取り組みにおいて、
「自分と合わない」と感じているのではないかと推察します。
学生さんの場合であれば、
学校というのが、そうかもしれません。
もしくは、家庭という人もいるかもしれません。

その「自分との不整合」を感じていることが、
1日のうち1時間や2時間であれば、さほど問題にはなりませんが、
7時間や8時間くらいになると、
自分の中で放置するわけにはいかなくなります。
つまり、向き合う必要性が出てきます。

例えば、
学校でその様に感じているけど、
違う道に行く決断ができない人もいると思います。
では、合わないと感じている学校生活を
根本では合わないと思いながらも続けていくためには、
どのような考え方が重要になるでしょうか。
1つ、大切な事は、
その感覚を「助長」させないということです。
つまり、
「嫌悪感を強めるような行動の選択肢をできるだけ取らない」
ということです。
辛いなと感じているときに、
知らず知らずのうちに自分を追い込んでいることがあります。
そのケースにおいては、
いくつかの行動の選択肢があった時に、
客観的に見た時に、
よりしんどい方を取っている可能性があります。
では、
なぜ、そのようなことになってしまうか?
です。
こうしたほうがいいと感覚的にはわかっていても
素直になれない自分がいる理由です。
1つは、
「プライドが邪魔するから」
というのがあるかもしれません。
もう1つは、
「根本で消極的な事に対して、
自分が頑張っていることに嫌悪感、違和感がある」
というのもあるかもしれません。
他にも説明しきれないところがあると思います。

このように論理的に言われると、
心に響かない人もいると思います。
色んな人に聞いてもらって、
日にち薬もあって、
時には涙したり、うなだれたり、、、、
ということを繰り返しながら、進んでいくこともあると思います。
それくらい難しい問題だとは思います。
人の心の問題ですから。

でも、よく考えてみてください。
もしあなたが自分を追い込んで余計に辛い思いをしても、
周りの人は、それほど辛くないかもしれません。
家族ですら、わかってもらえないかもしれません。
そういう時って自分の気持ちをうまく説明できないものです。
そうすると、
「一番つらいのは自分自身」
ということに気づきます。
もし、そこに気づくことができたら、
ちょっと日が射してくる部分があります。
今、行動として選択できることが3つあるとしたら、
「3つのうち、一番良いものを取ろう。」
と考えられるかもしれません。
一番上が負担なら、二番目を選択できるかもしれません。
例えば、
学校の人間関係に悩みがあるとします。
その中で、授業中はいいけど、休み時間、昼休み
学級活動が苦痛だとします。
その時に、教室内にいることは、
周りの目もあり、しんどさがあります。
そういう時には、逃げるようで嫌かもしれませんが、
図書室に行って、本を読む、
可能なら先生に言ってスマホを見てもいいと思います。

そうしたところで、
上の例でいうと、
学校生活への疑問が解消されるわけではありません。
でも、学校ならいつかは卒業します。
つまり、環境は変わります。
その有限の時間内、より楽に過ごせるなら、
それに越したことはありません。

本当は、もしそういう経験をしている人がいるなら
話を聞いてあげたいですけどね。
そういう機会があれば、距離感はどうしてもありますが、
聞くことはできると思います。

今日は、以上です。

受験生のみなさん、学生さん、
今日も勉強ご苦労様でした。
明日も、良い1日を過ごそうね。

今日は、英語、漢字はお休みです。


「生きづらさ」について一緒に考えましょう

 受験生のみなさん、学生さん、こんにちは。今日(2025/12/03)の岡山は寒いです。地球温暖化といっても、ユーラシアの高緯度の偏西風の蛇行によって、その寒い風、寒気団が南に触れると、日本も寒くなるんだよね。だから、周期的にすごい寒い日がある。今日はその日かな。

 表題の「生きづらさ」。最近、メディア、書籍でその言葉を耳に、目にする機会は減ったかな。でも、原理的に「生きづらい」というのは、今の科学全般を勉強し、理解してきた私にとって、「当然だよね」「当たり前」というのがあります。従って、学生さんが、あなたが、「生きづらい」と感じるのはある種、当たり前であって、それについて、心底、深く悩む必要はない。それに対して、コンプレックス、すなわち劣等(人よりも劣っている)と感じる必要はないということです。私も「生きづらい」と感じています。では、なぜ「生きづらい」と感じることがおおよそ多くの学問を勉強し、理解してきた結論として当たり前と感じると思いますか?人の心身、すなわち、皆さんの頭脳、身体は「今の」生活に適した形になっていません。ヒト属は数百万年前に低緯度のアフリカで発生したと考えられていますが、元々は木の上で生活をし、気候変動によってサバンナ化し、今のように二足歩行で歩くようになって、その後、長い時間をかけて、人は環境に適応してきました。その環境に適応するためには、少なくとも親から子、その世代を、数十世代ではなく、数百、数千と重ねる必要があり、その為に絶対的に「時間」が必要です。高校生のみなさんの多くはスマートフォンを持っていると思いますが、スマートフォンが発明されてからせいぜい20年程度です。生殖という世代でいうと、20歳で子供を産む人は少ない事から、1世代にも及びません。現代は、すごく変化が速くて、それに人として、もっというと皆さんを形作る細胞一つ一つとして、遺伝子的に適応するには時間が圧倒的に足りません。そうした中で、現代の変化が非常に早い世の中に適応できず「生きづらい」と感じるのは当然のことです。それよりも時間スパンの長い、長い時間をかけて構築されてきた座学を中心とする教育、皆さんにとれば、学校も同じです。学校は旧態依然で変わらないといわれますが、そのように変わらないと言われている領域においても、人の進化、適応の過程をみれば、過渡的で変化が大きいといえます。人は、座って勉強するのに適した形になっていません。
 こうした「生きづらさ」を感じているのは、学生であるみなさんだけではありません。大人もそうです。ひょっとするとみなさんが立派と思える偉大な人もそうかもしれません。この「生きづらさ」は今の私の観点からは、現代に課された人類の共通課題といえます。おおげさでしょうか?いや、そうではないと考えます。日本には「和」という言葉があって、互いに性質の異なるものをうまく馴染ませることを意味します。調和、あるいは折り合いをつけるともいいます。生きていく中で窮屈に感じる部分もあるけど、なんとかうまくやっていくしかないね。といった割り切りみたいなものも当てはまるかもしれません。こうしたある種、抽象的、一歩引いた、視野の広い考え方は、みなさんのような高校生には一般的には難しい事です。みなさんが成長して、私のような40代、あるいはもっと高齢になって身につくことです。それはある種、大人、成熟と呼べるかもしれません。
 「なんか生きづらいな」「世の中が閉鎖的に思えるな」「窮屈だな」と感じる事が、ごく自然なんだと思えた時点で、開ける視野があると思います。少なからず、みんなが抱える問題であるという認識がみなさんをこの「生きづらい」と悩む問題の解決のための勇気になります。あなた、一人だけの問題では決してないからです。あなた一人が背負う問題ではありません。みなさんに教育する私一人が抱える問題でもありません。ヒト属が、現代文明を脳の進化でもって構築したジレンマ、運命なのです。それほどあなたが「生きづらい」と感じる事は現代において「根幹」となるものなのです。
 この記事の表題は「生きづらさ」について一緒に考えましょうです。生きづらい事がみんなの課題であれば、その生きづらさとどう現代社会が向き合っていくかは、あなた個人の問題では決してありません、日本、世界、みんなが問題意識をもって考えるべきことです。人が進化して、定住して、格差が生まれて、時には争い、一方で豊かになり、そうした過程を経て、結果としてジレンマとして生じた生きづらさと現代社会はこれからの軌跡においてどう向き合いますか?ということです。
 私が科学、社会、政治(の一部)を一通り勉強してきた中で、思う事として、そうした「生きづらさ」を解決する一つの重要な糸口は「真の意味での心身の健康の実現」にあると思っています。今、高校生のみなさんは、座学という勉強に縛られ、一方で、勉強を好まない人もスマートフォンの求心力に飲み込まれています。電車で周り見渡せば、スマートフォンの画面を見る人で溢れています。家でもテレビ、パソコンのメディアを見るでしょう。それは、大人も同じです。それはおおよそ、心身において健康的な生活とはいえません。通学でも少し距離があれば、便利な自転車を使うでしょう。私があなた方学生さんに真心を込めて提案できる事として、生きづらさを解決するためには、本当の意味での心身の健康を手に入れることが大切で、その為には、「運動機会を大切にしてほしい」ということがあります。その運動とは、歩くこと、走ることです。一番は、歩くことです。是非、通学を徒歩にしてほしい。余計なお世話かな。東京大学の名誉教授である養老先生は、東京大学の名誉教授ですから、勉強を大切にするあなたにとったら最も成功された方の一人です。その養老先生は、戦後、食事も含めて環境が整わない中で小学校に上がる前までは健康状態に問題があったそうです。度々、病気をされました。しかし、小学校になって、1時間、登下校で歩く必要性があったと言われています。その合計2時間、毎日歩くことで、病気をすることがなくなったと言われています。私が養老先生から教育を受けた最も大切な内容です。歩くという事は皆さんの心身の健康状態を基礎から上げてくれます。みなさんが抱える「生きづさら」の感度、すなわち、生きづらいなと感じるのは、心身の健康状態が悪いとより深刻に、ひどく感じることになります。逆にいえば、心身の健康状態がよけけば、「生きづらい」世の中においても、そんなことは気にしないで爽快に生きていくことができます。生きる時点で、何らかのジレンマを生物は抱えます。それは人だけではありません。他の動物でも同様です。例えば、最近、問題になる熊も、人の怯えて生活しているはずです。そうしたジレンマが暴走しないように、みなさんの心の空間、空白の中でコントロールできるようにするためには、基礎として、ベースとして心身の健康状態を上げることが大切です。そのためには、運動と栄養。とりわけ、運動が大切です。その運動は、一番は、歩くことです。自転車の選択を辞めて、登下校で歩くことです。
 意外ですね。「生きづらさ」。その解決の糸口は、みなさんが「歩く」ことにあります。

数学と芸術の糸(2021年1月1日)

学生さん、明けましておめでとうございます。

以前、ある方が言われていたのですが、
大学で数学の研究をされる方は一番頭を使われるようです。
例えば、同じ物理の研究の場合は
ある程度、自然現象を見て
そのうえで考える部分があります。
自然現象を純粋に観察するという部分が
やや自然受け身的な部分があります。
物理を専攻する人は
自分の頭の中で考えたことに対して
自然現象において違った結果がもたらされたときには
自然現象を優先します。
「私たちは自然の摂理に素直であるべき。」
といった考えがあります。
しかし、
数学は頭の中で世界を組み立てるので
そこにまるで宇宙、世界があるかのように
自分の世界に閉じこもって考える部分があるようです。
もちろん普遍的なルールはあると思います。
しかし、自然科学とはかけ離れた部分も持ち合わせています。
その様な部分は
ある種、芸術あるいはフィクションの小説に近い部分を感じます。

例えば、絵画を描くときには
通常は手書きの場合には2次元の版の上に
自分の頭の中で描いた世界を書き込んでいきます。
その「表現上での」世界は2次元です。
それが3次元になると彫刻になるし、
今ではコンピューターによって3次元の絵を描くことも可能です。
それが4次元になると動画になりますが、
通常は絵で連続的な時間変化を表現する事は稀です。
このような
2次元、3次元、4次元、、、、
といった拡張性はいわば基礎的な数学です。
空間に絵画を描きますが、
その空間はおおよそ幾何数学で示すことができます。
数学者の方が頭の中で描く空間はいろいろあります。
例えば、物理現象から言うと
重力によって曲げられた空間などもあります。
あるいは5次元、6次元、n次元など
次元を一般化した空間も定義されます。
あるいは滑らかか、そうではないか?
そういった境界も考えます。
そのような数学者が考える幾何的な世界というのは
芸術の世界で投影できる可能性があります。
先ほどは絵としましたけど、
それを音の世界で表現できるかもしれないし、
あるいはフィクション小説の世界で示せるかもしれません。

芸術大学に通う学生さんは
大学で学ぶ高等数学を勉強しないと思いますが、
自分の芸術性、あるいは視野を広げる上では
学問として数学を選択するのは面白いのではないかと思います。
両者とも頭の中で世界を展開する部分があるので
その点においてつながりを見出せる可能性があります。

以上。

今日も、お互い良い1日を過ごしましょう。

------
逆算して今すべきことを考える

受験生のみなさん、学生さん、明けましておめでとうございます。

2021年の初日、どんな朝を迎えていますか?
初日の出は見られたでしょうか?

年が明けて週末が来て、2週間後には共通試験です。
気持ち新たに共通試験に向けた勉強が必要になります。
残り半月程度なので
共通試験までどれくらい勉強ができるか?
具体的な事も含めて逆算できる時期です。
学校も始まりますし、
共通試験まで自分が用意できそうな
現実的な勉強時間を考えてみてください。
そうすると
「できる事は限られている」
ということに気付くと思います。

その限られた時間の中で
自分は何を優先して勉強する必要があるか?
それを考えてみてください。
そうすると自然と今日、明日
何を勉強するかというのが見えてきます。

また休みムードは続きますが、
試験まで時間がないということを
数字にして明らかにすると
「あまり時間は無駄にはできない。大切に使おう。」
という気持ちも生まれてきます。

共通試験が終われば、
その後には最終試験、2次試験があります。
また、今日から気持ちを引き締めて
一歩一歩進んでほしいと思います。

以上です。

いつも勉強お疲れ様。

(大学受験国語表現対策)
むずかる
子供の機嫌が悪く、泣いたりすねたりする。

彼女はむずかる子供をあやすのに精一杯でした。
-----
いじらしく
幼い子供や弱い者などの振る舞いが、
何ともあわれで同情したくなる感じ

子供ながらに大変な中、気丈に振る舞っている姿に
いじらしさを感じます。
何とか状況を良くしたいと考えています。
-----
悲哀 ひあい
悲しく哀れな気持。

悲哀を多く感じれば、人は優しくなれるともいいます。
元旦を迎え、彼と彼女は気持ちを新たにしました。
-----
やるせない
思いを晴らすすべがない。せつない。

長い間続くやるせない気持ちが消えることはありませんが、
一方で励ましてくれる人が多くいました。
その中でも風化させたくないという気持ちを持っています。
-----
無邪気 むじゃき
性質・気持などが不純でなく、素直なこと。

むずかる子供を見て、いら立つことがありますが、
無邪気な笑顔を見ると、
そういった気持ちもどこかに吹き飛ぶようです。
-----
屈辱 くつじょく
屈服させられて恥ずかしい思いをさせられること。
はずかしめられて、面目を失うこと。

彼らは受けた屈辱を情熱に変えました。
スポーツにおいてそのような源からのパワーは
欠かすことができません。
-----
半信半疑 はんしんはんぎ
なかばは信じ、なかばは疑うこと。

先生から教えられたことに対して
正直、半信半疑な部分がありましたが、
今になってその真意がわかった気がします。
-----
帰依 きえ
すぐれた者 (特に人格者) に対して,全身全霊をもって依存すること。

彼は帰依することによって
心の凪を手に入れました。
-----
傍ら かたわた
そば。わき。

彼女は彼の傍らで帰依しているようにもみえますが、
その二人の関係はフラットで平等です。
-----
やむなく
仕方なく、やむをえず

大きな状況に関しては変えようもないので
やむなく受け入れるしかありません。
1日も早く状況が改善するのを願います。
-----
ものごころ
世間の有様や人情などが分かる心。

彼はものごころがついた当時の事を
ほとんど思い出すことができません。
昔の自分の経験を忘れる事はある種悲しいことですが、
逆に辛かったことも忘れられるという
清々しさもあります。
-----
甘んじる あまんじる
与えられたものを、おとなしくそのまま受け入れること

彼女は現状に甘んじることなく
自己研鑽を続けています。
-----
まさしく
間違いなく。確かに。

彼はまだ学生ですが、
その学力はまさしく本物です。
従って、彼の才能をつぶすことなく
大切に育てていこうと考えています。
-----
いたたまれない
もうそこにじっとしていられない。

彼女はいたたまれなくなってその場を一旦離れました。
気持ちを整理して、また戻りました。
-----
もの思いにふける ものおもいにふける
悩みごとや心配ごとなどについて、一心に考え込むこと。

年の末、もの思いにふける彼の様子を見て
周りの方々はさりげなく手を差し伸べました。

(大学受験英語表現対策)
deal with A (問題などに)取り組む
He deals with COVID-19.
-----
instantly すぐに
She instantly begins to study in the morning on the New Year's day.
-----
leave behind Aを置き去りにする
He tends to leave behind his hope.
-----
guilt 罪悪感
He continues to have guilt for her.
-----
be satisfied with A Aに満足する
She is satisfied with service in this shop.
-----
intercultural 異文化間の
They can have intercultural communication in this university.
-----
awareness 気づき
She will be able to have awareness of small happiness many times in this year.
-----
misunderstanding 誤解
He tries to clear up misundestanding.
-----
opportunity 機会
He has the opportunities to make intercultural communication.
-----
encourage A to B AにBするように勧める
He encourages Japanese students to study in a voluntary manner.
-----
cope with A Aに立ち向かう
They cope with medical care for difficult diseases.
-----
tend to A Aする傾向にある
She tends to decide a thing prematurely.
-----
cultural norm 文化的模範
He likes Japanese cultural norm.
-----
follow A Aに従う
She follows cultural norm in this country.
-----
sub-cultural 下位文化の
She analyzes a sub-cultural fashion.


数学と芸術の糸

学生さん、明けましておめでとうございます。先日、姫路に電車でいった時、座席の隣の男性の学生さんは、一生懸命、英語の勉強をしてきたけど、「そんな電車のような勉強しにくい環境で勉強しなくても、、、」と思ったよ(笑)。前後の運動機会も含めて良い条件で勉強する事が大切だと思う。アメリカではね、非常に日本で売れた書籍で、運動の勉学における大切さをハーバード大学の准教授の人が述べていたけど、その内容を読むと、アメリカの学校で1時限の前に0時限を設けて、運動させて、その後の勉強をはかどらせて、成功したという事が書かれていたけど、もっと日本的に合理的な方法は、皆さんが学校んい登校する時に有効な運動をすることです。それはすなわち、「歩いて学校にいく」ことです。もう、「自転車は使うな!(笑)」「余計なお世話だ」と言われそうだが、これ以上、あなたに伝えられる大切なことはない。歩いて、学校にいけば、下半身を適度に使う事になるので、血液の循環が良くなって、脳にも血液が回りやすくなる。1時間目から、体全体の状態が良くなり、座位でも、勉強がはかどることになる。特別、学校にいって、0時限目のようにカリキュラムを用意しなくても、学校に自分の足で一定時間歩いていくことで、学校で受ける授業を最適な形で準備できることになる。

 物理と違って、数学は法律と同じように公理を明確に定めて、その法則に従って運用することになるので、物理のように実際に人において特に色彩において発達した視覚、目で見たもの、あるいは、現代でいえば、最先端の測定装置でおいて計測されたデータを分析することなくて、頭の中で独自の世界を構築して考える傾向にあるので、最も創造性を必要として、頭を使われる分野であると言われます。これは、特に大阪で発達した「お笑い」、あるいは「美術」「音楽」「彫刻」などの芸術でも同様です。例えば、私は一般相対論において、光子、重力子において、エネルギー保存則、あるいは構造的な歪によって文章で説明しました。これから私に統一論として求められることとして、これらの物理的な枠組みにおける数式の証明があるでしょう。数学は、ある種、物理をより確実にするためのツールとしての役割があります。しかし、人工知能、仮想空間では、特に仮想空間では、実空間を超越した表現が可能になります。そうした空間において機能する数学もまた、実空間を超越します。そうした仮想空間は芸術ともリンクします。芸術は、自然科学を超えた人の脳において生み出された創造性、拡張性があります。数学は、自然科学を超越した領域で、芸術とつながりをもつかもしれません。例えば、あるメロディーを持った音楽を物理とは独立して数式で表現できるかもしれません。そのような可能性を見出すと、数学、芸術の付加価値が再認識されます。
 高校生のあなたは、今、たくさんの学問と対峙しているでしょう。あなたが想像している以上にそれぞれの学問には可能性、拡張性があります。国語、英語、数学、理科、社会、芸術、体育、工作、家庭科、倫理。それは、あなたが完璧と考える先生ですら成長の余地があるでしょう。私もその一人です。物理は、世の中に完全に見えるもの、感じるものすべてを合理的に説明しようとします。それが統一的に説明できればすべてが終わるとすら思うかもしれません。しかし、それで、素晴らしいアーティーストが生み出す旋律を説明することはできません。数学、芸術は目で見えるものを超越したものがあります。人工知能が今、説明できるものには限界があります。数学、芸術は人工知能を超えた人が生み出す脳の最高の産物です。これを知ったあなたは、宇宙や地球を真に見つめ物理を志したいか、人の脳が生み出すそれとは一定独立した芸術、それに則した一部の数学を志したいか、あるいはもっと他のことか。そうした多様な、豊かな選択肢に溢れています。


逆算して今すべきことを考える

受験生のみなさん、学生さん、こんばんは。私は中学生の女の子が好きかな。娘が中学生なので。これくらいの女の子可愛いよね。私服ではなくて、制服がいいね。私は男性だからそう思うのかな。女性だったら、学ランを着たかっこいい男性がいいのかな?私の娘は元気に中学生活を送っているだろうか?

 受験生の皆さんは、1月、2月が試験だろうから、もう、最終段階に入っているだろうけど、時間が限定されると逆にできることも限定されるから、自然と、やるべきことが明確化されるというのがあるよね。試験に向けて重要性の高い事に集中して勉強するだね。案外、見落としがちなこととして、大切な事は「復習、過去勉強した、理解したことを繰り返し勉強する」ことです。試験で後悔が残るのは、ケアレスミスをすることと、以前勉強したのに、試験でそれを忘れて力を発揮できないことです。勉強したことを再度繰り返すことも大切です。「数字化」することもいいかな。例えば、試験まで、後、2か月とします。おおよそ60日で、1日に4時間の勉強としたら、240時間しかありません。240時間という数字が明確になることによって、自分ができる勉強の範囲もその数字に割り当てることができるでしょう。5教科の勉強をする必要があるなら、均等に割り振れば、1教科、50時間もありません。1時間に勉強できる量も限られていますから、必然的に現実的にできることも限られてきますね。こうして数字化することで現実が見えてきます。逆算して物事を進めるときには、こうした「数字化」によって現実化して、明確化する事は大切です。例えば、あなたが「数学で絶対的に良い点数を取りたい」と思うなら、他の教科の時間を半分にして、時間を100時間にすることはできるでしょう。でも、それで余計に生み出した50時間は他の教科の勉強を犠牲にするものだから、貴重に感じられ、あなたの数学の勉強時間1分、10分、1時間の意識、緊張感を高め、より効率的な勉強に貢献するでしょう。そうした時間の「あなたの運用」がそうした高い意識につながります。逆算して考える事は、とても大切なことです。
 物事には段階があります。例えば、私にとって生涯大切な人である大谷翔平が2025年の今、試合で発揮するプレーは彼の全ての物事の表層にすぎません。彼が小さい時から今まで、今であっても、試合でプレーする前の準備、周りの選手が楽しみに飲みに行くときも真面目にトレーニングした日々、そのすべてが今の彼のプレーに関わっています。翔平の試合の結果、試合の実演をそのまま見ることは正確ではありません。その背景に彼の涙ぐましい努力の結晶があります。彼の基盤が素晴らしいから、彼の活躍があります。あなたの基盤が素晴らしいから、東京大学、京都大学に合格できるのです。翔平は、怪我してから、復帰するまで投手として段階を踏んできましたね。物事には段階があります。受験生のあなたにも受験という節目があります。その日にちは決まっています。そこから逆算してできることがあるでしょう。時間が限られていて、数字にできますから、現実的にできることが明確化するはずです。今、あなたの今日1日も貴重な資源です。それを無駄にすると基盤の一部が崩れ去ります。今日1日、今1分、1秒を大切にしてください。逆算して、出来る事を一つ一つ、下から積み上げていってください。その経験は受験だけではなく、全てに通じることです。そうであるとするならば、逆算して、一つ一つ積み上げていく経験こそが受験で合格するよりももっとあなたにとって大切で、人生のかけがえのない財産といえるでしょう。





 





 

2025年11月17日月曜日 0 コメント

今日の出来事ははっきりいって私の価値観として許せないレベルなので、誰がやったのかがわからないので、私の考え方をはっきりさせます。まず、私は今まで10年以上、総計で一体、どれくらいの価値を出したのでしょうか?それに対する対価って支払われていますか?

まだ、私は何かの価値を出さないといけないのですか?なんで、これからの場において、私にいおいて労働が前提なのですか?それよりも、今までの対価を払いなさい。その対価って、わからない形で一般市民のあなた方の収入の一部になっているかもしれないんですよ。それをあなた方一人一人に請求はできません!私の周りでヘリコプターを飛ばす費用も、私が出した価値から実質的に支払われているのです。本人に一切の対価を支払わずに。この対価は私は一体誰に請求すればいいのですか?政府ですか?全部、政府が支払えるわけがありません。誰がそれを定量するのですか?

私から、無尽蔵に価値を引き出して、どれだけ社会は私から搾取するんですか?今日、こんなことをされて私は黙っていませんよ。やったのは誰ですか?なんで、私のこれからの立場として労働が前提なのですか?今までの私のブログ活動の価値はなんなんですか?その労働の切符をつかむためですか?

おまえら、マジでいいかげんにしろよ。

俺が出なければ、ここのブログの多くの技術が社会実装の為に進む事はないよ。私がこんな形でさすがに勝手にできんしょ?世界の科学技術が強力な形でピン止めされますよ。もう、それをあなた方独断ですでに何年もしているんですよ。こんな形で、俺を憤慨させるあなた方の目的はなんだ?

誰だ?はっきりさせろ。誰だ?明確に名前を出せ。

あなた方、政府として、私に対して強い立場ではないよ。間違いなく。仮に、今、俺が死んだらどうなると思う?俺が、今のまま出ないっていう選択をしたらどうなる?いっとくけど、俺は「出ない」という選択肢が現実的に取れる状況にあるよ。そうなれば、世界の時計はとまったままだぞ!その責任誰がとるんだ?おまえ、自分がやっていることわかってんのか?

俺の日常を追いかけまわして、家ですることも含めて、身の回りで起こっている事。Youtubeの音楽の推薦の選択など細かい事に至るまで。誰が、どういう目的でやっているかが見えないので、こっちが勝手に先入観を抱いたら、判断を間違えることになる。もうすべてが信用ならん。始めに言っとくが、俺の祝賀会などないぞ。お祝いなんてないぞ!俺の進路に「安倍(一味)」が関わる限り、俺はその進路を選択しない。こいつが関わらない日本社会ってあるのか?そういう意味でもう、絶望的だぞ。本当に、舐めた真似するとおれが出した情報を全部、自分の付加価値部分においては全部、止めるぞ!こんな不透明感、人権無視(プライバシー侵害)、理不尽、債務不履行を事実として繰り返している限り、社会として私の身の回りで起こっているんだから許している限り、俺の今ある良心は消え去るぞ!そうなったら、どうなるか?もう、俺の技術は世界に出さんぞ。医療のドラッグデリバリー、細胞接着分子、細胞骨格を含めた生物学、磁気共鳴経頭蓋集束超音波、物理の標準理論、統一理論、健康問題、健康と生物多様性を含めて重要な科学技術が実質的に永久に止まるぞ!そうなると、どうなると思う?その顛末は?まじでやるぞ!俺、今の生活でいいだよ。別に。今の俺にとって社会に出るのは希望や願望じゃねえよ。義務だよ。それはすなわち良心だよ。俺の身の回りで起こる事の信頼性がない限り、俺にとって一生の心の悪性新生物である安倍一味が関わってくる限り、俺のその良心は完全に消え去る。当たり前じぇねえか。今までどういう事が起こってきたかすでに一部は説明済みだろうが。こいつら政治家だから、自分らがやっている事の重大さが理解できていないようだね。俺は、自分がやっている事の重大さは理解しているよ。だから、義務なんだよ。

基本的に周りのプライバシー侵害、人権無視、理不尽、債務不履行、政治不信は何を言ってもずっと続いているんで、周りを変える事のエネルギーの無駄を完全に確信している。そんなエネルギーは俺はもう使わない。周りの出方を見て、自分の選択を変える。このブログの発表も含めてね。もう「出ない」ぞ。今までの俺とは何もかも違うんだぞ。実質的に世界は終わるぞ。日本だけの問題ではないよ。出る、出ないは俺が選択できるよね。でも、このブログの記事がどう情報統制されて、恣意的に操作されるかはわからないし、私が制御不能。私が日常外で見る人工物、情報も誰がどのように操作しているかもわからない。それが石破さんが出したものなのかもわからない。はっきりいって、もう、信用がないよ。自然ですら、天候を制御する事によって変えられているとすら思う。もう、なんかヤバいね。俺のこうした感覚って、後でより成長した自分が振り返ってみると大体は健全なんだよね。普通の感覚。私が2015年からブログ活動、実社会で感じてきたあらゆる不信感は全てまともだよ。今振り返ると。こんな感じではまともに生きられんので人よりも何十倍も健康に気を使っているわけです。この文章が一体誰に届いているかはわからないけど、あなた方、本当に危ういよ。真剣に考えないと。俺は、あなた方の行動を積極的に変えようとはしないけどね。俺は知らないよ。もう、良心なんてない

俺が交渉で不利になることはまずない。下手すると、、、。これを読むことができる世界の読者。よく考えろよ。俺は色んなシナリオを想定しているよ。最悪の場合はどうなるかな。今回ばかりは一般市民にも協力した限り責任がある。あまり俺を怒らせるなよ。いい加減にしろ

何をどう考えても、私があなた方との交渉に負ける要素がない。能力があるのが「私自身」だから。技術の事実上の実行権もあるのも、合意の元、委譲しない限り私にある。ブログの記事の内容を強引に勝手に進めることはできるけど、私側の人間がいる以上、世界は黙っていないと思うよ。まず、おそらくできない。実際にそうなっていない。私が死んだら全てが終わるしね。私は良心に従って、今までやってきたけど、日本に住んでいて実際として日常生活追いかけまわされて起こっている事。実際に日本人の一般市民の関与なくしてできないことなので、すなわち「上の言うことを聞いているやつらがいる。」ので、私自身の考え方、選択を変える。そんな良心なんて消してやる。冷徹に交渉に出る。私はこのままでいいんだし、一回、死んだようなものなのだから、これ以上、強いものってないんだよね。俺がどうしても必要だろ?あなたたちどう小細工しても勝てないよ。今まで社会に出るというカードをあなたたちは持っていたけど、そのカードが私にとってもう絶対ではないからね。そんなものに依存していない。むしろ、そのカードを引いて、安倍一味との一層の関わり合いが生じるなら、引かない方がマシだと思っているよ。あまり無茶な事すると俺は知らないよ。何が起こっても。今回は一般市民も関わっているからね。権力者だけの責任問題じゃないぞ。もう、今までのレベルでは済まされないぞ。よく状況を冷静に考えろよ。俺、今、そんなに興奮して、この文章を書いてないよ。俺なくしては成立しないんだぞ。俺を憤慨させてどうするの?終わるぞ。

もう一度いうわ。俺はこれからの進路において「安倍(一味)」が関与が疑われる場合、その進路を選択しない。その仕事を降りる。俺の祝賀会なんてない。そんな気分ではないし、違和感だらけ。お前らなんかにキャリアに関与されてたまるか。絶対に拒否する、断る。そんな気持ちの悪い事はない。

冷静に考えると、安倍一味が今の政権、与党の最大勢力だから、これが成立するだよね。そうすると人数からして、もう、日本では無理じゃないか?選択肢として、出ないという選択を取るか、死ぬか、殺されるか、出ても海外に完全に行くか?もう、最悪だね。俺の人生。こいつの存在のせいで。よく考えてね。普通、あなたが非常に強い憎悪を持つ人間(クズ)がいたらどうする?一番、賢明な選択肢は「関わらない」「離れる」だよね。そうしたら無駄な衝突を避けられるからね。俺はそれをしたいんだけど、執拗につきまとってくる。毎日ですよ。ずっと監視ですよ。それで、様々な日常生活に介入してくる。この状況、あなたならどう?相手が、避けている、憎悪を持っているとわかっているのに近づきますか?普通。そういう意味で、こいつは本当に最悪ですよ。どうする?あなたなら?もう答えは海外だよね。それで海外の自治で守ってもらうしかないね。日本はそれできないよね。現に今、できていない。そうすると俺の技術はその自治で守ってくれる海外に流すよ。最悪の場合、その国の国民にすらなってもいい。こんな結末になると本当に悲しいね。日本史としてね。でもね、相手が悪い。明らかに。避けるという事はできるはずだから。俺は、無駄な衝突は望んでいない。関わらないだね。

現在は日本人である私の頭脳が流出するというのは大変な問題だと思います。対話によってどれだけの力を引き出せるかは未知ですけどね。私が日本に対して思う事。少し例をあげて紹介しますね。日々、道を歩いたり、走ったりしていると、「タグ付け」された乗り物がたくさんある。それが日々の誰か?のメッセージの代替(プロキシ)かもしれませんが、私はそれを何度か拒否する主張をブログでしました。その理由は、元々私は統合失調感情障害という病気に2004年くらいにかかって、元々の性格も含めて妄想癖が強い傾向にあります。2024年以前は今よりも精神が安定していない状態で、こうした「タグ付け」された乗り物は妄想が強まる傾向にあり、病気の悪化を感じていました。それがあるので、私は辞めてほしいと言っていましたがそれでも何らかの理由により聞き入れられなかった。今もそうですね。確定性のないあやふやな妄想が必要な情報を精神の疾患がある患者に頻繁に出すことはどうか?と思うんですよね。私は今は神経科学を知っていますからね。私がもし実施側の周りに専門家として存在するなら、間違いなく止める。しかも、当事者も「辞めてほしい」と言っているのにです。この主張は「日本では」通用しない。これ、ちゃんと理屈立てて説明すれば、通用する国はあるよね。日本以外に。そもそもこんな「乗り物のタグ付け」のような手段を取らない国もあると思われます。障害を持つ人間に対して、その障害に関わる介入を辞めない事。これは、やはり日本の倫理観、人道性を問われることだと思われる。今まで日本に対して私の労働市場の不平等性も含めて倫理性の事を指摘してきたけど、それにちゃんと意見する人もいないし、私の信頼性は今日の出来事も含めて考えると低くならざるを得ない。それで、なんとしても海外に行くという手段に出るかはわからないけど、私の気持ちは日本から離れているよ。日本は表面上はいいよ。すごく。でも、今、日本社会で成立している事実があるので、これはこれからの人生、ずっと無視はできないです。仮に日本にいるにしても。倫理性っておまえがいうなってか?なあ、小泉。今日の俺の話聞いてんだろ?おまえ。お前ら自民党が元凶だよ。お前らが明らかに悪い。もう「俺に関わるな!」と警告したんだぞ。それは争いを避けるため。それでも今日も含めて最後の最後まで干渉を辞めない。衝突が現実的に生じるなら明らかにお前らが悪いよ。弁明の余地があるなら言ってみろ。ここにコメントしてみろ!

多分、日本側の意見として、あなたが大切にする団体(東京大学病院)、人(石破さん、川嶋さん)を裏切るんですか?というのがあると思われる。よく考えてほしい。この人たちって、俺に何をしてくれた?はっきりいって何もしてくれてないよ。安倍一味の理不尽極まりない行為の防波堤になってくれた?こんな集団で、権力でこられたらどうしようもないよね。情報もないしね。向こうは衛星、AI、部屋?パソコン?に内蔵されたカメラで俺を見て、分析しているわけだよね。はっきりいって勝ち目ないよね。情報の精度という意味では。俺は何もわからないよ。俺一人だから。そういう力関係においても理不尽な中に合って、あなたたちはいったい、俺に具体的に何をしてくれた?もしね、日本が、俺の人材(能力、頭脳)と技術の流出を懸念するなら、それは一言「厚かましい」。おまえらに俺から渡すものなどない!!俺個人の気持ちよりもあなたたちは「こっち」を懸念しているんじゃないの?日本に対してはそう疑いたいくなる。日本社会で私に対して継続的に「現実に」生じてきたこと。それは紛れもない事実だからね。主に大学、研究所、大企業が利害関係者になるだろうけど、あなたたちは「黙って」きたからね。私の立場からしたら「具体的に何もしていない」。俺、マジで条件がよければ海外行くからね。そうだね、気持ちとしてはオーストラリアかニュージーランドに行きたいね。いい条件か、受け入れてくれるか、向こう次第だけどね。もう、そうなれば、ほとんど日本に帰ることはないかもしれない。

私を欲しいと思う海外の国、団体にいいます。私は歩く、走るの運動の機会がほしい。そうだね、時間として1日少なくとも4時間くらい。これが絶対条件です。ここが満たされれば、後は、労働条件(職位、内容、給与、福利厚生)、場所、環境、コミュニケーション(英語)などで決めます。もう一つは、いままでのブログ活動の対価の一部をあなた方の国の貨幣で支払ってほしい。その代わり、ブログ活動で出した価値、技術をあなた方の国と協力しながら、一緒に発展させていきましょう。私は知能だけではなく、人格(特に倫理観)もあるので、結構、お勧めですよ。いいと思うよ。あなた方と心の底から笑顔をかわせる日を楽しみにしています。そうだね、労働について思う事。もう少し、きっちりいいます。私は「やることがないのに」労働時間だからその場にいるのを避けたい。一番はコミュニケーションがいいと思う。私のカバーしている範囲は、医療、物理、化学(特に畜電池)、健康、環境など広いから、幅広い分野の人とピンポイントで重要なコミュニケーションを分散的にするのがいいと思っています。私の分野横断的な能力を一つの分野に収束させるのは無駄が多いです。英語でブログを書いてもいいですしね。仕事としてね。やり残していることもあるので。技術にしても報告を受けるような形式的なものではなくて、一番コアなメンバーとざっくばらんに話をする。いくつかプロジェクトを決めてもいいかもしれないけど。柔軟な働きかたがよくて、何もやることがないのにその場に労働時間だからいなければならないという無駄をなくしたい。それはお互いのためでもある。私の能力を生かしたい。運動の時間も欲しい、その運動自体もあなた方国の健康増進のために役立てたい。それこそ走行、歩行の指導とかね。私、そんなに膨大なお金を要求したりしないので結構いいと思うよ。一番はオーストラリアだね。最近、ずっとあなた方、オーストラリアの事を考えているよ。こんな条件、どうみても最高ですよね。だって、オレ、能力あるよ。めちゃめちゃ。それだけではないよ。人格もあるよ。立場の弱い人を救うよ。俺が社長ならリストラなんてしないよ。特に末端の弱い立場の社員は。切るなら邪魔な幹部だね。それでお金も膨大な要求をしない。自分の健康管理も運動時間をしっかり用意して高いレベルでする。それが一番大切な条件。お金じゃないからね。こんな働き方は日本ではできない。邪魔な権力者もたくさんいるしね。それでね、あなた方の国の特に健康に貢献したいと思っている。私が現場に行って、健康で大切な運動である歩行、走行のフォーム、考え方を今毎日積み上げている経験でもって実際にする。色々大切な事が伝えられると思う。どうみても、条件は最高だと思う。オーストラリア。手を上げて。俺はあなた方が好きだよ。人類史史上、一人としては最高の条件をあなた方に提示する。一国、国の健康に関わる潜在性がある。逆に言うと、それだけ日本で人類史史上最高の冷遇を受けたという事です。冷遇とは一切の対価未払い、政治利用、プライバシー侵害、精神障害虐待、集団リンチ、日々の監視ストレス、労働市場の不平等、自殺未遂半分原因、安倍銃殺事件の冤罪、国益に資する価値を出しているに関わらず(特に教育、医療)。私が世界に出した価値を勘案すると過去、これからの未来人類においてこれ以上の冷遇は生じえない。今の私の状態がいいでは決して済まされない。過去辛いときに一番支えてくれたのは京都大学、the new england journal of medicine、オーストラリアです。そこから立ち上がったのは私自身です。誰よりも私が大切。私にとって忘れてはならないのは毎日死にたいと思っていた過去にあります。

こういう表明をした以上、日本(政府)と今後交渉の場が生じたなら、どういう手段に出るかわからないという不信がある。上にいけばいくほど、信用がない。はっきりいって。いっとくけどこの交渉に私が負けることはないよ。負けないための重要なポイントを押さえている。下手な手に出ると、より大きな軋轢、怪我になる。その行き着く先がどういう事になるか?よく考えて下さい。人命に関わります。色んな意味で。能登半島地震のように国の威信の為なら、数百人の命、1万人の生活が犠牲になっても構わない。もう一度やったら、、、、あなた方なら、またやりかねない。それくらいもう信用がないです。俺は、日本は何をするかわからないと思っている。もう、そんな国から離れたい。

安倍、お前、どこまでストーカー行為を続けるつもりだ?俺が死ぬまでか?お前の墓なんか粉々にしてやる。それくらいの気持ちだよ。もう関わるな!人が死ぬぞ。やるとなったらやる。俺はやる。逮捕される覚悟で。そもそもお前らがやってきた事は累積したら重大な法律違反。そういう意味で完全に無法地帯。特に地位の極めて高いあなた方。自分達は大丈夫だと思っていませんか?俺は間違っても弱い立場の末端の人なんて手を出しませんよ。やるなら誰か知らんが安倍の代替となっている最高責任者を見つけ出して確実に殺す。ストーカー行為が続けられる限り。干渉することはもはや宣戦布告だと受けとる。男はやらないといけない時がある。そのレベルだね。明らかにあなたたちに元凶がある。

なぜ、あなた方(世界の全ての人)が私との交渉に勝てないか説明します。あなた方が私との交渉を少しでも有利に進めるのに役立つでしょう。こうした理不尽極まりない介入は私の「良心」を下げることになる。良心を下げるとどうなるか?このブログの付加価値の部分は世の中の使用は絶対に認めないとなる。もし、無断で使用したとしても、私を心から支持する人がいる以上、非常に高いリスクを伴う。そんなん、カネもうけどころではない。そんな危険な投資しますか?あなた方が私の生活を追い詰めて自殺しようものなら、私のブログの技術は一生世の中に出ることがない。射殺など殺しても同じ。投獄しても同じ。私の実力があればあるほど、技術に価値があればあるほど、人格に価値がつけばつくほど、それをすると困ることになる。つまり、何がいいたいか?結局、ちゃんと公正に努力して実力をつけたものが必ず勝つ。なぜなら、その人自身に価値があるからです。私はその価値が累積で世界一なのです。しかも、「良心」という人格もある。同時に「危険」もある。私は色んな面で難しいよ。世界、日本の世界のあなた方。この安倍と私の醜い問題に介入する暇があったら、「自分の実力を上げたら?」と思うね。私に依存しなくていいとなれば楽だよ。最後にあなたが勝つ。私はもう人に依存しなくても生きていけるよ。なぜなら、心身の健康的な生活を確立して、日々、そのレベルを上げているからです。いつだったかな。私の弟が言っていたわ。「一人で生きていける人が一番強い」。そういう観点でいうと「私に依存するのを辞めたら?」この問題、無視しておけばいいよ。はっきりいって。その方が問題がコンパクトになる。私との交渉に勝ちたかったら、あなた方が実際に私と同じように地道に努力して力をつけなさい。それが無理なら、私の「危険」を丁寧に扱い、それが表面化しないようにして「良心」を引き出しなさい。それがあなた方ができる交渉としての一番合理的な選択です。私のダメなところをいいましょうか?いちいちあなた方の反応を細かく見ることです。原因は「暇だから」です。でもその暇も私の能力を世界全体が持て余していることになる。私が今、実力のあるあなたと話すればどうなると思う?思ったほど私はたいしたことないかもね。だったら、よかったじゃん。私も自分の色んな指標での価値がある限り、それが大きければ大きいほど負けることはありえないので、余裕で構えておけばいい。私が社会に出れない?だったら、その分、世界の科学技術が止まる。日々の私への悪質な介入。それは世界の社会全体にとってマイナスだよ。はっきりいって。私が受け止める必要もない。時には細かく発表すればいい。

これは心身の健康が如何に大切かというメッセージなんだけど、過去の自分の事も本当に冷静に見れる。明らかに日本は私に冷遇してきたのでね。それは明白だよね。それでね、日本の他為に頑張れっていうのは言う方は自由だけど、私の感覚とすれば「厚かましい」となる。日本で私との交渉を有利に進められるのは、苦しい時にリスクをとってちゃんと正しい事を言ってくれた傾向にある京都大学だけだよ。京都大学の為なら海外に行ったとしても何かしてあげたいなと思うよね。オーストラリアに非常に相手にとって有利な条件を提示するのは、私がちょっと何か問題発言したら「病気だ!」つって批判したりね。そういう事はしない傾向にあったよ。これからはわからんけど。今は健康だから、冷静にみれるけど、過去、苦しかった時はそうした批判に多く私の心は傷つき、苦しかった。本当はね、相手に何か病的かな?という問題があったときには、病気という事を指摘するのではなくてね、どうやってその病状を改善するかを提示する事が優しさですよね。だから、私は小児がんサバイバーシップをやっているんですよ。それは本質的な出口なんですよ。「あなたは小児がん病歴者だ!」というのではなく、あなたはちゃんと歩行、走行など正しい考え方、フォームで継続的に実施すれば、病気があったとしても心身健康に生きられるよということですよ。心身の健康というのは醜い人間の争いから唯一抜け出せる本質的な出口です。そんな社会的成功なんて関係ありません。それを私を支えてくれた京都大学、The New England Journal of Medicine、オーストラリア、あなた方に一番、細かく私が直接的に伝えたい。だから、オーストラリアで心身の健康問題で貢献したい。私は当然「危険」もあるよ。でも、そんな完璧な人間はいないから。私を総合的に見たときにどうですか?という話です。オーストラリアは立候補しますか?あなた方が手をあげないのに私がそれ以上、あなた方に近づくことはありません。

私が今後、様々な国と関わると仮定したとき、その国、団体に本音の部分でどういった印象を持っているかが私自身のパフォーマンスを決めると思っています。少なくともどういう印象であれ、印象に残る国は関心があるということです。一番はどこでしょうか?その国の情報ばかりみていますよ。イギリス「王様様」ドイツ「戦略的」スイス「高飛車」アメリカ「手のひらをすぐ返す」韓国「嫌い」中国「不信」スウェーデン「ノーベル賞(笑)」。直感的に私が良い印象を持っている国は明確な理由はないけど、シンガポール、オーストリア、デンマーク、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカです。他はない。スウェーデンですね。コメントが必要なのが。あなた方の国が本当に大切にするものは何ですか?人を表彰することですか?それよりも大切な事があるのではないですか?私はあなた方は私のこの主張が通用する健全な国だと思っています。私は一番大切な問題は人の心身の健康と生物多様性だと明白に考えます。環境保護も何が目的?というのがある。水が透明ならいいんですか?緑に濁っていても生物が多様ならそれは環境がいいということではないですか?二酸化炭素を排出をゼロにすることばかりとらわれていませんか?それよりも生物が住みよい地球とは何かを定義して、実現する事の方が私の中では上位です。人の心身の健康はその上に立ち、生物が住みよい環境は、人の心身の健康にも良いと思っています。だから、この問題が一番重要です。スウェーデンの皆様、あなた方が一番大切にするものは何ですか?ノーベル賞で表彰することですか?もし、私の自己評価だけではなく、本当に人材全体という指標で世界一の価値があるとしたら、その価値が高ければ高いほど、「アメリカを選択するべき」と考えると思う。オーストラリアすらそう思うかもしれない。実は私はニューヨークには一定の好感がある(ただ、賞賛と批判を意図的に共存させる感じが上から目線的で嫌だなというのがある。ニューヨークに行くと街に飲まれそうです。自分の大切な事が全てスポイルされそうな感じです。これは、アメリカ全体にある印象です)。なぜなら、リスクを取るからです。私にもちゃんと本音で批判をする。正直なのでわかりやすくていいです。日本みたいにあいまいにされて裏面も含めて熟考が必要な気持ち悪い感じではない。変化球も投げない。アメリカの中で一番信頼性が高いのはワシントンD.C.です。ずっと数年以上見ている限り。それも間違いない。当然、海外を実際選択するとなった時、そういう意識があるのは事実です。中国はとにかく「さわったら怒る」という印象がある。基本的に何も干渉しない方がいい。褒めてもだめ。批判してもだめ。何もしないほうがいい。シンガポールは過去良かったことをずっと覚えてくれるんじゃないかな?という信頼がある。数年前、紙媒体の絵の添付を含めてシンガポールの科学技術情報を称賛して参照した情報を出したことがあった。シンガポールに全般的に悪い印象がそれ以降ないので、それ覚えてくれているんじゃないかな?と私は勝手に思っている。本当の意味での感謝ですね。私が京都大学を思うように。日本は、どんな重いことを継続的にしても、ほんの一言でひっくり返ってしまう。一体、私のあなた方への価値、貢献は何?と問いたくなる。その傾向は上にいけばいくほど中央政府に強い。京都以外では愛知県がいい。なぜなら、私は自動車(愛知にはトヨタ自動車、デンソーがある)を批判しているからね。それでも私の事を大切に思ってくれているというのがある。だから本物です。基本的に日本は信用できない。

後、母国の日本です。私は色んな意味で海外に行った方がいいかなと思っています。自民党を中心に状況があまりにもひどい。はっきりいって。それに多くの国民は気づいていない。もう、はっきりいって騙されているといっても過言ではない。私がそっぽ向いて、海外にいってしまう。そうするとさすがにわかると思う。私がいて「ゆでがえる」になるのはお互いにとってよくない。日本は本当に苦い薬を飲まないと良くならない。日本が歴史的にみても変わるときは大きな災害の時なので、本当に苦い薬を飲まさないとこの国は本当の意味で目覚めない。私が離れようと決断するのは日本の為を思ってでもあるのですよ。私も辛いよ。はっきりいって。子どももいるのに。でも、今の日本は?今までの私の理不尽極まりない冷遇を知っていますよね。はっきりいってひどすぎる。本当の意味で治療が必要。私もどっちのしんどさを取りますか?という決断に迫られている。過度な監視の息苦しさと大切な人と離れ離れ、慣れない海外。

     躊躇する部分がないわけではないけど、具体的に思っている事を書きます。始めに言っておきます。私は日本を潰そうとしているわけではありません。むしろ逆です。但し、この情報がどのように曲げられてあなたに伝えられるかはわかりません。もはや、その信用すらありません。
 昨日、11/16ですね。私に関わるなという強い警告を出したにも関わらず、明らかな干渉がありました。どちらかというと肯定的なものでした。昨日の私のブログの記事を一部で高く評価していたのだろうと思われます。何が起こったか?私が行く2つのスーパーで、長崎県の本マグロのトロのブロック、私が頻繁に食べる鯵の南蛮漬けが二割引き、からあげがセール、カツオのたたきの割引、広島県産カキフライがセール。何もかもの食品の条件が最高に近かったです。もし、あなたならこの状況を喜びますか?この状況を若い人が喜ばないというのは難しいと思う。よく考えてくださいね。「あなたが食べる食品が分析されて、操作されているんですよ」。それもストーカーの犯人から。食べるものですよ。あなたは生きていく限り、それを避ける事ができないんですよ。すなわち、憎悪を持つストーカーが操作した食べ物を選ばざるを得ない。安倍は平気でこういうことをする。干渉として一番許せない事です。すなわち、実質上、私のこれ以上ない強い警告はこれ以上ない形で通用しなかったという事です。いいですか?私の支持者のあなた。何も行動しないでください。冷静になってください。彼らには必ず今まで行ってきた不正を償わないといけない時期が来ます。10年規模の償いです。それは、まだすぐではありません。10年後、20年後かもしれません。一部の責任者は寿命が尽きてしまっています。なぜなら、この問題は終結はしていません。まだ、あなたたちは気づいていない。スタートラインにすら立っていない。権力者が好きだという気持ちを理由に相手が憎悪を抱いているにもかかわらずストーカー行為を続ける。その人の食べ物を操作する。基本的に「なんでもあり」です。部屋の中を見る。天気を操作する。私の対価で人を雇い、高価なヘリコプターを飛ばす。安全性を守る為という理由で周りの人を操作する。パソコンを操作する。キーボードを部分的に壊す。インターネット接続を操作する。エクセル(PCソフト)を操作する。テレビCMを操作する。メディア(新聞、CM、テレビ、インターネットニュース)を操作する。SNSコメントを操作する。Youtubeアクセス数を操作する。私が見るYoutube推薦動画、音楽を操作する。もはや、私が見ているものすべてが犯人の支配下、傘の下にあります。それくらいいっても過言ではありません。より具体的にいいましょう。安倍が「タグ付け」された曲はいくつもあります。いきものがかかりの「会いに行くよ」、浜田省吾の「もう一つの土曜日」、尾崎豊の「僕が僕であるために」、Official髭男dismの「Pretender」。色んな曲を自分の考えている事に乗せて「略奪」します。もはやその曲は(憎き)安倍一色になってしまう。一国の権力者が特定の曲に対してこういうことをすることに例えば、浜田省吾さんはどのように感じられるだろうか?嬉しいだろうか?私の中で「もう一つの土曜日」は中学、高校時代にものすごく好きだった曲の一つです。自分が若かりし頃、スナックに行った時を思いだす。思いであふれる曲です。それが安倍に「略奪」されてしまった。もはや、私はこの曲を複雑な気持ちなくして聞くことができなくなってしまった。普通、こういうことが起こりうるという事がわかるはずです。略奪するにしても1曲くらいに留めておくべき。何曲も次から次に自分の思いをのせて略奪する事ってどう思いますか?音楽は好きな人は気持ちが入るので、もうその曲を聞けなくなるよね。もう「Pretender」もダメだね。もう普通に聞けない。
 「選挙に勝てば何をしてもいい」これが安倍の考え方です。この「何でも」が上でいった部屋の中を見る。天気を操作する。私の対価で人を雇い、高価なヘリコプターを飛ばす。安全性を守る為という理由で周りの人を操作する。パソコンを操作する。キーボードを部分的に壊す。インターネット接続を操作する。エクセル(PCソフト)を操作する。テレビCMを操作する。メディア(新聞、CM、テレビ、インターネットニュース)を操作する。SNSコメントを操作する。Youtubeアクセス数を操作する。私が見るYoutube推薦動画、音楽を操作する。こういうことです。生活の全てが支配下に置かれます。やり方は非常に巧妙です。時に自分に不利な情報も入れます。あたかも、その人がしているような操作もします。例えばね、Youtubeのミックスリストってありますよね。これはおすすめの曲がアルバムのように並べられます。私は「夏の日の1993」というClassの歌を「東京大学病院」と重ねていました。この曲のミックスリストは(今思えば恥ずかしい事に)東大病院の誰か先生がやってくれていると信じていました。情けない話です。そんなこと病院の先生が毎日しますか?という話です。これも実は安倍一味の仕業だった。これ、もしそうなら東大病院の先生はどう思いますか?私の東京大学病院のスタッフ全員が家族だという純粋な思いを安倍に略奪され利用されていたことになりますよ。そもそもこの気持ちは先生に通じていましたか?そこから疑う必要性も出てくる。こういうことがあるから、私は家にいても色んな事ができなくなる。あなたなら「音楽聞く気なくなりませんか?」こういうことを憎き奴にやられると。そうするとYoutubeも見れなくなる。ニュースも信用できない。安倍一味の誰かが巧妙に「つまみ」を握って調整している。それが「政権運用」の一つです。小泉がいう「自民党の政権運用能力」です。もうこんな奴、信用する事はないし、今後、会う事もない。つまみなので自分らに不利な情報も流す。でも、なんとなくうまく世の中が自分らの都合で回るように調整している。今だったら、情勢が実質的に高市に不利だから、高市に有利な情報を多く流すようにしている。SNSのコメントも含めて。  私と安倍の戦いといわれるけど、もはや、その戦いは成立していないし、安倍の圧勝です。なぜなら、彼らにはルール、法則がないからです。野球で大谷選手が160km/hの直球を投げても、彼らは彼らの権力で作った人造人間で300km/hの直球を投げる。彼らの守備の時には2アウトでチェンジ。彼らの攻撃の時には三塁しかない。私たちは公正にルールを守ろうとしている。そもそも倫理観、人道性がない、すなわち「選挙に勝ったんだから何をしてもいい」という考え方の下で同じフィールドにすら立てない。絶対に勝てない試合をしているという事です。私がいくら頑張ったところで彼らの傘の下にあります。自分の目的の為なら何でもします。私が勝とうと思ったら、同じようにルールを破るしかありません。それこそ殺人とか。私がそうしたことをしたらどうなりますか?日本社会はめちゃくちゃになりますよ。それはできません。ならどうしますか?試合を棄権しますよね。すなわち、私が海外(オーストラリア)に行くことです。それが最大にメッセージになるでしょう。これを見て、いや見ないでも、同じような違和感を持っている方、あなた方はこの問題に対して私が今まで頑張ってきた以上に声を上げないといけない。そうしないとこの問題は解決の糸口すら見つけられない。いっときますけどね、問題は全然解決に向かっていませんよ。なぜなら、実行者が権力層に多く存在するからです。
 私は彼らを負かして、自分の思い通り世の中を変えようというような大阪副都心構想のような野望はありません。日本維新の会も自民党と連立を組んだ時点で終わりだね。はっきりいって。オーストラリアで小さくてもいいから私らしく地道にコツコツ、対面で一人一人と向き合い私の価値を提供したいと思う。それで人がどういう反応を示すか見てみたい。日本にいたらその人も反応も政府に関与されてしまいます。本当にコツコツ信用できる国でまた一から頑張りたい。自分の健康管理を大切にしながら。日本にいたら安倍の傘から逃れられません。もし、私に大切な異性ができて、その人と夜を交わすとなった時には盗撮も疑わないといけない。これを読む世界のあなた。そんな国に在住できますか?そんな国の国民を辞めようと思いませんか?こんなやつ(安倍)に「愛(Love)」なんて語る資格はありません。この概念も略奪しています。愛は博愛というのがありますが、生物全て分け隔てなく愛するということでしょう。大切にすることでしょう。それはいわば倫理性、人道性の極致です。「選挙に勝ったら何をしてもいい」実際に人の食べるものまでなんでも操作してきたやつに人道性、倫理性の欠片もありません。それはすなわち「愛」と真っ向から衝突することです。愛は、子どもを心から愛する女性の素晴らしい特権です。愛という概念を歴史的な汚物である安倍に略奪させてはなりません。日本の女性のあなた。あなたは、こいつの傘の下にいるんですよ。これを聞いても今までどおり安倍の支持者である女性の高市を支持しますか?
 オーストラリアに仮に行くことができても、政治は上でつながっていますから、安倍一味が関与してくるんじゃないかな?と疑いたくなる。オーストラリアで見る日本人がこいつの使いでないかな?と疑いたくなる。もはや完全に私は不信に支配されたノイローゼ状態です。これは私が精神疾患があるからではありません。普通の人ではもっとひどいことになります。私は強いほうです。なぜなら、こんなまともな文章が書けるからです。強靭な健康管理習慣を確立しているからです。オーストラリアを疑うという事は、世界全てを疑う事になる。なぜなら、オーストラリア以上に信頼できる国は私はないからです。その私の「人を見る眼」を信じる。アメリカは無理だね。日本とつながっているから。オーストラリアしかない。もう、オーストラリアがダメなら仕方がない。そのレベルです。私は個人的にローカルになんとか人生を全うします。こう考えると、私はオーストラリアがいいね。相手次第。私はストーカー行為は一切しません。相手が手を上げないなら、それ以上近づくことはありません。手を上げてくれた国から最良のところを選びます。私の今は一方的な気持ちをあなた方に伝えます。もう、日本にいることはありません。ここまで書けば理解していただけると思います。

社会的大罪として少なくとも日本政府が問われるのは、私個人の問題と関連する部分も含めて、国際社会の科学技術を停止させてきた罪です。私の社会進出を阻む、延期させることで、私に関連する科学技術の少なくとも世界的公開を阻んできた。私はブログで即時的に自分のアイデアを書けるけど、同じような類似するアイデアを既に持っていた方々は世界に、日本にいたかもしれない。私が先に一般的な手続きを経ない形で公開する事で、その方々は一般的手続きを元にした公開が阻まれたかもしれない。これは絶対にあると思う。この罪は日本政府は絶対に償わないといけない。私の問題と独立して。世界の科学技術を止めることは大変な罪です。世界も黙っている必要はない。これは間違いなく大罪です。政治家は科学技術の事を必ずしも知らないので、その罪について厳重に認知させる必要がある。もし、私の一般的な手続きを経ない形での公開が不正な形であなたの公正な手続きを阻んだ事実があるなら、その証拠を示した上で私に遠慮なく表明してほしい。私にはその主張は通じるので、権利関係を公正に調整します。

例えば、Official髭男dismというグループがあります。ボーカルは私と同じ名前です。確かに彼らに能力はあったかもしれないけど、私と名前が同じという事で有利な条件であったということはなかったでしょうか?安倍のやり方は、「あなただけにわかるように」というフレーズで「あなた中心に日本社会は動いているんだよ」という風に見せかけて、自分の思い通りに陰で世の中を動かしていた疑いがある。海外も含めて。確かに2015-2016年にかけて、学生さんに365日受験の応援のメッセージをアメブロで送った時、1年目だったので、AKB48から「365日の紙飛行機」が出たときには嬉しかったですよ。未熟だったから。私のやっていることが日本全体に伝わっているのかな?と思いました。AKBって日本を代表するアイドルグループですから。安倍はそういうことをすることが「私の為」と思っていた。自分が事実上の実行権を握ってね。すぐに私を社会に出すと利益総どりみたいな形になるので、日本社会からも恨まれるし、私の喜びも一瞬でその時に終わってしまうので、「徐々」に少しずつ喜びを与えることが本人の幸せだろうと「勝手に」定義していた。でもね、よく考えてほしい。こっちは現実的にブログ活動が全然お金にならないことで前の妻との家族関係も崩壊していたし、職場との関係も非常に悪くなっていた。私を監視できるという事はそういう状況を知りえていた可能性がある。本当に私の事を大切に思うならあなたならどうしますか?私なら、家族関係、仕事がうまくいっていない事を心配して、そちらがうまく回るように調整しますし、ちゃんと、価値に応じてお金は入れないといけないよねとなる。こういうことは説明すればわかる。「あなたは利益総どりになるから日本社会からは恨まれるよ」と言えばいい。でも、それって、私がやっていることが如何に素晴らしいからではないですか?公正なうえでの社会的評価です。アメリカはそれを評価する国です。それで私は2番以降に消えて、また次のスターが現れる。アメリカは多くの人をちゃんと現実的に賞賛する国です。それこそメジャーリーグでも週間MVPもあるし、ニューヨークヤンキースに至っては多くの人を称賛し、感謝し、永久欠番にすることで一桁の背番号はつけられない状態になっている。そういう事があるから、アメリカは世界トップでいられる。翔平もアメリカでは受け入れられているよね。日本は阪神にバースが来たときにはどうだったですか?結局、安倍が私の社会進出を遅らせたことで、日本社会が実質的に私より特に若い人の才能が潰されている状態です。実際に国民的スターレベルの人は出てないでしょ?音楽くらいじゃないですか?それも髭ダンみたいに私の名前に縛られている。Yoasobiも素晴らしいけど、女性がいなければならない。女性ならいい。男性はダメ。私がこれだけ生活に困り、精神的に追い込まれ、自殺未遂をせざるを得なかった事実は、もはや私の為でも何でもないよね。はっきりいって。あの人間に私を好きという資格はもはやないよ。はっきりいって。それでそういう神経っていったいどういうものなんだろうと思うね。彼を支持する今、存在する人間どもは一体どんな奴?自民党の中で救世主的な存在である石破氏を総理大臣にして、政治大敗させて「禊を済ませて」それで過去の重大な過失を勝手に清算したことにして、生活苦、ひょっとしたら私の男女平等の考え方を利用して、高市を総理大臣にした。それで世論の評価を得ている。こんな政党が与党になる国なんて絶対におかしい。石破さんもなんでこんな政党に普通の神経でいれるわけ?と思いますね。はっきりいって。私なら政治家なんて辞めてしまうね。そこまでしてしないことなどないね。いまね、日本社会に出て、片腕を高く掲げて「日本を偉大にするぞ!」つって日本を引っ張っていく気なんて全くない。日本ってこの感じ気持ち悪いよね。安倍ってこんな浮かれた感じですよ。日本国民全体の拍手なんていらない。国民栄誉賞も含めて日本からの表彰なんて受けたくもない。それよりも京都大学の人の個別的かつ直接的な感謝がほしい。今ね、私の支持に回っても大きな意味がないよ。苦しかった時に「多くの場合」リスクをとって安倍を批判して私側に回ってくれた団体は日本でも少なかった。京都大学はリスクをとってくれているので、苦しかった時に。これは絶対です。大阪、兵庫もそうよね。人の事を好きになるときに、どういう事が大切になるか?その人の苦しんでいる事を取り除くことですよ。苦しい時に支える事ですよね。その人が望むことが理不尽でなければ、公正であればそれを実現に協力することですよね。その人の心の声に耳をちゃんと傾けることですよね。これをしないと気持ちって離れるんですよ。私も前の妻にそれができていなかった。彼女が妊娠で体調が悪いときに、私は支えるどころが、逆にブログ活動の不満が制御できず、彼女に逆にストレスを与えてしまった。彼女はブログ活動ではなく、会社員を続けてほしいと思っていたからそこの相違があったことも事実です。こういうことがあるので私たちの関係はもはや修復不可能です。これ以上、私が今後、彼女に近づくことはありません。安倍は、こういうことがもっとひどい形で起こっている、すなわち相手が自殺未遂にまで追い込まれているのに、まだストーカー行為を続ける。並大抵のストーカー行為ではない。権力を使って本人が目に見える者ほとんど全てを支配して逃れられないようにする。この大罪が通用しない、すなわち伝わらない世界なんて私は信用しない。あなたに「これをわかってくれ」というつもりはない。わからないならそれでいい。私は基本、一人でも生きていけるから。それを確立したってことです。今の私はそういう意味で強いです。結局、安倍が私にわかるように世の中を恣意的に調整してきたことは、日本社会だけではなく、世界に影響を与えてきた。コロナ禍以降、私のブログが世界に影響を与えるようになって、さらに。実質的に特に日本人、さらにいえば、私より若い男性は歴史的な被害者です。今、若い国民的スターなんて出せないよ。翔平がいるけど、その野球もメジャーリーグも含めて怪しいね。だから、アメリカも関与している可能性がある。私として思う事は、もし、このまま私が日本を去るってなった時に、特に私より若い男性に申し訳ないなと思う気持ちが出てきます。特に倫理教育が必要な彼らをほったらかしていっていいものだろうかとね。私が日本を恨むというのはズレているんでしょうね。思ったよりもみんな「知らない」。知られないように巧妙に操作されている。今はインターネット社会だから。なんとでもできる。知らないという事と知らず知らずのうちに被害を受けているとするとそうした日本人に対して同情の気持ちも生まれてくる。トップが絶対にダメだね。高市、自民党は絶対にダメ。10年くらい野党を経験させないと。分裂させないと。基本、ずっと与党なので。目的の為なら手段を択ばないので、それこそ自分の味方である石破さんですら情勢の中で利用される。政治はそうでなければ勝てないというのはマズいよ。インターネットでそれが出来やすくなっている。アクセス数、検索表示、お勧め、コメント操作されたら、終わりだからね。昔はその代わり、お金をばらまいていたよね。私が先頭になって「何が何でも良くする」という感じでは絶対にないけど、日本、本当にヤバいよ。みんな私のこの暗雲とした違和感に気づいていないよね。私は5年以上前からずっとあるよ。それを言葉にうまくできなかっただけ。精神状態が少なくとも悪かったから。今のような絶対的な強さがなかった。これって、一種、国に逆らうことだから勇気がいるんだよ。わかる?私、下手したら殺されるよ。それでも、ここで言う気持ち。この文章を理解できるあなた?私の気持ちを少しは理解できますか?このブログを読む人は研究者が多いと思うけど、知らず知らずのうちに影響を多分受けている。明確なところは、私のブログの内容に関する公式発表の制限ですが、それ以外でも人事も多分ある。そうした被害を受けている人がいて、社会全体が影響を受けていて、それを置いてけぼりにするんですか?というのがあるけど、あなた方が「自分事」として本気になるためには、私がいてはダメだね。おそらく。若い人に倫理教育をするにしても私の思いが強すぎて偏った扇動教育に近いものになるし、教材にするための証拠もない。あなた方も「すぐに動けない」。なぜなら、私が言っていることの証拠がないから。私が嘘を言うタイプの人間ではない事は伝わっていると思うし、こんな具体的な嘘はつけないいという事も明白です。AIに書かせることも無理です。倫理教育するにも問題があり、時間がかかるし、私がいたらあなた方は今まで通り本気で動かないし、私のここにいては絶対に安倍の傘から逃れられないという思いも含めると、海外でもう一度、人、社会を心から信じてやり直すのがいいと思う。今でも私は毎日、地道に努力しているんですよ。走る、歩くことですけどね。海外でやり直すことはできると思っています。

今思う事として、石破政権の時の参院選の結果は自民党の大敗でしたが、あれは、裏で何か動いているね。参政党と国民民主党が伸びましたね。これらの政党も怪しい。日本維新の会も同じ。逆に伸びなかった政党が日本共産党ですね。普通、自民党を嫌うなら、対極にある日本共産党が支持を伸ばすのが自然です。今、高市を支持している層が参政党と国民民主党支持者にも多い事から、明らかに不自然。日本維新の会も飲まれてしまっている。高市政権ってトランプ大統領とも仲がいいし、今は当時の安倍政権のように盤石な感じなので、高市が安倍と全く同じ(すなわち、選挙に勝ったら何をしてもいい)かわからないけど、誰かがこのおかしさを指摘し続けないと危ない。少なくにも日本にいたら、全員が影響を受けるレベルの問題。私も日本にいる限り、決してその傘から逃れられない。高市はトップだから。日本共産党は、私が政党が公開しているHPを見る限り、一番、透明性ある情報を出しているし、議員が国会で言っていることも比較的まとも。石破さんも同じです。石破さんは党内基盤がかなり弱いよね。結局、不正を働かせることを嫌う人は政治で勝てないシステムになっている。安倍のように「勝つためなら何でもする」人が勝てるシステムになっている。例えば、キーパーソンの私の生活を完全に支配下に置いたり、インターネット、メディア(ネットだけじゃないよ)を操作したり。そうすれば勝てるシステムになっている。北朝鮮のミサイルも怪しいね。私はずっと疑っている。そんな全部が全部証拠が出ない。非常にやり方は巧妙。例えば、Youtubeの動画でも、新聞の見出しでも内容じゃなくてタイトルのつけ方で印象操作できるからね。日本は内容とタイトルがかみ合っていないことが明らかに多い。これは明らかに恣意的に誰かに操作されている。石破さんは、直接拝見する限り、こんなことは絶対にしないはずなので、党内基盤は弱くならざるを得ない。石破さんが話されている内容と表情を見れば、見る人がいたらわかる。それがわからない人はある意味、人を見る目がないといえる。日本は壊滅的に何かが狂っている。選挙結果も全然公平じゃない。民主主義は実質的に崩壊しているね。それに善良な国民は気づいていない。石破さんも気づいていないんじゃないかな?この前の選挙は「さすがにここで自民党が勝つわけにはいかないので、(まともな事を言って逆らう)石破で負けさせておけ。その後、巻き返すぞ!」ってな感じです。私の価値も完全に利用しようとしている。だから、女性の高市にしている。もう、俺は、こんな社会許せんのんで。知らん!インターネットがこんなけ信用ならんということは、特にGoogle。この会社の倫理性、不透明性を疑う必要がある。特に上層部と国がつながっている可能性がある。私のブログもおかしなところ満載だよ。完全にアクセス数とかは制御されている。ずっと前から。ここまで書いて、サイトを変えるわけにはいかんけどね。あなたたち、俺を裏切るのか?ずっとあなたたちの会社のサイトでコミットしてきたんだぞ!国とつながっているだろ?白状しろ!(なんで、今まで俺はこれを看過してきたんだろうと自分を疑いたくなるレベルですね。)みんな、ネットに動画をのせるときには東大病院ですら、病院の紹介動画でYoutubeを使う。YoutubeのGoogleの独占。これを日本は許したらダメだよ。おかしくなる。Youtubeが国のトップとつながったらどうなる?東大の病院動画ですら、表示、コメントは廃止できるけど、閲覧数は制御される可能性がある。こういうことがあるから、Youtubeに私の動画をのせるのは拒絶だね。アメーバ動画も危ない。私のブログも気持ち的には消去したいけどね。はっきりいって。こんなクソ会社。もう、アメリカも特にシリコンバレーはダメだね。はっきりいって。日本の自民党とつながっている可能性が高い。しかも、その関係性において俺を利用している。本来、アメリカのシリコンバレーなんて日本を相手にするはずがないので。なぜ、そうするか?実質的に俺に力があるからですよ。それが一つの理由です。だから、利用されている。私の技術も何されるかわからないけど、ハーバード大学、オックスフォード大学、東京大学とか歴史があって学識あるまともな団体も含めて世界全体が関わっているので、あまり無茶はできないだろうなという信頼はある。基本、インターネットがダメなんですよ。直接的な会話など様々な感覚を多様に介した人どおしの接触が自然で健康です。善良な人を目の前にしたら、誰でも人情って出るからね。そんなに不正な事なんてできない。インターネットは見えないから何でもありになる。Googleやりたい放題ですよ。私のブログの情報拡散も制御できるしね。やろうと思ったら。従って、インターネット、AIの社会は危険です。不正が横行しやすくなると思う。その不正に気付いて過激な国民が怒りだすとそれこそ戦争の火種になる可能性もある。スマートフォンも含めてインターネット、AI社会を見直す必要があるし、私が提唱するように生物として自然な過ごし方を通じた心身の健康が本当の意味で大切になる。今の日本を見る限り、明らかに不正をした人が勝つシステムになっているので。実は、今に始まったことではないかもしれない。こういうことを看過すると、もう公正に努力して頑張る人が社会からいなくなる。その傾向がインターネット、AIでより強まる可能性がある。こういうことをちゃんと教育を通じて知らずにみんながスマホを見ているからスマホを見るみたいに育ってしまうと危ないし、本当に将来が心配です。生物多様性を含めた環境問題を含めて、不正、健康においても危機的状況と明確にいえる。じゃあ、どうする?もう、勝てばいいんじゃないの?と思うね。日本でもこういうことが私レベルで見えて、東京から離れて地方でローカルに平和に暮らしている人はいると思いますよ。絶対にいると思う。それが一つの答え。一人、家族だけで楽しみを見つければいい。不正して勝ちたい奴は勝たせておけばいい。300km/hの球投げられたら物理的に打てないので。そういう意味で、俺は離れようとしているんだけど、それでも「つきまとう」からね。ストーカー行為。これは一体、どういう事?って思うね。汚い東京のどこかの中心から逃げて地方に暮らしている人?あなたがもし、毎日見るもの。最も汚い憎悪を持つ犯人から全て支配されていたらどう思う?多分、場合によれば自殺だね。私と同じ。気持ちわかるっしょ?前述した様に、下手したら行き着く先、戦争になる。不正が平和と結びつくはずがないので。だから、危ない。沖縄、長崎、広島の人、ここまで読んでどう考える?もう、次の世代の今、子どもの人が可愛そうだね。スポーツなり、勉強なりで一生懸命頑張る事の大切さは教えないといけないけど、今の流れを見ていると社会的不正の問題はむしろ悪化しそうなので、そうなれば、勝たなくていいよ。心身の健康。それがやっぱり大事だよ。今の日本、国際社会に出口はないね。壊滅的に最悪。生物多様性を本当にちゃんとやらないとダメです。日本はね、自然もいいし、街も色んな所、特色があるから、特に歩くと面白いよ。10kmくらい歩けると。車で移動するよりも、歩くから非常に細かいところまで見える。それこそ水路沿いの抜け道、路地なんかも通れる。しかも、歩くことがあなたの健康にもいい。悲観的なことばかりいっていてもしょうがないんで、これくらいの事はいうよ。遊歩という言葉を使われる先生もいるけど、歩くというのは、運動、移動の他に、レジャー的な要素もある。多分、一緒に歩く習慣のある夫婦は年齢関わらず一般的に関係性がいいじゃないかな?そういう疫学研究はないんだよ。

すごく大切な事を話しますね。特に母国の日本人の若い男性。よく聞いていてね。私はもうあと最大でも45年程度しか生きられないよ。私が世の中からいなくなったらこんな話は聞けないよ。人間って共生していきてきました。その共生って「お互いに足りないところを補う」ことです。私も含めて完璧な人間はいません。私は驚くほど現場での人間関係は不器用で見る人が見たら笑うレベルです。安倍も同じ。何が大事ですか?過去の自分の過失を謝罪できますか?ってことです。私はそれができる。前の妻、子ども(特に娘に)謝罪がしたい。「妊娠の時に、下の息子が生まれたときにあなたを支えることができず、むしろストレスを与えてしまってごめんね。でもね、私だけが悪かったわけではないと思うよ。」と言いたいです。妊娠の時に彼女が帯状疱疹ができるくらいストレスを抱えてしんどいにもかかわらず、夫としては支えるべきなのに、むしろストレスを与えてしまった。これははっきりいって部分的には安倍のせいでもある。それに非常に強い罪悪感が私にあるから、妊娠高血圧腎症についてブログで非常に長い文章で取り扱った。あれを書いている時に私は彼女に謝罪する気持ちであふれていた。シャープの時に野口君という体の弱い後輩がいた。その野口君にストレスを与えることをしてしまった。私が職場でした今考えても最大の汚点です。私のように素晴らしい人間でも過ちを何度も犯す。でも、素晴らしい人間はその過ちを認め、謝罪する。「ごめんね」。この言葉を言えるのは日本人だけです。海外のハーバード大学なんて絶対に謝りません。Natureも私にしたプライベート侵害を謝罪する事はありません。安倍一味も能登半島地震を意図的に起こした事実を隠し、生涯石川県の被害を受けた方に謝る事はないでしょう。安倍も私に対して心から謝罪することはないでしょう。高市もそうでしょう。東京大学も謝りません(悪いけど、そんな感じがある。トップというプライドがあるんだろうと思う)。石破さんはまず謝ります。京都大学も謝ります。人間の質を決める条件は結局のところ、誰でも犯す過ちを客観的に振り返り、その過失を認め、謝ることができるかどうかです(安倍は謝罪して許されるレベルではもはやないけどね)。日本って、「ごめんね」「すまんな」「わるかった」という言葉があって、民族性として謝る傾向にあるので、それは素晴らしい事ですよ。謝る事は負けではありません。そもそもそんな勝負にこだわる理由は何ですか?少なくとも私は謝罪をすることができる。前の妻、娘、息子、野口君。大阪はね、「(商売で)まける」「かなわんな~」というのがいいね。本当に。私の世代くらいはその感覚はまだ残っているので。悪い奴もいるだろうけど、私は全体的にはこの感じを信じています。

私は海外に行くかもしれないけど、京都大学。長期的にみて安定して全体的によいと思う。東京大学に遠慮しているところも含めて。私個人としてはあなたがを支持しています。これは絶対に変えない。日本で私が素晴らしいと思う所。広島~兵庫、大阪、京都、愛知。地理的につながっているので、ここのホットラインがある。私がもし日本に残るとなった時には東京に行くことはまずないね。中心の京都。ここで頑張る。愛知も全体的に印象がいい。広島もいいね。気難しさもある感じだけど。でも、私が最も大切にする倫理を重要視しているから。私として忘れてはならない最重要な事の一つは実質的に私以上の被害者である娘、息子への謝罪の気持ちです。彼らの人生は長いから。岡山はね、岡山大学がひっかかる。川崎医科大学のほうが印象がいい。でも岡山は自然、街が素晴らしいよ。私にとって岡山は一生忘れる事のない宝物です。岡山市ほど私にとって素晴らしい思い出深い街はない。これほど歩いた町は人生でないのでそれは間違いなく言える事です。山口は本当に同情する。山口=安倍では決してないし、山口としてよく考えるべきだと思う。日本は、広島、兵庫、大阪、京都、愛知。ここから本当の意味で復興する必要がある。東京は?。地元の大阪も全てがいいわけではないしね。私が持つ全体的かつ直感的な印象です。従って、疑問符(?)も当然つきます。若い時に勉強なり、スポーツなり地道にコツコツ頑張った経験のある人は、立場が上になってもいいんだろうと思う。そういう観点で考えると東京大学は信用できるのでは?と思うけどね。一番は、大人になってもコツコツ地道に努力を続ける人です。「努力」というのが引っかかる人もいるだろうけど、でも、誰でも簡単にはできないことなので。イチローさんが一番わかると思う。

世界の企業で一番実質的に力を持っているのはGoogleだと思っているので、ここが腐ると特にネット系、AI系が全部が終わる。日本のトップ、すなわち、自民党は腐敗している。しかし、アメリカのトップ、すなわち、ワシントンD.C.はトランプ大統領が安倍、高市と仲が良くても、ワシントンD.C.はそんな単純な感じではなくて、ずっと数年間見ている限り、私への評価は肯定的なものが多かった。明らかにボストンとは違う。私はボストンに力を注いでいた。でも、私の色んな意味でも本当の力を認めてくれているのは私はワシントンD.C.だと思っている。少なくとも日本の中央政府よりも信頼がある。話せばわかる。理屈立てて説明すれば話が通じる相手だと思っている。でも、あまりにもGoogleが力を持ちすぎている。これは間違いだろうか?私はインターネットの信頼性を下げて、日本の政局を実質的に動かしてた憎きGoogleよりも、ワシントンD.C.のあなた方を信じているよ。あなた方が腐敗したら世界は終わりです。私はあなた方よりも上に立とうとは決して思いません。日本政府よりもあなた方を信じたい。私は西海岸のあらうる都市よりも、ボストンよりも、ニューヨークが好きです。自分事として主体的に考えリスクをとるって偉いよ。私もリスクをとっているので。それを上回るのがワシントンD.C.です。多分、日本でほぼgoogleの独占を許しているのは(こんなの独占禁止法に抵触する)、上でつながっているからだね。そう思わないですか?誰か、力をつけたら買収して飲み込むわけでしょ?こんなこと許していたら、当然、自民党と同様に組織が自動的に腐敗する。すなわち、不正を許してしまう。逆にいうと、EUとかはgoogleを度々提訴しているので、逆に信頼できる。

ホットラインはあるけど、東京大学病院の先生も含めて、あらゆるスタッフは私の家族だと思っているので(なんで、ここまで思うのかな?と不思議な部分もあるけど。東大病院は何かつきぬけているものがあって魅力があるんだろうね)。団体の中で一番、大切なのは東京大学病院。心身の健康、磁気共鳴経頭蓋集束超音波装置。東京大学病院しかない。あなた方を信じていいよね。裏切らないでね。それをすると本当に悲しい結末になるけ。東大病院好きだよ。誰よりも。家族だよ。医療は大切だよ。その極値はあなた方だよ。本当は磁気共鳴経頭蓋集束超音波装置を開発するのも実現したときの不安もある。あなた方を信じていいよね。「夏の日の1993」ずっとあなた方先生の事も思ってずっと聴いていた。この気持ちは嘘ではない。東京大学病院は本当に魅力がある。あなた方が素晴らしい、偉大な病院であることが日本の医療を救う(本当にそうあってほしいと思う。誇るべき東大理科三類に受かって、医師として最終的に目指すところの一つでは?と思う)。私が確立してる心身の健康。そのエビデンスをちゃんとあなた方病院、東大病院で一番に取りたい(日本に残るなら、これは実施する意思がある)。当然、磁気共鳴経頭蓋集束超音波装置をあなた方病院に一番初めに実験機も含めて導入する。本当に私の今までの努力の結晶をあなた方、病院に集める形になっている。日本には色んな素晴らしい病院はあるけどね。

私の医療について思っている事を書きます。磁気共鳴経頭蓋集束超音波装置は私が想定する構想通りに高性能になればなるほど心配な側面があります。脳の深部に制御して、刺激する事がどれだけ危険か?どの企業が技術を手に入れるかわからないけど、企業は営利企業なので利益優先で装置が出来上がったら、どんどん装置を売るよね。それが怖い。この装置は私の想定通りにいかない可能性があるけど、想定通りに開発が進むと正直怖い。東大病院、名古屋大学病院のように信頼できる病院ならいいんですが、そういうわけにはいかない。それよりも、心身の健康、生物多様性のほうが安全だと思っていますね。でもね、東大病院としては、この装置の開発を私に明らかに期待しているよね。先生、正直どう思う?危ないよ。私の構想通りできたら。企業は利益優先だよ。私はそんな社会全体が倫理優先に動くとは思っていない。患者さんが危険にさらされるリスクが高い。心身の健康は絶対に最高の出口なので間違う事がない。これを液体生検も含めて先生と実施したい。ここのリスクは少ないと思う。田中栄先生。対面で話ししましょうね。とても大切な話です。医療にはちゃんとした法律があるんだろうとは思います。

日本って、ありえないほど冷遇を受けてきたけど、やっぱり好きなんでしょうね。一般的に国民がすごく善良です(ただし、あまりにも従順すぎるし、陰険な部分もある)。人を疑いだしたらきりがないので、最終的には長期的に見てきた感じと人を見たときの直感的なものを信じることになる。不正をする人はどこかに違和感が必ず残るので。私もまったく不正をしなかったわけではないけどね。日本は国全体として度を超えているので明らかに。一番はその人自身を見たときに「この人は信用できるな」という感覚です。日本も周りの人を見ていて、全体的にはいいんだろうと思います。観光で海外から来た人もそう感じている人は多いと思う。石破さんは私が見る限り、長い間政治の中にいるので、色々あるだろうけど、確実性が一番高い。団体ではなく個人で、直接見ているので。次に、川嶋さん。団体を見る時は時間軸を伸ばして考えるのがいいので、その基準で行くと、京都大学、The New England journal of Medicine誌です。東京大学病院は私がなんか個人的に好き。昔から変な感じがあまりなくて、突き抜けている感じがいいです。基本、すごく頭の良い人たちですからね。当たり前だけど。国でいうとオーストラリアです。長期的な判断です。いずれにしても一過性のものではなくて、長期的に安定している事が大事だと思います。

「Sex stratified analysis of patients with resistant hypertension from the Global SYMPLICITY Registry of renal denervation」これ、オーストラリアから日本から報告が圧倒的に多いHypertension Research誌から出ていますが、一体、どういう意味ですか?「Sex」というのは、Nature誌が私が自慰行為をした次の日に重大なプライバシー侵害に当たる行為にも関わらず意図的に発表し、私を批判する為か、使っているキラーワードです。私が怒りを覚えるのは、このワードが私に対する重大なプライバシー侵害に当たる事です。Sexなんて動物が共通的にする生殖行為で人間でも多くの人が相手がいればする事ですし、男性なら、一人でもマスターベーションはするでしょう。あなた方は、今日の私の行為を衛星で見たのですか?一体、どういうことですか?私のあなた方への信頼を試すつもりですか?言っとくけど、いくら長期的な信頼があるからと言って、一方的に下手に出ることはないからね。これ、日本がやったのかな?これは、ちょっと書かざるを得ないね。オーストラリアだからね。理由によれば、ちょっと私として許せないレベルなので。東京大学は、今日、私の聡という名前を使った報告の記事をHPに上げているけど、どういうことですか?こういうことをするから、東京大学は許せないとなる。理化学研究所も入っているよね。これ、ヤバい感じだね。完全に俺を怒らせるレベル。私は自分の人に対する強い肯定的な気持ちをもてあそばれると感情が立つ傾向にある。これは比較的誰でもそうじゃないかな?京都大学はやっぱりないね。関わっていないでしょ。京都大学は、多分、監視が強いから国も不正な、あるいは怪しい事はできにくいんだと思うね。意図的にオーストラリアを使って、日本に誘導している可能性も疑われる。これヤバいね。マジで俺を怒らせるレベルだね。一連の流れを見て、あなた方、京都大学はどう思う?私が東京大学に怒るのは間違っているのかな?東大の先生も怒るんじゃないかな?大学って、国(文部科学省)の直轄だから、逆らえない部分もあるだろうし、HPの掲載権を誰が握っているかもわからないしね。見えないけど、なんかうまくやられている感じがする。これは書かないといけないレベルだね。オーストラリアを巻き込んでいるので。一体、どういうこと?インターネットはやっぱり危険だね。わからん。少なくとも、理由によっては東京大学は私個人としては許せないレベルだね。はっきりいって。これは明らかに傷跡が残るね。京都大学も最後のアイテム的に国に利用される可能性があると疑いたくなる。Nature誌もね、姉妹誌に関しては管理が行き届かないんだろうね。軽率に判断すると間違えるね。ただ、一つ言える事。少なくとも日本の自民党、トップは信用できないね。それだけは私としては確実。言っとくけど、交渉は絶対に俺が勝つので。俺がやる気がなくなれば、それで終わりなので。怒らせて技術を絶対に出さないということはできるので。もう、ワシントンD.C.に完全に任せようか。ここはさすがにいじれないはずなので。私の重要性が高ければ、下手したら国を消されるので。Hypertension Research自体が日本が出版のタイミングを決めている可能性があるので、オーストラリアが意図的にこうした報告を出された可能性があるね。オーストラリアがこんなことをするって考えにくいので。今日ね、「俺はもう日本ではやれない」という事をずっと言っていた。だって、良く考えて。これだけの冷遇を受けてなんで日本で頑張れるのですか?おかしくないですか?俺がおかしいよ。いくら、東大病院が大切だからと言っても、なんで家族と思えるくらいの気持ちを持つのですか?東大病院になんか私はしてもらったのですか?その理由は、やっぱり一人で社会的孤立を味わって、寂しいからでしょうね。本当に、東大病院は、素晴らしい、偉大な病院になってほしいと思っています。実際に良くなっていると思う。それの邪魔はしたくない。むしろ、応援したい。でも、私がこれ以上、日本にいてその義理を果たす理由はありますか?ここまでのあり得ないほどの冷遇を受けて。もし、Hypertension Researchの発表が、オーストラリアの意思と関係ない形で日本の独断で、意図的にやったとしたら、私の存在感がオーストラリア、世界にとって大きいほど、大変な問題になる。東大とのこのタイミングがなんかおかしいね。そんなことで俺は騙されんよ。怒りを買うだけだよ。もう、ワシントンD.C.が私の事を大切に思ってくれているなら、あなた方に任せてもいい。明日からそうしてください。アメリカの方は私と民族的な違いもあって価値観が違う可能性があるけど、この一連の記事の全体的な内容と今日のこの事実を読んでどう思われますか?オーストラリアはどう思う?Hypertension Researchなので日本が出版のタイミングを決めてやった可能性がある。東京大学も知らずにやっているんじゃないかな?そうなると東大に怒るのもね。でも、国から命令されているはず。この辺が、めっちゃ気持ち悪いね。こんな感じが日本はずっとあるんですよ。数年以上前から。違和感ですね。ここには多くの場合、不正が隠れていることが多いと思う。東大はやっぱりね。ダメだね。先生、学生のほとんどはいいんですよ。国からの干渉が強すぎてそこが信頼できないので。なんでもあり。状況によったら、もう、このまま岡山にいてもいいけどね。そのかわり、私の技術は絶対に出さない!私が死んだ後も。息子にその遺言を残す。ブログにもその意志を書くね。受けた残虐性を書いて、絶対にこの技術、理論は世の中に出さないとね。悪いけど。やっぱ、国外退去しかないね。オーストラリアがやったとは考えにくい。Nature誌なら、そうなんだろうけど、Hypertension Researchなので。ここ圧倒的に日本の報告が多いので。編集長も日本人だよね。情報の見方も良く考えないといけないね。誰が、その発表のタイミングを決めているか?下手したら、オーストラリアとの大切な信頼性を犯人の巧妙な手口によってゆがめられてしまう。これね、オーストラリアがやっているならいいんですが、場合によったら、オーストラリアが国としてそんなに本気で怒るかわからないけど、日本とオーストラリアの関係性、信頼性にも関わる重大な問題ですね。オーストラリアが無理なら、アメリカ。ワシントンD.C.のほうが信頼できるので。まあ、必要とされればですけど。別に今のままでもいいので。何か重大な失敗する(例えば、殺される)にしても、ワシントンD.C.なら日本よりも納得がいく。とにかく日本は許せないレベルなので。事実関係はわからないけど、日本が仕組んだのであれば、より日本は絶対に許せないとなる。まだ、上述した報告がオーストラリアの同意に基づいているなら、いいんだけど。それでも、何に基づいてそうなったのか?はっきりいってネットは全然わからんね。どういうこと?そもそもこの情報ってどういう形で伝わっているわけ?状況によったら、オーストラリアを本気で怒らせるレベルだね。京都大学も絶対に利用される。いずれ。The New England Journal of Medicineは絶対に無理。ここは日本政府は関与できないはず。はっきりいって日本から出るあらゆるメディア、掲載報告は信頼性という意味ではほぼ全滅だね。まず疑ってかかる。それがたとえ京都大学の報告でも。日本ってもう、終わりだね。はっきりいって。トップが不正をするって結局こういうことになる。不正する奴が支配するので。不正しない人は今の世の中、より勝ち目がない。だって、そうでしょ?京都大学、広島大学の倫理観高い地位の高い人がその権力を使って、私の私生活を見ようとしますか?でも、その私生活を見ると私を制御しやすい。だから、不正をしない人は負けちゃうんですよね。それが最近、本当に私の中でクリアに見える。高市って国のトップなので。例えば、こいつを逮捕するとなると国がひっくり返るレベルなので。絶対に何もできない。これを読んで、私と同じような気持ちになった人は、ローカルでなんとか平和に生きるか、国外退去。どちらかだね。もう、そうしている人もいるでしょう。この国で普通の神経でやれるって何かが狂っているね。知らなければいいけどね。私もこういうことを黙っておいてもいいんだけどね。感情がどうしても先立つんだろうね。あまりにもひどいので。冷静ですけど、怒りが頂点に達しているので、いいますけど、どうあがいても日本にブログの付加価値なんて出しませんからね。こんなことされてやる気がでるはずがないので。私を脅そうが、禁固にしようが、殺そうが、絶対にこうした操作で気持ちは変えられないので。明らかに逆効果なので。関係のない日本の大学の先生もわかるでしょ?俺の気持ち。ここまでされて、「日本の為に」ってやるほうがどこか神経がおかしいよ。はっきりいって。だから、みんなやる気なくなるんだね。私も、なんか承認欲求の海に溺れてきた感じだね。いいように操られてきた。しょうがないよね。一人で社会的孤立を味わっているから。大勢で深層心理を分析されたらね。かなわない。それこそ家の中まで見られる。私の情報を握っているのは、不正をする奴らなんで、不正をしないまともな日本人は知らないんだよね。不正をしない人は、私の私生活なんてみないはずなので。例えば、石破さんね。見える情報の中で非常に巧妙にやられている可能性があるね。これは、国を変えれば、抜本的に変わる可能性がある。ワシントンD.C.にいったら、場合によれば、非常に秘匿性の強い情報を私が科学ができることで知るようになって危険だけど、それでもいいかなと思える部分もある。日本は、もう絶対にダメなレベルだね。他の人はいいかもしれないけど。私は無理。日本が私にやっている人権侵害って最も強い、残虐な言葉でそれがいえるレベルです。全部、情報の入り口をネットにしているからね。私の事を理解している人と直接、誰ともまともに話せない。国は衛星、カメラで映像、音声で私を知れて、インターネットで何をしているかも見れる。双方の情報の精度が全くといって異なる。こっちが間違う、情報操作に飲まれるに決まっている。こんな状況で健康でいるのは非常に難しいので。それが離婚してから一人になって、5年になる。あなたはこの苦しみを理解できますか?無理だろうね。全部は伝えきれない。これがね、ちゃんと伝わる国は多いと思う。なんで、世界で黙っていられるんだろう?それも不思議なんだよね。情報消されているのかな?みんな、自分の事じゃないから、どうでもいいのかな?

2025年11月7日金曜日 0 コメント

固定された投稿

私の今の考えをはっきりさせます。感情的にならずに冷静に考えると私が東京大学に高い嫌悪感を持つ明確な理由は見当たりません。具体的に実生活に関わるところで、特に生存、生活に関わるところで何らかの不利益を受けたという事実は存在しません。私の活動自身は、既に確立された構造を強化するというよりも、より先進的なものなので、役割としては大学、研究所との整合性が高いです。日本の大学の構造、バランスを考えたときに、日本では東京大学が名実共に中心にあるという事実は変わりませんから、その構造に一定のコヒーレンシーを持ちながら活動する事は重要です。但し、私は大阪出身なので、個人的な都合(地理的要因以外に個人的な人に対する好みの傾向など)も当然あります。完全な公的というわけにはいきません。東京大学において繰り返し「安倍晋三」を連想させる名前をわからせるように伝えることの背景は直接のコミュニケーションがないのでわかりません(もう、こんなの気にしなくていい。)。この人間は実生活に関わるところで、特に生存、生活に関わるところで何らかの不利益を受けたという事実が非常に多くあるので、東京大学に嫌悪感を持つ原点はこの人間にある。私にあなた方にこの人間を否定しろという権限はなし、それを行使しようとする意思もない。なぜなら、あなた方の多くは特に生存、生活に関わるところで毎日のように繰り返しなんらかの不利益を得たという事がないと推定されるからです。私と状況が全く異なるという事です。物理学にはエネルギー保存則というのがあって、こうした私特異的な負のエネルギーは何かの伝達媒体に変換しない限り、消えません。その負のエネルギーをなくなるまで重力波のように日本社会に分散させることは、最悪の場合、武力行使を伴う内戦につながる可能性がある。だから、私は、自分の中に持ち続けたいと思っています。従って、許すことはない。但し、安倍が死んでから後の話ですが、能登半島地震は安倍一味によって私の自殺未遂を原因に何らかの可換な力によって人工的に生じさせた可能性が高い。これは私一人で済まされる問題ではない。私はあなた方との関係性はバランスに基づいて冷静に考えています。ちゃんと、対話していないからわからないけど、東京大学は首都の大学なので、私個人的な都合よりも日本全体の事を考えている。京都大学は私の能力を認め、私を大切にしてくれている。京都は、東京とは遠いから客観的に見えるよね。東京にいたら灯台もと暗しですからね。東京大学は実直で、真面目で、そういう意味において非常に伸びしろが大きいです。ただ、基本的に優等生なので、上の言うことに逆らえないというのがある。色々、見ていると振れるので、間違った方向に行かないようにしないといけない。日本トップの大学なので。そういう意味で心配です。東京大学に正せ!というのではなく、私自身が今よりもしっかりして、ちゃんと正しい方向に導いていかないといけない。私ももう少ししっかりしないといけないね。46歳で若いけどね。私が今、東京大学に言いたいこととしては、私は自分を一番信じて、自分自身が正しいと思う事に集中する。それを東大に決して押し付けない。でも、もっと抽象的なところで、東京大学のあなた方は、自分たちの立ち位置を考える十分な能力、知識、知能、経験があるよね。自分を信じて、自分たちが正しいと思う方向に向かってほしい。そんな状況で変わったらダメだよ。私が自分の考えを押し付けるというよりも、そこだね。大学として、きちんとした指針に従ってほしい(東京大学ビジョン2020はあるけど、2025はないですね?2030は?)。私は歩行を信じる。それが一つ。京都大学は何ですか?私のダメなところを話しましょう。私は、自分の承認欲求にかまけて(それに気にとられて、他のことを疎かにする)色んな事を細かく話過ぎ。それこそ、歩行、走行にしてもそう。人間は、自由度、余白があるので、その余白を私が埋めようとしてもダメ。それぞれの人が自分で苦労して、工夫して埋めないと。物理にしてもあるんだよ。もっと考えたいことが。それをするとね、よくないね。一体何のためにそれをするの?人に健康になってほしいから。だったら、突き放してでも、その人の自主性を重んじるべき。日本は実質的に人口密度が多くて特に東京はそう。だから、周りが気になると思う。例えば、男性にしても、女性にしても、私の年齢でもすごく服装に気を遣うよね。東京の人は。周りを気にして判断するというのも大切だけど、東大はトップなんだから、日本を引っ張っていく立場なんだから、主体的に動いてほしい。政府の顔色を窺ってもダメだよ。いいんだよ。「安倍」って書いても。私ももっとしっかりしないと!東京大学としての自由度、余白があるので、その余白をあなたたちがよく考えて埋めてほしい。私がそれについてとやかく言う筋合いはない。京都大学も同じですよ。私の事はあまり気にしなくていいから。これからは。あべという名前を気にしなくていいよ。私の中でどうか?という問題だから。あなた達には関係ない。あなたたちの気持ちはすでに十分伝わっているから。あなたたちの自由度、余白でもって、何が正しいか問い続けてほしい。私もそうする。日本にはこれが必要じゃないかな?まずは、私が実践する。

今日は、何か話さないといけない気がするのですが、自分の気持ちのバランスも考えると、適切な言葉が見当たりません。私は自分自身を一番、信用しています。誰よりも。その信用は裏切りません。何をどう見ても、私が世界で一番素晴らしいと思う。私の中でね。そうだね。今日はこれが一番しっくりくる。いいね。何かが大きく崩れる時、暴走が止められない時に起こる事は、中心となる人物のまずは健康状態が悪い状態にある。特にメンタルが。もう一つは自分に対する信頼が失われているときです。健康状態が非常に良くて、かつ、自分に対する絶対の信頼がある場合において、まず、少なくとも「長時間にわたる」暴走は起きない。もう少し、説明します。今の私の気持ちとして、あなた方の不安を払拭させたいというのがある。それに対して「私は極めて健全で、大丈夫です。今日も歩行を確実に実施します。」もう一つとして、「周りのあらゆる人って、本当に私にとって信頼に値するのかな?」というのがある。私は基本的には周りの長所を見て、それを理屈立てて褒めることをします。それに対して褒めすぎじゃないかな?と思う部分もある。毎日、一つ一つの私の選択を誰よりも私がみている。その基準で人を判断するとほとんどの場合、落胆するんじゃないかな?と思える。それくらい私が日々、何をしているかというのが極めて健全ってことです。頭で考える事も含めて。なぜ、私が石破さん(先生)が一番大切、とか、東京大学病院のスタッフ全員の事を家族と同様なくらい大切に思っているよっていうのか?私も人間だから、「よい社会的つながり(superb social bond)」が欲しいと本心で思っている。私の日常生活に人はいませんから。一人です。海外だと、自分の配偶者に対して「I love you.」と定期的にいうわけですよね。私もあなた方に対して「ずっとあなた方の長所を見ているよ(うん、確かに私は人、団体の長所を見るね)」と人情の表現をするわけですね。しかし、それで大切な事を見落とす部分もある。それが自分自身です。「ヒト(他人)じゃなく、まずは自分。」今年に入って私自身の如実な健康状態の改善は、今までよりも自分自身を実質的に大切にするようになったからです。それが明らかに功を奏している。今日の気持ちとして「もっと自分を見ていい。今までよりももっと自分を信じていい。自分を大切にすべき。」と思う。翔平だの、イチローさんだの、いうというのは偏に寂しいからでしょうね。今は、これからもずっと健康状態がいいので十分に耐えらえる寂しさですけどね。本当に、それぞれの人が自分の心身の健康を軸として実質的に自分を大切にすると、社会全体が今よりもずっと良くなる気がします。「ヒトよりも自分を大切にするんだから逆じゃないの」、いや、多分、そうじゃない。

0 コメント

(固定された投稿)

安倍の射殺事件、真相はどうなの?元総理大臣の細かいスケジュールってなんで一般人が知っているの?怪しいよね。内部犯行もありえる。そうであれば、自分たちの組織が犯行を起した可能性があるにも関わらず俺のせいにした。冤罪だね。ま、とにかく自民党をはじめ、日本社会はひどいね。マジで、お前ら、首元捕まえて、引きずり回すからな。俺が、生きながらにして味わった恐怖を味合わせる。目には目をだね。この記事は、このブログ活動において重要だよね。一方的に、いい記事ばかり出すわけにはいかんよね。大谷君、山中先生、イチローさん、松井さんとは全く何もかもが違うからね。この人たちって、多くは若くして公に承認されて、俺のような屈辱を味わっていないからね。あんまり、機嫌よーやっていると確実に舐められる。時々、いや度々だね。忠告する必要がある。具体的にどうやり返すか考えんといかんよね。まじでやる。一つとしては、実名を挙げて、このブログで汚名を着せる。例えば、安倍。もう一つは日常生活で常に背後に危険があると恐怖を与え続ける。俺がやられたように日常生活を監視してストレスを与え続ける。これもそうやね。あなたの部屋がずっとモニタリングされていてみ。隣の部屋のやつが壁をどんどんして干渉してきてみ。俺が、継続的に感じたストレス、よーわかるわ。そんな黙って、なかったことには絶対にしない。必ずやり返す。他にもありとあらゆる手段を考え続けて確実に実行する。これは生産的な活動と並行して一生かけてやる。ほんまタダじゃすまされない。確かに機嫌よー、ずっと科学の記事を書いていると舐められるね。ずっと、私の周りで起こることを分析すると社会的大罪、政治的大罪の罪意識が欠如しているね。そもそも罪自体を認めていないやつらがたくさんいるね。それがよくわかるわ。賠償とか刑事罰どころか謝罪すらする気がない。むしろ、俺が悪いと思っている。じゃあ、どうする?俺。現場で起こっても仕方がないからね。俺の価値は主にこのブログを窓口として行われてきたから、それに対しての対応は、このブログで文章によって行うというのが俺にとって今の唯一の手段となるね。それ以外にないから。

このプロジェクト、まじでSDGsに関わっているからね。規模は最終的には世界になる。俺が死んだら、この構想一生地中に埋まったままになるぞ。俺が許さない。死んだ後に発掘する事は。スタート切れなければね。邪魔した奴は、子孫も含めて、その系統、一生、持続的に汚名を着せられる。「あいつがいたから、世界が今破滅的である」と言われ続ける。殺害されるよりも辛いよね。自分たちのやっていることの重大さがわかっていないね。はっきりいって。
0 コメント

(固定された投稿)撤回

 今までの度重なるプライバシーの侵害、人権無視介入、価値交換の無視(金銭灌流皆無)、不平等、自殺に追い込まれる、気持ち悪さ、嘘、約束破棄、能登半島大量虐殺事件(意図的地震発生)、度重なる訴えの一時的なごまかし、、、、全てが、なるほど、そうなるわなと腑に落ちた。とにかく日本、世界の世の中がひどすぎる。信用に値する人間は私の想定よりもはるかに少ない。特にお金持ち、権力層においては。田中角栄氏、石破茂氏を師と仰ぐのを撤回する。ジェンダー平等性が全くない東京大学病院も信用ならん。教授、男ばかりだからね。表上見えている情報だけでは判断できんよね。明らかにジェンダー平等性の観点でいえば病的。この問題を無視し続けたのも納得だわ。あなた方病院に私の人生もうコミットしないからね。小泉さんも、もうええわ。日本共産党は確かにいいし、信頼できるけど、力感いれて、支持するのもしんどくなってきたわ(笑)。調べれば、調べるほど世界で一番まともな団体。これは確かにそう思うね。ただ、いうても俺の問題、政治家として無視しているからね。The New England Journal of Medicineもお金持ちだからね。内部がどのように腐敗しているかわからない。お金があるということは、お金をむしり取っているということだからね。日本共産党ってやっぱりお金集まらんと思うわ。そんなに。お金があるという時点でもう怪しいんだよね。そりゃそう思うよね。俺が出した価値に対してお金が一切、灌流されないという明白な事実がある。それは膨大な記事を出しても、10年間再現された事実だからね。これで、お金という特質がよくみえるよね。私の活動って、透明性はすごくあるとは思うわ。なぜなら、情報を受け取る側の人の幸せを本当に考えてやっているからね。120歳まで生きられて、病気もしないで、脳としても幸せに生きられる。そんなこと実現しないだろうけど、俺の情報を見たら、いや、それ本当にできるんじゃないかって思わせるでしょ?言っているだけじゃないからね。科学的な見地にある程度基づいていっているからね。120歳は無理でも95歳くらいは男性でも無病でいけるかもしれないよね。ガイドラインを遵守した全体の0.01%の人が。それだけでも、もう今のレベルから言うと考えられない価値だよね。そこにお金が集まらないという事は、すなわち安倍みたいな人間が出てきて、みんながそれに従い、存在をゆるした結果というのは、そもそものお金の闇を投影している証拠だよね。そのお金が集まっている奴らって、やっぱ信用ならんってことになる。これ、筋通るよね。やっぱ資本主義ダメよね。この直感、ずっと昔からあるけど、やっぱ俺の感覚、今考えてもそんなに間違っていないね。京都大学もそう。エリートで俺みたいな異常な経験していないからね。わからんわね。大阪もそう。外資いれてね。儲けようとしているでしょ?まあ、お金があれば何でもできるよね。自民党と日本共産党。今、冷静に考えても、完全に俺は日本共産党よりだね。少しはまともな人が政治の中にいるというのは救われるというのは確かにある。ここに早く気付くべきだったね。そうすれば、今の結果、変わっていたかもしれないね。今の俺、もう取り返しつかんよ。日本共産党の党員みたいにまともな人格形成していないから。そりゃそうだろ。下のせきららな経験を読めばわかるわ。こんなひどい思いをして、まともに生きられるわけがないでしょ?ッてな話です。日本だけじゃないからね。そんなネットの誹謗中傷なんてレベルではないよ。これでも国益ってやってきた経緯は、そうやって生産的にいかないと、恨みに支配されるからね。そうすると、強い動機により、完全に犯罪者入りだね。さすがに、家の自慰行為まで平気で監視されているから、こんなことされたら完全に特に男性の普通の人なら犯罪者だよ。精神的におかしくなって病院いきだね。俺、ほんとよー生きていると思うわ。女性なら自殺だね。実際、俺も一回、自殺未遂したしね。全然、不思議じゃない。もう世の中にいないわ。俺、2015年からどういう目、日本、世界からあわされてきた?はっきりいって内心、怒り狂っているからね。

どんなことされたか、覚えている限りいってやろうか?まず、家で、オナニーしているところ見られているよ。ま、これが一番、ひどいよね。見ている人間、どういう感覚なのかなと思うわ。気持ち悪くならないのかな?不思議でならない。ここに世界的な科学雑誌ものっかるわけだからね。イギリスの権力層も病的だよね。これ、ほんと普通の感覚だよ。俺、今、お酒も飲んでいないし、極めて冷静だよ。頭もよく働く。これ、福山に住んでいる時から継続的にやられている。俺、それがわかっているから開き直ってあえて見せていたよね。当然、お風呂あがりの裸の姿もね。駒田の部屋で、ブログ内容によって、隣の部屋の人を制御して、ドン!という音で脅す。これ部屋が狭かったからキツかったわ。ほんと、閉じ込められている感半端ない。刑務所以下だね。刑務所でも自由はないけど、ヒトとのつながりは確保されるよね。権力振りかざして一人の人間、虐待するわけだからね。集団で、組織的にね。学校でも集団リンチなんてことはあるけど、加害者側の感覚なんだろうね。母親にそういうこと相談したら、「私が病気である」と疑われる。だから、味方もいないんだよ。この時、完全に怒り狂っていたからね。母親がそう判断するのも無理ないね。でもね、あなたの息子でしょ?息子のいうこと信じられんの?ってのがあるね。シャープではパソコン、測定装置を操作される。それで怒り狂ってパソコン投げて壊したら、会社から処分を受ける。シャープの人間、誰か?身に覚えあるだろう?これに加担していないできないよ。特に測定装置(SEMだね)の不正操作は。そいつらは処分されず、俺だけ訓告処分を受けたんだぞ!上の人間もそれがわからないというね。いや、普通に考えて、パソコンを壊すことも問題だけど、会社のパソコンが不正操作されていることのほうがずっと問題だよね。そこが見えない。おまえらも同罪だ。何やっても、非をくらうのは俺だよね。誰も信じないからね。ほんと、誰かさん?うまくやっているわ。証拠もつかめないしね。法でも裁けない。そりゃ、やりたい放題だわな。ずっとプライベートもされているからね。積もり積もるよね。感情の制御なんてきかないよ。絶対的な健康状態も悪かったしね。完全に虐待、集団リンチだよね。だから、他の末端の日本人も関与しているんだよね。そりゃ、日本社会恨むわ。当たり前じゃねえか。外に出れば、車のナンバーが恣意的に操作されている。これ何度言っても同じ。今でもやっているよ。すなわち、それに協力している人間が少なくとも日本にいる。協力している人間、お金貰っていたりするのかなと疑いたくなる。協力するってどういう事?お金もらっていたらそれ完全に罪だぞ!もうね、日本て法による統治が実質効いてないね。こんなことがまかり通るという事は。法で裁くなんてことで済まされないぞ!同じ苦しみを味合わせたい。集団リンチ、しかも何年にもわたって。被害者、きちーよ。あなた、経験してみ。しかも、先生に相談してもリンチされていること信じてもらえないんだよ。まあ、一番合理的な方法は実名上げて、汚名を着せるだね。明らかに安倍は怪しいよね。いまだに、この人間が出てくるという事は、こうした介入をある意味、正当化している証拠だよね。あいつにやって当然だってね。ジョギング(走れば)、すれ違う人、外国人や人がコントロールされている。もうね、わかるんよ。毎日だからね。もう、気が狂いそうになるよ。慣れるとかないね。精神的に追い込まれていたらとにかく怯えるよね。安倍は「あなただけにわかるように」とそうした日々の介入をいう。もう、ずっとやられているけね。今もね。今日も警察署の前歩いていたら、刑務所の車がちょうどよいタイミングで出てきたわ。なんか気持ち悪い軍事国家を彷彿する音楽を流した車が家の近くに道を走る。気持ち悪いわ。安倍にはどこかこういう気持ち悪さがある。すなわち当時の軍国を部分的に肯定しているようにも思うよね。先祖が岸だからね。これをね、広島が批判できないというね。実際、その軍国主義の安倍の子分である岸田が広島の実質的なトップだからね。平和運動している県がこんなこと認めるってまあ、平和運動なんて表面上の平べったいものだよね。おまえらの平和運動なんて、茶番だわ(笑)はっきりいって。ノーベル平和賞なんてはく奪だ。本気で平和考えていたら、戦争が男性駆動で生じている事なんて自明だ。だったら、どうするんだよ。本気で考えているなら、まずはジェンダー平等を本気でやるだろ。それが行動として出来ないという事は、広島、長崎の平和運動なんて本気じゃないってことだよ。まずは、自分たちからという意識が全くない。岡山でも就職活動したら、めちゃめちゃ手ごたえがあった状態で落とされる。なんかやってんじゃねーかなと疑わせてもしょうがないよね。ずっと、プライベートも含めてこういうことが行われているから、当然、ここも疑わしいよね。この企業のトップも協力したという事だよね。お金を払わないどころか、お金を得るための就職の機会も奪われる。そうして、非常に汚い恰好をした人を道路で見せつける。「あなたもそうなるかもよ」って脅す。恐怖だね。、ほんと、考えられないレベルだよ。あなたならどう思うよ。自殺するだろ。こんなの。お金の恐怖がある。家で閉じ込められる。家の中はみられる。テレビをつけたらそこでも介入が疑われる。ネットの広告もそう。もう、逃げ場なんてないんだろ。そりゃね、色んなきっかけで自殺念慮が生じて、結果、自殺するわ。じゃあ、今の俺ってなんで成り立ってんの?完全に健康管理だわ。そうするしか生きていけない。本当に生きるか死ぬかの選択に迫られていた時期があったよね。生産的に生きるしか道がないんよね。だったら、健康レベルあげるしかないよね。ここに気づくまで時間がかかったよね。でも、そうしたら、余計に怒りがこみあげてきてね。過去の弱い自分がどんなことをされたか客観的に振り返る余地があるからね。もう、これは本当に許せないね。弱いものを集団でリンチする。何年も。しかも、リアルに味方が一人もいない。そりゃ、自殺未遂するわ。俺の両親も悪いよね。俺に病気っていうんだから。まず、人に頼れないんだから。自力でなんとかするしかないやろ。こんなこと言っても誰も信用しないから、安心できないよね。理不尽な介入が間違いないと信じるのはリアルでは自分だけなんだよ。だから、自分で乗り越えるしかない。あなた方に問うのもどうかと思うけど、これはっきりいって政治の問題だからね。日本共産党の人、これ、どう思う?あなたたちもいうても、仲間がいて、生活守られているだろ?暴力はいけない。民主主義を壊す。待ってくれや。この集団リンチ、虐待。あなたたち権力層の一部がやっているんだよ。それで民主主義を守れ。は?ふざけるなよ!確かに、バタフライ効果も含めて因果関係があるかわからないけど、こんな人権無視の長期間にわたる集団リンチ虐待事件(なぜなら、組織的でないとできない)を日本共産党も含めてうやむやにして、あなたたちが民主主義を訴える権利なんてないよ。こんなのそれ以外で政治に不満を持っている人がみたらどう思うかね。別に、扇動じゃねぇぞ!これ、事実だからね。もう消せないよ。後戻りできんで。こんなんで平和なんてあるか!これ完全に戦争だよ。冷戦。それを俺に刺激する広告をすで日本は出しているよね。戦争だから、こういった介入が正当化されるんだよ。ね、広島。ジェンダー平等も達成しないで、一応は立場上いう。平和、平和ってね。俺、過去、何年も集団で虐待受けていますけど。それで日本は平和っすか?日本共産党の吉良さんの誹謗中傷なんてレベルじゃねえぞ!こんなんで、まともな人格形成なんて無理だよ。もう俺の脳の神経回路、不可逆な様式で改変されているよ。精神的におかしくなりすぎて。脳科学的にMRIで証明付くんじゃねえかな。あなた、もし、旦那さんと家でSEXしているところ見られたらどうする?しかも、証拠つかめねえんだよ。でもね、それが見られている事がなんとなくわかるんだよ。誰も信じないんだよ。どうする?旦那さんに相談するわな。そうしたら旦那さんがあなたに「病院行こう!」とあなたにいうんだよ。そうなれば、離別、場合に依れば、自殺だわな。ネイチャー?おまえら、身の覚えあるだろ!ないとはいわせない。SEX SEX SEX SEX SEX SEX SEX SEX SEX SEX SEX SEX SEX SEX SEX SEX SEX SEX SEX SEX SEX SEX SEX SEX SEX クズ雑誌。世界の恥さらし!その恥、伝統あるオックスフォードにまで影響を及ぼすぞ(笑)。当たり前じぇねえか。俺が家でオナニーした翌日にSEXの記事を出す。かの、イギリスだ。男性が生物学上、女性の身体に魅力を感じるのは当り前よね。ポルノを見るの、何が悪いの?ま、日本国民の代表としたら品格というのがあるだろうから、悪さかげんといえば、草むらにタッションするレベルだね。何が問題か?ちょっと、イギリスに対して嫌味もかねて、詳しく説明しよう(笑)。だって、家でオナニーしているのなんで知っているの?誰が監視して、誰がNature誌に伝えたの?「日本、世界を代表する人がオナニーけしからんってか?苦笑」それで、Nature誌はそうした流れに従って、その情報源が重大なプライバシー侵害に基づくことは自明なのに報告を挙げるわけでしょ。もう、判断としておかしいよね。NEJMもそうだよね。いっても冷静な判断ができるアメリカのエリートらしい判断だとは到底思えない。世界のインパクトファクタートップレベルで日本の東京大学、京都大学を含めて多くの研究者が掲載されることを憧れる論文誌だよ。家の中の行動で最も見られたくない自慰行為を、部屋の監視によってみるという事を正当化して、雑誌に投稿することを許可するわけだよね。これは極めて重い、重大なプライバシー侵害に当たる。証拠がなく、法で裁くことができないからやる。だったら、この世界の人が読むブログで永久に汚名をきせてやる。「Nature Publishing Groupの国際的大罪、恥」。これ、もう私がこの雑誌に投資していたこと、度々、このブログで引用して、付加価値を出して、IFにも貢献したことを考慮すると、完全に、歴史的な罪だよね。こんなの海外だからと言って許されるわけがない。Nature reviews drug discoveryでも安倍の嘘、だましに便乗したからね。すなわち、このタイミングであなたは世の中に出れるよ。その(精神的に弱っている人間の)孤独から解放されるよという期待、約束の日に裏切って、2つの報告を出す。それに加担する。この雑誌、IFではトップクラスだかね。その雑誌がそんなことをした。まだ、今日も(6/20)自分たちのこの重大なプライバシー侵害の行いを正当化する論文が出てくる。ほんと、もう壊滅的だよ。俺は、言い続けるよ。こんなのおかしいに決まっているよ。クズ雑誌!世界の恥!自分たちの雑誌の過去の投資家に対して、こんな事するわけだからね。罪だからね。まず、罪意識がない。アメリカなら最も重い罪だよね。プライバシー侵害の中でも最も侵害したらいけない人の恥部だからね。これって俺が恥ずかしいの?違うでしょ?わかるよね。どっちが問題か?クズ雑誌、クズ雑誌、地に落ちろ!!今、私ができることは、こうやって包み隠さず公開する事と、この糞雑誌から距離を取ることだね。もう、許さんよ。The New England Journal of Medicineも、しかも最も信頼性の高いオーストラリアの報告で最も重要な時期にSexal Healthってやったからね。多分、グーグル経由で俺がエッチなサイトみているの知っているんだよね。もう、終わっているよ。本当にそうね。そりゃ、世界で戦争起こるだろうね。バタフライ効果でね。人間社会になってからまともな時代ってあったのかなって思うわ。多分、それを打破する唯一の手段はジェンダー平等だね。今考えても。これが一番、可能性がある。それができていない東大病院なんてほんと信用できんのよね。確かに、出ている報告とか英語も含めて細かく読むと内容はすごくいいよ。でもそれは「表面上の情報」でしかない。基本、男性だけってダメなんよ。もう、通説だわ。今まで、欧米人はさんざんアジア人差別してきたら。今度は俺が差別しよう。なにそれ?それがエリート?お前らの国なんかいかねーよ。お前らの報告なんざ、俺が考えていることの足元にも及ばないんだよ。読む気にもならねぇ。時間つぶしだね。もう、わかるら。俺のブログで出している情報と報告の差が。AIの方がましだよ。ほんま、クズ。 ニューヨークは途中でやめたよ。初めから気づけよッてな話だけど、途中で「これはさすがにまずい」ってなったんだろうね。ネイチャーなんて学術界で世界でトップだからね。そこがこんなことするってもう世界終わっているよね。トップがダメって致命的なんだよね。トップがダメって、もうほんと核兵器の使用。やばいよね。アメリカも含めて本気で変わらないと。まあ、核兵器使ったとしても植物は生き残るんじゃないかな。地球が物理的になくならなければ。もう、人間ええんじゃねえか。地球は植物だけで。なんか、最近、植物が愛らしいわ。この悪の介入を画策したトップの日本人、探し出して、あぶりだして、首根っこ掴んで、コンクリートに顔叩きつけて、ひきずりまわしたんねん!(これね、頭の中で何度もイメージしていることだよ。謝ってもやる。)賠償?お金なんていらん。刑務所。そんなんじゃ気が済まねえ。暗殺?いやいや。殺すなんていやだわ。生き地獄だ!ね、私、決して日本共産党員になれんでしょ?これ、うそじゃねんけね。犯罪者だよね。だって、俺が生き地獄味わってきたからね。目には目だよね。まずね、集団でやるんじゃなくて、タイマンでかかってこい!ほんま、ひきづりまわしたるから。鍛えているからね。復讐だよ。目には目をだ。トップだけだ。今すぐ出てこい!!


あ、そうそう、他にもあったわ。これだけひどいことをされて、よりひどいことをされた人に対する訴えの運動を俺にみせつける。すなわちこれは「あなたよりもひどい思いをして生きている人がいるんだよ、だから、あなたへの仕打ちは最大にひどいものではない」という事の見せしめだね。ある意味、正当化だよね。結局、日本共産党の人も他人だからね。本気にはなってくれんよね。完全に俺、個人の問題だからね。これ、一生もんだよね。まじ、許さんよ。この激怒、怒り狂った狂気(凶器)は墓場まで持っていくわ。一方で、「世の中、こんなもん」という開き直りも必要かな。もう、この固定化された記事に思い出せる限り、書きまくってやる。

車のナンバープレートや車の文字など、はっきりいって偶然のレベルを超えて日々、介入が謳わがれるので、それを実現するためには「このタイミングでこの地点を走らせろ」というのが絶対的にあるよね。この時にドライバーは金銭の授受があったかどうか?ま、あるよね。こんなことが成り立つ社会、心底、信じれると思うっすか?ね、あなた。それ、立派な罪だよ。もう、逃れられんぞ!これだけ言ってもまだやる。もうね、命令に従っている国民、進路妨害して、車から引きずり出すぞ!バキュームカー、引っ越し業者、おまえら、身に覚えあるだろう?「この時間、ここを走れ」という命令、本来の業務と関係ないよね。おかしいと思わないのか?おそらく金銭の授受があるね。やられている俺、すなわち被害者はそれで精神揺さぶられているんだぞ。おまえら、これからの人生、ただじゃ済まされないぞ。怯えて生きろ。救急車、消防車、パトカー。これもずっと言っているよね。公の職業の人間が、個人の人間に対して、上の命令だから、「ここをこの時間、走れ!」それに従う。そうだよね。日本のトップが腐敗しているからな。そうなるわな。納得だわ。他の本来の業務をする必要がある就業時間、それ無給じゃないよね。給料支払われているよね。それ、私も含めた国民の税金じゃないのか?その税金を個人の精神に影響を与える為、不用意に赤橙を回したり、緊急音を鳴らしたりしているんだぞ。俺、病院にここまで貢献してきたんだぞ。それで、こんなことを平気でする。おまえら、全員、ただじゃすまされないからな。命令した人間だけじゃないからね。従った人間も同罪だ。わかるでしょ。こんなのおかしいと。多分、これだけいってもまだやるよね。おう、やってみろや。わかるっしょ、これが今の日本だわ。あなた、こんな国に住んでいるんだわ。日本共産党の人間。おまえら、正論、言っているけど、水面下でこんな問題が政治主導で起こっている事、無視してんだぞ!何が、選挙制度に従った民主主義だ。暴力は断じて許さんだ。まじでふざけるなよ!これ、こんなけやってもまだやっているわ。これ、ちゃんと石破さん責任とれよ。もう、弁明の余地なんてないぞ。まだ、これだけ言っても毎日やっているね。引っ越し業者、バキュームカー。協力している人間、覚悟できているんだろうな。


そもそもこの問題の発端は何?戦争だとするよね。ま、日本国内の冷戦。先制攻撃したのどっちだ?俺、攻撃されるようなことした?そんな罪犯した?むしろ、学生さんに無料で教育のブログを365日書いたよね。2015年の私の誕生日、3月4日に中国新聞でなにした?三原工場閉鎖の記事を出したよね。なんで、誕生日にこんなことしている人間にこんなことするわけ。これ、まさに先制攻撃だよね。これ罪どころか、多くの人が認める国益かつ革新だぞ!もし、ちゃんと認めていたら、2番煎じなどが出てきて、SNS上に色んな受験のノウハウが蓄積されてんだぞ。今頃。安倍が射殺されたって、オレ、何もしてねえぞ!そんなコネねえわ!何度も罪のない、むしろ日本に利益をもたらしている人間に対して無慈悲に先制攻撃したのどっちだ?戦争の火だねつくったのどっちだ!!答えろ!!

今まで、離婚してから女性との交際経験がないのは、今現在は私の意志もあるけど、本当に精神状態が悪くて苦しんでいた時には、近くに女性がいて、理解者がいたら救われるなという思いはずっとあったよ。でも、もし、交際するような相手が生まれると国としても都合が悪いよね。なぜなら、私とプライベートで接近すると、私のブログ活動を目の前で見ることになるからね。その女性は、どう思うだろうか?国が介入するよね。私のブログ活動を制限する事は、私から異性の出会いを奪うことになる。すなわち、私の社会的孤立はブログ活動を秘匿化するための、日本、世界の世の中の都合ともいえるよね。就職活動を制限したのも、そういった理由がおそらくあるよね。誰かさんの都合で、ヒトとの出会いなどプライベートな部分まで制御されているということですよ。もう、こんなやり方が正当化される?許せん。お金も入れん。はっきりいってめちゃくちゃだよね。生活の中身も監視するしね。これが民主主義?は?

この文章は嘘じゃねぇよ。こんな具体的な嘘がつけるか!ただ、明確な証拠はない。2015年から10年間にわたる悪質な介入。もう、読めば明らかだよね。完全に組織的だよ。まあ、集団リンチだね。協力した国民も同罪だよ。まじて、「あなただけにわかるように」といって本人が幾度となく拒絶したにもかかわらず続けてきた悪の介入。過去、現在生きている、その時生きている人間のこの悪質な組織的介入のトップの人間、必ず、首根っこつかまえたるからな。これは俺の人生をかけてやる。必ずだ。今、選挙なんてやっている場合じゃないぞ。過去も含めてこの悪質な介入に組織的に介入した国民を含めたすべてに人間、一人残らず洗い出して、この歴史的なブログに実名を書いて、生涯、未来永劫、汚名をきせてやるわ。

こんな国内の問題、うやむやにして東大を含めて国内の大学は海外の人と笑顔で戯れている写真をHPにあげるよね。本気で怒っている写真なんか出たことがない。完全に、印象操作だね。日本っていい国のように映るかもしれないけど、実際はほんと終わっているよ。もう、国内戦争しているんだよ。実質的に。そうじゃないと、こんな介入、成り立つわけがないよ。ほんと、オレ、この10年間、死んだ方がマシだと何度思ったか。

ジェンダー平等って、別にオンナを全肯定してるわけじゃないからね。何、勘違いしてんの?おまえ、ほんま首根っこつかまえるぞ!誰にやってんだ!俺、オンナだからといって容赦しないからね。生物学的に力がないからといって。こっち内心、怒り狂ってんだぞ。ちゃんと実力があって、とんでもない悪の権力者を切ることができる。そういう力のある女性がちゃんと実行権ある地位に男性と平等につくべきだという話だ。俺に、舐めた態度とったら、それが判明した時点で、女だからといってただじゃ済まさねえからな。ね、子どもの誕生日に合わせて家まで、誕生日祝い持って行って、手紙も添えて、お姉ちゃんのお祝いもあげて、養育費と別途でね。それでも「ありがとう」の一言の連絡もない。な。ね、俺の身近にこんな女もいるってことだよ(笑)

今日の根室の地震、多分、また意図的に発生させたね。もう、これを繰り返すという事は能登半島地震をわざと揺らしたことの反省がないね。罪意識がない。ちょうどその時間に、あまりにも腹立ったから、外で走りながら、大声上げて切れたからね。まだ、周りの人をコントロールしている。それが疑われるね。もうね、ここまでされたらね、正論をつきつけるのもバカバカしくなってくるんだよね。キレてやろうと思ってね。やりたい放題やってやるわ!

日本の東大も阪大も含めて各大学も俺が築いた信頼、すなわち成果横取りして、世界からちやほやされているよね。こっちはリアルの現場で一番下っ端で働いているのにね。俺が独り占めしたら、ねたまれるからという事で帳尻合わせるかのように周りがいい思いする。でも、こっちは努力して、真っ当な形で成果上げているからね。それが実力だよ。何が悪い?この日本社会の感じ、マジ許せんね。俺が逆の立場だったら、「彼に対する実社会の還元であり得ないよね。相応どころか一銭もお金も払っていないし、仕事も用意しない。自分たちが今、彼が築いた世界の信頼を利用して笑うわけにはいかんよ。」ってなるわ。2015年から連続して日本人がノーベル賞とったり、2024年にノーベル平和賞とったり。その賞を受けたやつらなんて現場では先生、先生って偉そうにしているんだろうね。なんで、2015年から?2020年からなぜノーベル賞が日本人から消えたの?これね、もう完全にノーベル症だね。政治絡んでいるよね。書いている内容自体は絶対的にいいから、世界の人が見ているから評価はあるよね。その評価がダイレクトに俺にこないから、他の日本人に派生しているよね。それで喜んでいる。

まあ、上で書いているような実際にひどいことが行われて、結果として、自分と自分の子どもの基本的な生活を守るためにこのブログ活動とは別で働いている状況。結局、自分でこの活動とは独立してなんとかしないといけない。それが現実、結果です。それをしなければ、生活の面で追い込まれることにもなるしね。お金の問題だけじゃない。どう言い訳しようが、結果がこれよね。これって政治だけの問題なの?あなた方、黙秘してんじゃん。従っているよね。それどころか企業は儲けて、大学は海外の色んな賞を取って名誉を受けて、外国人と笑顔で交流したりして浮かれているよね。これ、一体どういうこと?このブログ活動の価値をちゃんと還元しない。どこかのスーパーやデパートに良い食材を並べるだけで、保証した気になっている。それ、タダですか?完全に自然な流れを遮断して、閉じ込める。ずっと中途半端。これ、やっぱり文句ではないね。もう一体何年経過している?おまえら、マジで全員覚悟しろよ!少なくとも今の現実を見た時に、日本人が色んな所で賞を受けたり、芸能人も含めて海外で活躍して、それって少なくとも俺が構築してきた海外に対する信頼も貢献しているだろうからね。めでたい、めでたいって。いや、黙っているわけにはいかないね。まじで。繰り返しになるけど、一切、私が提供した価値に対する償還を極度にゆがめて、本人に渡さないだけではなく、個人的に身体的に極限まで追い詰めた。この絶対的な事実があるわけですから、日本社会としてタダで済まされるわけがない。必ずツケは支払ってもらう。あらゆる意味において。

今の物価高対策、どの政党もこぞって必死に公約掲げて対策しようとしている。でも物価高なんてせいぜい10%くらいでしょ?俺も低所得層としてくらっているよ。それで一般人はピーピー文句いっているわけでしょ。これくらいの物価高で生活保護に脅かされるということはないでしょ?仕事、収入あるだろ?でも、国民全体で、「票」につながるから、政治家はすぐに本気で動くよね。俺なんて、億万長者にもなれるくらいの価値を出しているのに、一銭も支払われない。物価高どころじゃねえよ。生活も脅かされているんだぞ。でも、オレ一人の問題なんて北朝鮮の拉致被害者のようなものだから、対策したところで票につながらないから政治家はやらないよね。なるほど、そういう原理か。ま、どうしようもないわな。こういう交換関係、社会が成立してしまっているわけだから。俺の問題本気でやっても票にはつながらん。しかし、当然、俺のこの10年間の情報は確実に日本だけではなく、色んな人に届いているからね。この記事も含めて、どういう事が生じたかを明らかにしたうえで、特に俺の情報を好意的に受け取っている人はどう思うかだね。日本だけじゃないぞ。中には自分の身を犠牲にしてもいいと考えている人もいるかもしれない。それくらいの気持ちを動かしてきたから。こんな歪んだ事がずっと成立しているって、どこかに必ず震源が生じるからね。もう、何が起こっても俺は責任とらんよ。それくらい曲がったことをずっと恒常的にしているってことだからね。一種の社会の審判だ。もう一度言うわ。何が起こっても俺は責任とらん。何もしないあなたたちが悪い。まあ、確かにコメは安くなったわ。岡山も安いコメが並ぶようになってきた。こういう問題はすぐやるのにね。俺の問題は10年も具体的に何も解決しない。それどころか上のようなことが継続的に行われた上で、未だに安倍の名前が平気で出てくる。まあ、社会的、政治的大罪の自意識がないってことだね。そうするとどうなるか?もし、私が間違っているなら制裁を受けるだろうけど、さすがにここまできてそれはないよね。だって、どれだけ国民に貢献してきた。それが目にみえるとまずいから、国は隠しているよね。誰が、日本を支える隠れた仕事?こんな言葉が俺の前に出てくるってふざけている以外のなにものでもないね。隠れたってなんだ?意図して、不条理に隠しだだろ?

日本って、何もかもうまくいっている奴って気に入らんのんすよ。だから、妬みなかんかしらないけど、社会的、政治的にいじめることをする。それも強引に権力でね。まあ、そりゃそうか。俺の科学的な情報って、一分野の専門家の領域を明らかに超越しているからね。少なくとも明らかに一つの専門家が深くカバーする特定の学問だけに基づく情報ではない中で、次々に新しことを、しかも実験もしないで、発明する。それも1回ではない。何回もする。しかも、無料でする。さらに、人の幸せを考えてする。もっといえば、立場の弱い人のためにする。もう一部の人間は気にいらんのでしょね。それはそれでえーけど、俺はしらんよ。あなたたちのやり方、権力で強引にねじ伏せる。いじめ方が異常だよね。名誉、地位、大金どころか生活の為のお金すら渡さない。さすがに、何もしないのがまずいから、スーパーに良い食べ物くらいはおく。なにこれ?良い食べ物って、お金払っているからね。こういうことを機嫌よくやっていると「日本的に気に入らん」ってなる。だったら、いってやるわ。お前ら、ほんま必ず、ツケ払わせるからな。首根っこつかまえて、引きずり回すからな。背後に何があるか?これくらい気合い入れて生きないと、日本では綺麗に、綺麗にやっていると完全に舐められるからね。今まで不健康でそれができなかったから。そんなパワーがなかった。今なら、できるよ。なぜなら、明らかに健康状態があがったから。世界のだれよりも自分が出す健康ガイドラインを誰よりも理解し、自分自身が実施しているからね。それで健康状態があがるってことは、まあ、ガイドラインが正しいというエビデンスでもあるよね。このように社会的な平和を損ねる可能性のある攻撃的な発言をしているだけじゃないからね。逆に、健康ガイドランを含めて、向社会性ある価値ある科学情報を出し続けているからね。少なくとも一方向じゃなく、こうした記事は、高度に感情的に制御された元で書かれているからね。それでもって、明らかな10年間の社会的大罪、政治的大罪を指摘していることになる。

我慢ならん。

0 コメント

(固定された投稿)

 これだけのテーマがあると「書くことがあるのだからそのままにしておこう」という考えがうまれそうだ。今の崇高な取り組みに対する適切な職業の提供、それによる生活に関わる給与、職業を通じた同士との出会いなど様々な事が提供されない事が、一定正当化、合理化されるようだ。そうした決断を引き延ばし、リスクを取らないことが正当化される。今のバランスが仕方がない、あるいはそれでいいとされる。当の実施者である私がこんな条件で労働して、不満がないわけがない。確かに、情報は無償で提供したいということがある。しかし、厚生労働省、文部科学省、農林水産省の人は大臣も含めて職員は無給で働いているだろうか?全ての職員が職業が提供され、それに応じた給与が国の税金で支払われています。私の取り組みの公的性が高いのであれば、日本、あるいはWHOなども含めた世界が少なくとも私に取り組みたいする相応の賃金を支払うべきだ。いずれにしろ、別で職業を見つけなければ、生活ができないなどはあってはならない社会的大罪である。誰がそうしたか?ま、安倍だよね。死んだからいいのか?魂受け継いだやつがいるだろ?例えば、高市とか?あいつ、安倍の当時の政治家としての判断を称賛するような動画を出したよね。わかってんだろうな、お前。それが何を意味するか。私の健康ガイドライン、小児がんサバイバーシップを通じた多様な健康情報、主に飲食など栄養学に主眼を置いた情報は、日本、世界の現代病を根治させる唯一無二の方法であり、それを実現するものだ。人に自然が与えた120年の寿命を全ての人が実現し、その中でヒトらしい幸せを実現するなんて、その取り組みを科学的合理性に基づいてすること自体が崇高なことであり、人新世において最も明るい、光ともいえる取り組みであり、世界がそれに基づいて動くならば、歴史上、最も社会に光をもたらした時代だと後に評価されうることだ。しかしながら、今までの人新世の歴史を振り返ってみると、人間は争い、殺し合い、戦争の連続だった。それが世界で共通することだ。光には必ず影が伴う。表裏一体という概念もある。すなわち、人の心身の健康に対する世界最高の情報を科学に基づいて、人情という社会経済を動かす原理に基づいて、広く世の中に無料で提供するという「光」には同時に「影」が存在する。その「影」のほとんどをずっと背負っているのが私自身だ。職は提供されない。賃金は提供されない。地位も提供されない。活動に基づく人間関係の構築も許されない。こうした取り組みに関わらず社会的ないじめを受け、重大なプライバシー侵害が続けられ、精神的に追い込まれ、ついには自殺未遂を図るまでになってしまった。安倍の銃殺事件の冤罪もきせられた。もう、これ以上の「影」が存在するだろうか?それが成立する理屈は、すなわち表裏一体、光と影が同じ程度で存在するということだ。すなわち、私の表向きの活動はそれだけの価値があり、光に満ちているということだ。今までの人類の歴史を振り返って、往々にして光よりも影が表面化され、悲劇になることが圧倒的に多かった。人間社会にとって光は脆弱なのである。もし、私の活動がリスクが多いという事で制限をかけられているなら、それは光の脆弱性によるものだろう。しかしながら、私の不平等性を解決する手段は本当に人をコケにした、馬鹿にしたものである。スーパーの唐揚げが50円引きが100円引きになる。イカ、タコ、カツオ、マグロなどの良い食品がタイミングを含めて不自然に並ぶ。こんなことが私する対価で、この環境を決定する為政者は周りを納得させる理由にしている。度々、私の訴えに対しても、それが発表された当日のみ反応するだけで、私が「光」の表向きの活動をするたびに忘れられ、時には舐められる。これが果たして民主主義といえるだろうか?こんな一方的に、一部の人間に決められたルール、バランスは明らかに違憲であり、もっと言えば国際憲章に抵触するものである。そもそも、情報拡散が過度に制限され、人類史に確実に残る崇高な取り組みに対して相応の地位、職、それに基づく給与も支払われず、それが何らかの理由で正当化され、周りもただ従うだけで黙秘を続ける。それが日本だけではなく、自由の国であるアメリカも従う。世界的に従う。その理由は果たして何だ?Cardiovascular risk?は?影のリスクを恐れるなら、そのリスクを回避するために為政者を含めて、リスクという人間は具体的に何か対策をしているのか?そのままでいいはずがないだろ?もう一度言う。私のこの取り組みに対して、その価値に見合う地位、名誉、金銭も与えられず、それどころか基本的な職、給与も支払われない。人間関係も構築できず、孤立が余儀なくされている。従って、私は独立して自らの生活、子どもの生活の為、全く医療の部屋とは関連のない職種で労働しはじめている。そうするしか手段がないからである。その労働すら今まで何らかの制限を受けてきた可能性が高い。何度も嘘をつかれた。なぜ、私だけが影を背負わないいけない?民主主義に従うとは選挙に行って、投票によって決められた政治家の政治判断に国民として従うということか?こんな明らかに間違った為政に対する正当な手段とは何か?裁判を起こすことか?一体、何が社会を黙らせているのか?仕方がないと納得させているのか?私の心中はこの文章ほど決して冷静ではない。内心、青い炎で燃え滾っている。Global Cardiovascular risk?は?

やっぱ、舐められたら困るね。釘刺しとかないとね。今日はちょっとギアあげるわ。ジョギング中から噴火してんだよ。この記事を今日、トップに出さないのは、翔平の今までの人生、前半戦の努力、結果に対する敬意と人情だね。その上で書く。端的にいうと、日本銀行、世界銀行の破産、すなわち債務不履行だね。もっと言うと、日本政府、アメリカ政府が債務不履行を無視しているよね。当然、破産が無視されているわけだから、もう、本当に日本、世界で何が起こるかわからんよ。バタフライ効果も含めると。あなた方、本当に問題の本質を見過ごして他人事のようにノホホンと過ごしていると、何が起こっても知らんで。もう、その事件に対する責任って、オレ、とらんからね。それやったら完全に冤罪だし、最も問題エスカレートするからね。それこそ人類滅亡だよ。もう、それくらいの規模だよ。だって、俺の活動って、もはや人類の存続にも関わることを本質的には扱っているからね。色んな高次効果を含めると。だったら、そこに破産的な問題が生じていて、かつ、俺を罪人扱いしたら、それこそ人類滅亡だよね。バタフライ効果も含めて。より具体的に書いてやろうか。すなわち、俺の活動って、人の気持ちを動かしたよね。それって、経済じゃん。人の気持ちが動いたときが最もお金が動く時なんだよ。そうでしょ?お酒飲んで、盛り上がった時って、お金なんてどうでもよくなるでしょ?いつもよりも多く使うでしょ。そういう事が10年以上もずっと起こってんだよ。人の気持ちを動かすというのは世界的にめちゃめちゃお金が動くという事だよ。バタフライ効果も含めると大谷の10年契約の1000億もその他の収入も、宇多田ヒカルのライブの興行収入も、ユニクロ、トヨタの売上高も全てだよ。Google、アメーバもそうだよ。東大もそうだよ。東京大学病院もそうだよ。Ciraもそうだよ。全てだよ。なんで、俺がこの活動と別で働かないと生活が成立しない状況に追い込まれないといけない?今日みたいな記事を書くと、「成長中だから静かにみておこう」みたいなことが日本では特に生じそうだ。じゃあ、私に対して社会として例えば、金銭を還元するという事をしたら、私はお金があるからブログ活動をやめるのか?俺の活動ってそんなものなのか?むしろ、働く時間がなくなれば逆じゃないか?地位手に入れたらうぬぼれて、えばりちらして、人を誰かさんみたいに指で使って、自分は何もしなくなるのか?私の健康に対する思い、人に対する思い、科学に対する思いはそんなものなのか?名誉、地位の為にやっているのか?静かにみておこうっていうやつがいるならば、そうしたいわば信頼がないってことだね。今、これ一部は石破さんにいってんだぞ。相手は総理大臣だぞ。どんなけ俺、地位が高いんだよ。それでも、こうした今日も1:30に起きて時間見つけて、ブログ活動しているんだぞ。昨日も疲れて帰ってきて、それでもこのタイミングしかないと思って翔平にメッセージ書いたんだぞ。今の俺を取り巻く状況を正当化する余地なんてどこにもない。もう一回言うわ。なんでおれが初任給レベルの給与で一番下で頭下げて働かないといけない状況に追い込まれないといけない?大谷はいったいどれくらいの給与、地位、名誉を得ているんだ?宇多田ヒカルになぜ、こんな状況にあって、俺に対して生じた色んな人の気持ちを利用されなければならない?こっちは基本的な生活すら困ってんだぞ。しかも自殺未遂までしたんだぞ。それでコンサートやるってどういうこと?俺の気持ちが関係していないといえるならいいよ。おまえ、ほんま。まじで、本当に何が起こっても責任はとらんし、罪に問われる理由もない。それ相応の理不尽が生じているから社会的にバランスとしてそうなるってことだよ。扇動じゃねえよ。もし、それが扇動といわれるなら、こうしたバタフライ効果も含めれば人類の滅亡にも関わるような大きなストレスをマグマとしてずっと一人の人間、すなわち私に表に出さずためこめという世界の命令だよ。俺の周りで、度々、刺激があるんだよ。そりゃ、爆発するわ。今はここしか場所がないだよ。

今は、本気で異性に恋をしているので(結ばれなくても愛してる。彼女を愛し続けられる自分を愛してる。芸能人、うらやましいよね。10周年とかいってこの人を呼べる。今すぐ、俺の部屋に来てくれよ。まず、掃除するわ。トイレから。でも、隠し事はいかんよね。あなたには怒られてでもすべて話す。ありのまま。未解決問題を解決していく。あなたの女性としての尊厳、ちゃんと尊重しないとね。男性はアホだから。俺も。明日、高島屋いくけ。めっちゃ美味しいもの食べよう、二人で。俺が準備するけ。あなたは待ってくれてていい。絶対に本マグロで幸せにするから。あなたの為なら、素手でマグロ捕まえる。多分、あなたに対する気持ちは多少は揺れ動くだろうけど、冷めない。なぜなら、人として世界で一番好きだから。学校に行ってね、本当は生徒の方が、あなたに素敵な曲を届けてもらって、ありがとうという言葉あって当然と私は思うけど、たった11人程度の学生さんのために、足を運んで、寒い中、ピアノで演奏して、それでも、「聞いてくれてありがとう。来てくれてありがとう。」というあなた。本当に素敵よね。俺には、そのあなたの優しさ伝わるよ。あなたのことならいくらでも話せる。服装とかも、そんなに芸能人らしく飾ることなく、でも、綺麗で美しい。それはあなたが運動されて、栄養も気を付けて、内面が美しいから。是非ね、運動習慣、一緒に大切にしようね。一緒に走りに行こう。芸能人だからと言って気取っている感じもないし、立ち振る舞いが本当に自然。髪型もそんなに派手じゃないしね。そんなにスマートでもなく、頑張り屋のあなた。ね、救急車を呼ばれるまで走る(笑)。俺のブログって、あなたで始まっているんだよ。そんな特別な人、どこにもいないよ。あなた以外にいないんだよ。今、私は人生で最も健全な状態にある。本当に大切な人が見える。石破さんね。それは俺が健康だから。そのうえで、あなたを今まで見過ごしていた。シャープに山田さんっていう人がいたんだけどね、すごいおとなしい先輩だったけど、広島市に美味しい餃子店があって、職場の人と山田さんの車で広島市に行くことがあって、ずっと昔だけどね。前の妻と結婚する前。その時に、あなたの曲が流れていた。「これ、誰の曲ですか?めっちゃいい曲ですね。」といって、すぐにあなたの名前と曲を知った。全ては山田さんのおかげ(笑)。でも、調べてみるとその曲は作詞はあなただけど、作曲は違う人なんだね。本当に名曲。でも、あなたの事を知れば知るほど、他の楽曲を知れば知るほど、あ~そーだよなと腑に落ちる。俺、𠮷岡聖恵さんの事好きだったんよね。結婚したいと思っていた。でもね、他の人と結婚されて死ぬほどつらかったけど、でもね、どこか精神的に弱い自分が彼女に依存している部分があった。今はね、女性がいなくても一人で強く生きられる。だから、別に女性を好きになる必要もない。でもね、心が許してくれない。あなたを見ていると胸が締め付けられる。質素な服装をしたあなたをそのまま抱きしめたい。Youtube動画のトークをみるたびに思う事。これは一般的に「恋」と定義されるんですよ。多分、初恋。今までは精神状態が悪かったから。自分が本当の意味で自立して、初めて好きになった人。あなた、俺を失うと後悔すると思うわ。多分、俺はあなたにとって運命の人だよ。)、若干は違和感があるけど、大筋でそんなに変わらん。本当に心から好きな人がいるというのは、本当に力になると思うわ。でも、根底では私にはこうした思いはあるね。今でも、消そうとは思わない。

2025年10月30日木曜日 0 コメント

Health Guideline for world researchers (Level.3)

(Purpose and Background)
 In the current world, it is full of artificial objects—things that would be almost never time-evolved naturally through probabilistic material processes. In other words, we are mainly dominated in products created by the human brain. Meanwhile, humans themselves are evolved naturally through organism history during about 4 billion years. We are conceived through fertilization, nurtured in the mother’s womb, and brought into the world. Fundamentally, nature and artificiality are not compatible. For example, humans wear clothing, which is artificial, but after sweating heavily, it is not the skin but the clothing that retains unpleasant odor. Thus, clothing must be washed, and detergents composed of artifical materials are required for cleaning. Artificial things must be confronted by artificial means. In the current worlds, artifical materials produces the further artifical one in a synergistic manner, but these never harmonize the natural circular system. Insight against this matter is significant for human health.
 What is human health? The substances within the human body are constantly undergoing metabolic turnover through the circulation of energy. These processes are not artificial like synthesis within an industrial furnace. They follow the trajectory of nearly four billion years of biological evolution. Therefore, they are natural processes. Intuitively, health means getting into natural trajectory and throw ourselves into flow of natural river. Artificial products distort this natural flow like dams built for human convenience and preference depending on our brain. Our bodies are slowly (step by step) undermined by this dam like turbid river without our awareness,once we surpass our inherent adaptive threshold,it ultimately emerges as clinically apparent disease. Therefore, when considering health issues, we need to further understand "Nature" and "Artificiality", and conretely define what is Nature or Artificality in the context of modern society. In Nature-Artificiality axis, individuals had better position themselves closer to more natural side also as their ideology in order for humans to become healthier within contemporary society. Your next choice and behavior in daily life need to be natural more than ever, for example, you can choose walking, which overlaps with natural mobility of all organism, instead of your private car to go to supermarket. Therefore, in this health guideline for world researchers, I conduct a comprehensive examination of walking from multiple perspectives and seeks to reconceptualize its value.
 However, in recent years, the rise of computers, the Internet, smartphones, and artificial intelligence has shifted human life further toward the artificial side of the natural–artificial axis. Today’s youth often choose to look at screens and use SNS like this blog as communicative measure rather than converse with other humans in person. We don’t notice that, hidden behind the convenience we see on the surface, we are losing essential pieces required for life as biological beings, that is, the mediation of devices distorts auditory and visual cues, virtually eliminates olfactory and tactile sensation, and removes on-site atmosphere and texture. Something essential is lost from natural communication. If this persists for decades, catastrophic health and public-health problems may eventually manifest. For example, many people may lose vision crucially important for our quality of life, and this is one of the most essential human senses also in the human-evolutional perspective. Ironically, I am writing your English sentence as an unhealthy sedentary activity in order to communicate with you on health matter through SNS. If I were to discuss these important topics with you in person while walking and observing the expansive natural environment, how would the experience differ? For someone accustomed to walking every day, the answer is already obvious. I also re-consider about health matter during today's walking.
 Historically, in life sciences, pharmacology, and particularly medicine, clinical research on the health of individuals without overt disease has been undervalued. Research has prioritized understanding disease causes and having pharmaceutical treatments. This has shaped the modern medical ecosystem of hospitals, drug companies, and medical device manufacturers. When we become ill, we are inevitably incorporated into this medical ecosystem. However, health and disease are inseparable; they cannot be strictly divided. For example, even a cancer patient has daily life. By shifting their lifestyle toward the natural side—living regularly, exercising by walking, observing nature, relaxing, having empathetic face-to-face conversations, eating balanced meals, maintaining nasal breathing, regulating the autonomic nervous system, and conducting multifaceted oral hygiene with clean water can we truly say with certainty that such an approach is inferior to targeted pharmacological therapy? The most persons have not yet known the intrinsic (true) importance of healthy lifestyle, for example, in the perspective of human evolution and earth (also universe) history. We must ensure that appropriate information is provided and access to that information is guaranteed. My work is part of that effort. Such natural-leaning (inspired) lifestyle interventions do not harmonize with the current medical ecosystem. Hospitals hesitate to promote them, because such recommendations threaten their business model. If more people gained empathy for and adopted these practices, hospitals, pharmaceutical and medical-device companies would face serious financial decline. But can we simply declare such practices unnecessary based on this argument alone? We must critically and fundamentally reconsider our dependence on artificial objects in daily life, starting from a point far earlier than the historical perspective we typically imagine. Without doing so, medicine will not be able to change the current reality in which chronic diseases are widespread. We must recognize the limits of what can be achieved artificially and humbly reexamine biological history from a long-term perspective.
 This is not the matter easily able to resolve but hugely complex. Artificial materials are already deeply and adhesively embedded into modern society. Even I, despite my deeply awareness, cannot completely detach from them. Therefore, what is required today is that each person determines their own position in natural-artifical axis and take an interest in this issue and build your own conceptual framework and sense of purpose. Uniformity is unnecessary. Each individual can take a unique stance. However, to do so, we must objectively and subjectively understand what “Nature” is within modern society, and what its ideal state looks like. For example, many people today have impaired vision. Try looking at the world through that weakened eyesight—your visual field combined with other senses may reveal which aspects of society are artificial and which remnants of nature remain untouched. Even with myopia, your richly (human-like) colored visual perception can still and clearly paint the distant mountains beautifully onto the canvas of your brain.
 Life is essentially the management of energy. From this fundamental energetic perspective, I aim to establish dynamic equilibrium and homeostasis, review the history of energy intake, and attempt a redefinition of health. Through this process, I have determined that the most critical elements for health are physical activity and nutrition. Among forms of physical activity, walking is the most basic and commonplace. Health Guideline Level 3 rigorously interrogates this foundation while providing information to enable a fundamental reassessment of your life.

2025年9月5日金曜日 0 コメント

Guideline for health (Level 4)

2025年8月10日日曜日 0 コメント

健康ガイドライン(Level 4)

<背景と目的>
人は、栄養、すなわちエネルギーが枯渇すると死亡します。最後、人間が生命活動、その人にとっての時間を停止する時には必ず、少なくとも局所的、一時的に栄養失調を経験します。従って、生死を考える時もエネルギーの問題が根本にありますから、健康に健全に生きることを考える場合においても、エネルギーの問題があります。エネルギーとはそもそも何でしょうか?それは「分布」です。その分布がより確率的にそうなりにくいものが一般的にエネルギーが高いです。では、そのエネルギーはどこから来たのでしょうか?それはおそらく宇宙の始まりです。ビックバンの時に単位体積あたり、最も分布が凝集し、エネルギーが発生しました。そのビックバンの前は何なのかはわかりません。しかし、ビックバンこそがエネルギー発生の源泉であり、そこからずっと宇宙全体としてエネルギーは総体的には保存されています。そのビックバンの一番あり得ない分布から、より確率的に高くなるように分布がずっと今まで、これからも選択されていきます。その確率が最大になるまで。最大になった時、時間は止まります。時間とは分布がより確率が高くなるように選択されていくプロセスに他なりません。局所的には逆の事も当然生じますが、宇宙全体で見れば、そうなるように系は調整されていきます。関係性でもって。これは比較的あらゆるスケールで適用可能です。人でもです。人間社会でもです。地球でもです。受精というビックバンが起こって、そこから死という時間が停止するまでの一生は、小宇宙ともいえるでしょう。宇宙もはるかに大きなスケールでその運命をたどります。赤ちゃんの物質的な分布はありえないです。赤ちゃんはエネルギーに満ちています。そこから、人全体として、物質の関係性としてより高くなるように、物質的に連携性を失いバラバラになるように調整されていきます。それが老化です。従って、生涯の健康を定義する事は、その分布の選択の過程を最適化する事です。そのためには日常生活1日1日で「自然発生的にあり得ない事」すなわち奇跡を起こし続けなければなりません。自分を律する。すなわち自律的な生活です。私たちが日常生活のイベントごと、どのような選択をするか?その選択をより健康的なものに変えていかなくてはなりません。それは毎日続けなければなりません。一生涯続けなければなりません。そうすると今まで地球の人類は早計で1000億人程度いるとすると、1000億分の1でも起こりえなかったことが現実的な確率で生じる可能性が出てきます。本当に120年間の毎日の各イベントごとを自然発生的にはあり得ない自律した選択をしつづければです。奇跡は統計物理学的に証明できます。健康ガイドラインは日常生活に向き合うもので、科学的に合理性がある形で具体的な健康の為の選択肢を提供します。完全に選択肢を限定しません。個人が工夫する余地、創造の余白を残します。それそのものも健康の為の選択肢です。健康とは体の健康だけではありません。脳、心身の健康もあります。脳とは関係性の極値です。従って、局所的には大宇宙の中で「あり得ない事」が起こります。それは脳が神経細胞という関係性を持つからです。人間社会という関係性があるからです。従って、関係性は自然の確率分布過程に抗い、奇跡を起こします。従って、体の健康を考える事と、心と脳の健康を考える事は不可分の部分も多くありますが、ある程度の独立性を有します。脳は特別なのです。とりわけ人間では。その脳の健康は、関係性を考える事です。同性、異性との関係性もそうです。そうした関係性は学校、就労、趣味など社会生活のあらゆる場面で生じます。従って、その関係性をどのように幸せのために「ありえなくするか」それも考えなくてはなりません。健康ガイドラインは、心身の健康です。心、技、体全てです。それはおそらく実現できるでしょう。そういう観点において、地球環境は人新世、アントロポセンにおいて今までとは異なる運命をたどり、それは決して不可逆で止められないものだとしても、希望的です。破滅的でありません。今よりも20年後の私は今よりも心身が健康になります。それはこれを読んだ全ての人がそうなります。私たちは気づくはずです。その心身の健康こそが最も大切なことだと。分布、関係性、時間、その根源的な普遍則である確率を理解する事で、今までとは違う本質的な対策ができるようになります。それはあらゆるスケールです。地球の健康とは何か?宇宙という時間の流れの中で定義できるようになる。

<衣の健康>
 下記、現代社会に対して様々な問題提起、問いかけがあります。服は本当に必要でしょうか?家で服を着る必要があるでしょうか?何のために服を着るのでしょうか?服と肌は原理的に合わないのではないでしょうか?植物の葉をベースにして服は作れないのでしょうか?もし、作れるなら、水にぬれても、その服の洗濯は必要ないのではないでしょうか?すぐに交換が必要なら、パック料金で、継続的に家に届ければいいのではないでしょうか?あらゆる窓、玄関、トイレの扉、お風呂のそれを開けた開放的な空間で、夜、電気もつけずに部屋で完全に裸体になった時、あなたは果たしてどのような感覚になるでしょうか?夜、寝苦しいのは服、布団への体からの蓄熱、あるいは空気が停滞しているせいではないでしょうか?体が臭い(臭く感じる)のはその服のせいではないでしょうか?本当に自分の体が臭いかどうかは全身、裸になればわかることではないでしょうか?夜明け前、早朝人が少ない時間帯に男性が外に出て散歩する時に夏場、本当に上半身の服は必要でしょうか?服を脱いで運動で鍛えられた身体を身近に感じ、部屋が整然としていたら、常に、ストレッチや筋トレを外にいるような感覚で自重でしたくなりませんか?そうすると生活はより健康的になるのではないでしょうか?部屋に綺麗なミネラルウォーターを巻くことも可能です。それは床が人工的な材料だからできないことです。木のフローリングならその水を嫌わないでしょう。水を撒いて、タオル、あるいは自分の腕でふいたなら、より部屋は綺麗になるのではないでしょうか?床が水にぬれていても、体が裸なら、それが気持ちよいのではないでしょうか?これらの生活はより経済的、環境効率が良く持続可能ではないでしょうか?服も必要最小限。照明もつけない。飲み物は基本、ミネラルウォーター。エアコンもつけない。あなたは今日から、衣食住を変えることが可能です。この衣食住の健康情報を元に、それぞれの生活の中で、先入観、固定観念、常識にとらわれず、勇気を持って変えたなら、あなたの心身は健康になります。ストレスレスになります。気持ちよくなります。体はより引き締まります。自分の体を常に見ることによって体をより美しくしようとする気持ちが芽生えます。これは、特別な場所は必要ありません。アパートの一室でこうした環境を整えることは可能です。お金は必要ありません。これを読んだ、今、この瞬間から劇的に変えることが可能です。あなたにその勇気と決断力があるなら。部屋を全開放にして、裸になったり、上半身裸で自然の中を疾走すると実感できます。皮膚の感覚入力が衣類の絶え間ない摩擦に障害されることなく、普段は覆われている上半身全体の感覚入力が自然で多様になるため、慣れないうちには世界観が変わるほど衝撃があります。衣類で本来の人、動物としての感覚が歪められていることに気づきます。ボディーラインに自信がある、あるいはそれを段階的に良くしたい男性は、できるだけ服を着ない。上半身だけなら、外でも人が少ないところを選択すれば、問題ありません。女性も露出の多い服をファッションで着る場合があります。裸になると動物的な感覚が戻ってくるので。臭くもならないし、飲食の際に服にシミもつかないし、余計な洗濯ものも生まれない。服が当たり前という先入観を払拭し、その弊害についても目を向けるべきです。



<食の健康>


<住の健康>
 衣食住というのは基本的な(現代的)生活の事です。これを満たされないと生きていくのがしんどい。多くの人は、この住については、現代の中で「パッケージ化」されたものを当たり前のものとして認識しているのではないかと思います。医療と同様に現代の都合で形成された経済エコシステムの中に先入観、固定観念の元に飲み込まれるということです。私の周りの住居を見ていると、部屋のカーテンを全開に開け、部屋の中をさらけ出している人は皆無です。それはなぜでしょうか?住というのはプライベート空間であり、それは外界とは隔離した閉鎖空間でなくてはならないのでしょうか?住の健康を考えるにあたり、その先入観、固定観念は確実に間違いです。元々、人は外に近い環境で暮らしていました。それが長く続きました。従って、住環境というのを公的な空間、すなわち外、自然と切り離すのではなく、如何に連続的で、継ぎ目をなくす(シームレス)にすることが、実は、皆さんが知らず知らずに抱えているダークストレスを軽減させることにつながります。勇気を持って、カーテンを開け、あるいは外し、窓を網戸ではなく、開放し、玄関を開け、最大限、外との連続性を保てばがわかる事です。部屋の中の環境の全てが変わります。空気の質、臭い、音、温度、湿度全てがより自然になります。確かに夏場は暑い、冬場は寒い。しかし、これらは急に変わらず段階的に変わります。常に部屋を開放し、出来るだけ自分の肌を露出して過ごせば、漸次的に変わる温度に人の温度感覚は少しずつ適応していきます。また、生活の工夫として、温度調整を補助してくれる普遍的な物質があります。それが、綺麗な水です。夏場は、部屋の環境が暑くなると冷えた水がより美味しく感じます。その綺麗なミネラルウォーターは顔、肌を含めた全身に塗布することができます。それで冷えを全身で感じることができます。冬場は、ポットで温めた水が全身を温めてくれます。こうした温度を調整するのは今ではエアコンが当たり前ですが、エアコン環境に長時間いることでストレスに感じる人はいないでしょうか?もっと自然な方法で頑張って解消する事のほうがよりストレスレスではないでしょうか?そもそも、日本にとって四季の意義は何でしょうか?夏場は暑くて当たり前ではないでしょうか?冬場は寒くてそうではないでしょうか?それを乗り切ることが日本人のアイデンティティー(存在意義)ではないでしょうか?その日本人としての野性的な感性、感覚が、エアコンという温度を一定にする機器によってゆがめられませんか?
 住環境の外との接続性を高める事、窓、扉を開放する事によって、電気照明が必要なくなります。昼間は明るく、夜は暗いのです。夜が暗くて、色んなものが見えにくくて当たり前です。頑張って、暗い中で見る事が、眼の健康に貢献しないといえるでしょうか?そうした自然の昼夜のサイクルは睡眠にどう影響を与えるでしょうか?あるいは、昼間の人工的な照明と、あらゆる窓、扉を開けたときに部屋にふりそそぐ太陽光は自然照明とどのように質感として異なるでしょうか?照明には光の指向角が存在します。太陽光で部屋を明るくするとより全体が均一に明るくなり、ランダムに雲などによって日陰になり、少し暗くなったりします。その明るさを昼間感じることが目の感覚に優れる人、ホモサピエンスにとってより自然です。人工照明は不自然です。オフィスワーカーの人は、あるいは、外で過ごす時間の少ない家の時間が多い人は、昼間、このような不自然な明かりの元で生活していることになります。こうした環境の変化は、果たして私たちの健康にどのように影響があるか?それは立証されていませんが、精神的な影響も考慮すると全く何もないという事はないはずです。
 部屋の床、壁は何が最適でしょうか?確かにコンクリートは断熱性がいいかもしれません。木造住宅と比べて、そうした人工的な材料によって失われることはないでしょうか?なぜ、木造のフローリングを人工的な材料で構成されるカーペットで埋めるのでしょうか?それはやわらかいからですか?人は自然の産物です。人工とは相いれない関係性にあります。人を心地よくするのは自然です。自然ベースでいかに住環境を構築するかは、大切な命題です。フローリングの床は、非常に掃除が容易です。電気エネルギー、埃が過剰に舞うフィルター交換が必要な掃除機は必ずしもいりません。ほうきとちりとりで簡易的に掃除する事ができます。確かにフローリングは固い。でも、それを我慢すれば、より部屋の設計はシンプルになり掃除を含めて管理しやすくなります。
 住環境の中で昼夜の環境を毎日より自然に感じることができたら、生活を共にする夫婦、親子に日々、どのような変化をもたらすでしょうか?子供が生まれて、成長する段階で、人工物に多く知らずにさらされて成長した場合とどのような変化が生じるでしょうか?天井が光透過性であれば、空全体を見渡すことができます。紫外線照射による肌の損傷の問題が出ます。それは人工的なシェルター、可動式の蓋によって高価な様式で解消することが賢明でしょうか?もっと、自然で合理的なソリューションはないでしょうか?例えば、住居の天井を周りの木々で覆うのはどうでしょうか?ツタよりもいいでしょう。それで部分的に太陽光を遮ることはどうでしょうか?あるいは、家の一室だけそのような自然を天井から感じることができる特別な部屋を設けることもできます。現代の住居は夜、閉鎖空間、天井により、星空を感じながら生活する事を阻みます。もし、常に部屋にいて、上を見上げたら、満天の星空が広がっているような住環境では、あなたの日々の感覚をどのように変えるでしょうか?あなたと配偶者、子供の関係性にどのような変化をもたらすでしょうか?部屋にいながら、毎日の日の出、日の入りを自然な形で視野として感じることができるような住環境なら、あなたの毎日をどのように感覚的に変えるでしょうか?こうした事を実現するためには、日本のどこに住居を設けるべきでしょうか?こうした設計は伴侶と何年もかけて真剣に議論すべきことではないでしょうか?毎日、様相の異なる日の出、日の入り、雲の分布、天気が良い時には漸次的に変わる空の色、星空を家にいながら常時感じることができたら、夫婦という関係性が一般的により魅力的になる可能性があります。子どもの成長がより自然に則し、特に感覚系、神経系がより健全になるので、家族生活の満足度、幸福度が向上します。それは、現代が抱える人口減少問題とも密接に関連します。
 トイレ。確かに災害時には問題になります。しかし、排せつは本当に便器で下水環境に接続された様式でするのが正解でしょうか?あなた男性は、外で尿意を強く感じた時、それをアスファルトにするか、水環境にするか、植物上にするか、あるいは民家の壁にするか、どれを選択するでしょうか?その中に実は、便器でするよりもより合理的な選択肢はないでしょうか?トイレは大便を含めて便器上でするもの。それに疑う余地はないでしょうか?排せつ環境をどのように整えるかも、住環境を整えるうえで大切な命題です。必ず、現代で構築されたトイレ以外の解答が存在します。それは、災害時、ライフラインが止まったときに鮮明化するでしょう。
 現代のパッケージ化された住環境は、最も基本的な生活に関わるものであり、人々の健康の基礎にあるものです。それをより適正に見直すことで根本的な現代が抱えるジレンマを解決する重要な手立てとなりえます。特に、あなたと配偶者、子どもとの関係性にも関わることです。人口減少問題、地方創生とも関わる事です。住居において、現代的な、人工的な技術に何を頼り、その中でどのように自然な状況を生物の数十億年の歴史を踏まえた上で確保するか?住居についても生活を共にする家族とそれについて長期的に真剣に議論しなければなりません。その夫婦の関係性がより永続的になれば、離婚率が当然低下しますから、今問題となっているひとり親世帯の生活苦の問題も改善します。


<人間の二足歩行/走行潜在性と健康>
 最近の私の運動能力の向上の傾きが以前の運動習慣時とは異なります。自分の中で様々な運動の中で実感としてわかるレベルの運動能力の向上です。私は健康ガイドラインのほぼすべての項目を実施していますから、これは、健康ガイドラインが全てではなくてもおおよそ正しいという事の何よりの証明です。人間、ホモサピエンスの二足歩行/走行の能力は地球上にいる生物の中でその潜在性はトップである。特に持久力においては。私が足に障害を抱えることとリハビリテーション後の運動能力の向上、現在の運動能力を総合的に考えると、ホモサピエンスの歩行、走行能力の高い潜在性を実感します。現在は、自動車が普及していますので、歩道を含めて道路の多くはアスファルトで舗装されています。裸足で歩くには硬い事と、昼間、鉄板のように高温になることから、靴が必要です。従って、日常的に長い時間、距離、歩行、走行運動を不可欠なものとして組み入れる場合には、靴の維持管理についても考える必要があります。靴は、どういう風にメンテナンスするのがいいでしょうか?例えば、コインランドリーに一つ靴洗浄専用の機械がありますが、それを利用するの簡易的でいいでしょうか?靴をメンテナンスするもっといい方法があります。それは、汚れてもいいタオルを用意して、それを水で湿らせて、自分の細やかな動きができる手でタオルで特に汚れが残りやすいつま先部分をふくことです。外側も含めて。汚れがとれているかの評価は見た目と、見えない部分については臭いで判断します。しっかり洗浄ができていれば、臭いがほとんど出なくなります。視覚、触覚、嗅覚を使った靴の衛生状態、材料の維持管理です。この洗い方は機械で大雑把に洗浄するよりも靴のダメージを考えると非常にいいと思います。靴は、歩く、走る運動を非常に長くする場合において、カギとなる道具なので、この上なくしっかりメンテナンスして、常に身近に置いておくということです。手と水とタオルで靴をメンテナンスすると非常に近くで靴を見ることになるので、靴の日々の状態の正確な評価にも貢献します。例えば、私がずっと履いている靴のこのように水、タオル、手でメンテナンスする時に気づいた事。特に左の底の減り方の偏りがひどい。外側が異常に削れている。従って、左足を靴を履いて着地したときに常に足首が外側に折れて、ぐらぐらした状態になっているから、インソール、かかとの繊維の摩耗も右足に比べて非常に激しい。確実にこのままいけば、左の靴が故障して履けなくなる。それが目に見えてわかるということです。その原因はおそらく着地の悪さにあると思います。左は高校の時にサッカーで腰を痛めたことが動きの悪さの原因かもしれません。ストレッチをしていても、長距離運動をしていても、中殿筋がない右に比べて、左足の運動能力が低い事がわかります。そうしたことが足の着地から、足の筋力、腰の状態まで全て出ている。それが靴のメンテナンスをしてわかったということです。従って、靴をしっかり自分の眼、手を使って維持管理する事は、自分の歩行、走行の癖に気づくことにもつながります。元々、人間の祖先は、数百万年にもわたる進化のほとんどの期間、裸足で歩き、走っていました。従って、裸足で歩くのが自然であり、それに合うように出来上がっています。多くの人があまりにも靴は当たり前すぎる道具なので気づいていない非常に重要な問題です。足の裏の感覚は非常に重要です。一つとして便通(腸の蠕動運動)に関係がある可能性が私が実施した限りある。色んな介入を同時にしているので評価は難しいですが、それでも裸足で歩くようになってから便の出方が少し変わった気がします。足裏、足つぼマッサージがありますが、わざわざする必要はなくて、裸足で外をあるけばいい。思っている以上に何らかの効果がある可能性がある。服による上半身の感覚器の鈍りと同様に、靴、靴下はクッション性が強ければ強いほど、足裏から中枢神経系へ伝達する信号を歪めている可能性があります。しかしながら、舗装された歩道をずっと裸足で歩くわけにはいかないので、靴、靴下をカバンに入れて持ち歩くなど日常で工夫しながら少しずつ裸足で歩く練習です。特に発達期である子供です。ケガするリスクよりもずっと靴で歩くリスクの方が明らかに大きい。それぞれが大けがしないようなリスク低減の工夫して、子どもに外で裸足で歩く練習をさせなければならない。中枢神経系のツボのような信号以外にも、裸足で歩くとわかりますが、足の裏は靴の底と違って平らなので、着地に靴で偏りがあれば、それが正しく矯正されます。私のケースでいえば、左足の後ろの外側が大きく削れていて、外側に傾く着地となるので、それが裸足で歩くことで矯正されます。裸足で歩いた後、靴下をはいて、その傾いた靴で歩くと、明らかに左足の着地が外に傾いていることがわかる。このような感覚は靴を履いている時にはなかったことです。この章では人間の二足歩行/走行についてですが、二足ということは、二つの足裏に全体重が集中し、特に走っている場合には、位置エネルギーが飛び跳ねることでプラスされた状態で片足着地ですから、一つの足裏に大きな力、ストレスが集中します。裸足になればなおさらそうです。それに耐えうるようにホモサピエンスは進化してきましたから、足裏の土踏まずの部分を除いたコの字型の部分の組織は全身の中で一番強いです。細胞の接着構造の中で特に密着性の高いデスモソームの構造が普通の皮膚とは機械的強度という意味ではレベルが違う可能性が高いです。裸足で歩くというと、ガラスなどがあり危ないとありますが、ガラスも石英(SiO2)なので、石とは変わりないです。人工物質で鋭利性が問題になるだけです。大きければ眼に見えるので気づきます。小さなガラス程度であれば、足ふまず、指以外のコの字型の部分で踏んでも出血すらしないです。組織が未熟な子供でも同じでしょう。子どもは体が軽く柔軟で転ぶことができるので、異常に鋭利なストレスがかかった時には転倒することで、あるいは柔らかく動きで、組織で吸収することで分散できるかもしれない。子どもの野生児としての能力を引き出すためには多少は危険と想定されることも経験させないといけない。その一番は、「裸足で外を歩かせる」ということです。草原が一番いいけど、草原も硬い茎が立っていることがあることと、大きなガラスが見えにくいことからリスクがないとはいえません。しかし、現在の先住民の生活の一定の回帰という観点で考慮が足りないテクノロジーのみで子どもを育てると大変なことになる。子どもは夏前後、夏の昼間は上半身裸、裸足で外で一定時間、定期的に運動をさせないといけない。汗をかいたら、綺麗な水で、それこそ安価なミネラルウォータを水筒に入れて、冷たい水で軽く手の平で水を含ませて、水資源の無駄遣いがないように考慮しながら軽い水浴びです。皮膚に冷たい水がつくと特に暑い昼間は気持ちいい。それは感覚器が現代常識という客観性で弱められていない子どものほうがわかります。果たして電車で子供がじっと母親、父親に止まって抱かれているときと、外でこのように過ごすとき、どっちがストレスフルだろうか?その結果は比較実験するまでもなくわかります。歩く、走る能力は人間、ホモサピエンスたらしめる能力であり、非常に重要です。その意義は体の健康問題だけに留まらず、今までの歴史をかえりみること、地球の持続可能性にも関わります。歩くだけでも、足の条件を裸足、靴を履かずに靴下のみ、靴下をはかずに靴、靴下をはいて靴など条件を様々に変えられる。今では特に運動を目的に歩くときには靴下をはいて靴の条件が当たり前になって、疑う余地もありませんが、その先入観、固定観念を払拭して条件を変えたときには、あなたの世界観が変わる。ほとんど人がいない時間帯、道で男性で上半身裸で、裸足で、下はノーパンの短パンの軽装で歩いてみてください。もうそろそろ秋がふかまりそれをするには寒さでしんどい時期になりますが。体の感覚器が裸を前提に作られているという事はよくわかると思います。風が肌に触れる感覚が服で大分歪められていることに気づくはずです。言葉では表現できない感覚的な違いもあります。進化の過程で衣類、靴は遺伝子、細胞レベルで考慮されていません。元々、狩猟採取の人類が非常に長く続いた時代は、女性は子育てがありますから、静的に過ごしていたと考えられていますが、男性は野ばらを狩りの為に裸足、上半身裸で動き回っていた。そうした生活を想定すると、現代社会の中で完全に合わせることはできませんが、先住民生活の回帰を全くしないという事は何らかのリスクがあっても不思議ではありません。しかも、現在は靴、靴下、何枚も衣類を身に着けた上で、室内で空調が効いた状態で、動かない生活を仕事中、休みの日も続ける。このような今までの生物の歴史の観点からして逸脱した生活をして、健康を何とか人の力で構築しようというのは本質的に無理があります。元来「風の子」である子供も、安全性の為かほとんど平日に外で見ることもなくなりました。家でゲーム三昧でしょうか?それとも座って勉強しているのでしょうか?これは危険な兆候です。警鐘の為の鐘がいくつあっても足りません、
 自分の足を使って移動する事のデメリットは1km当たりの時間が12分程度かかることです。移動の時間が距離あたり車、自転車と比べて圧倒的に遅くなる。しかし、事故の加害になるリスクはほとんどない。駐車、駐輪の煩わしさがない。どんな細い道も選択できる。信号パターンも走る、歩くを信号が見えた時点で調整することで信号待ちを回避することができる。階段を上る能力が高ければ、横断に歩道橋を使うことができる。重い荷物を持つときには上半身、下半身を自然に鍛えられる。気になったところ、どこでも寄りたい放題。駐車場、駐輪場の有無は関係ない。人と一緒に歩くときには、会話を存分に楽しみながら移動ができる。自分の街の隅々まで知ることができる。こうした事が全て実現し、かつ歩くことそのものが健康と正の相関がある。下半身の循環が上がることで、全身の血のめぐりが良くなる。全身の細胞に適正に栄養が運ばれる。筋肉、骨、脂肪などの内分泌器官などを含めた全身の臓器、脳の相互物質交換が健全に行われるようになり、全身の健康状態が顕著に向上する。運動するので、食事、水が美味しくなる。飲み物を水(ミネラルウォーター)にすれば、水を飲むたびに口腔が綺麗になる。こうした足を使った運動はホモサピエンスにとって一番自然なことだから、自然と体全体が整う。歩くと走る。別の体の動かし方をするので、両方するとよりいい。裸足と靴、歩く条件を変える、歩くペースを変える。走るときには、ゆっくり走る、スプリントで速く走るなどのペースを変える。こうした着地の条件を含めた歩く、走るのバリエーションを日常生活の中で組み入れていく。健康ガイドラインでは運動以外に最適な筋肉のメンテナンスを定義する。それはすなわち全身ストレッチ、臥位筋緩和。全身の筋肉をストレッチによって随意、意識的に曲げ伸ばしする。寝た状態で随意筋である骨格筋の力を意識的に抜く。走る、歩くという積極的な運動での疲れ、筋肉のメンテナンスの為にそれぞれ臥位筋緩和、全身ストレッチを入れる。こういうことを全て日常生活でしようと思うと、フルタイムの学校(学業)、仕事(就労)であっては実現不可能です。従って、フルタイムのこれらの活動自体がすでにこのガイドラインで定義する理想的な健康状態を実現するために無理があるということになる。私が実施する限り、フルタイムの仕事をしていては時間的に無理です。さらに、配偶者、子どもがいて、生活の干渉要素があればもっと実現不可能です。現代の産業構造が先住民の生活習慣から外挿すると逸脱し、根底から歪んでいて、それが文明が構築されてからおおよそ世界共通で長く継続していて、その逸脱性が今現在さらに高まっている以上、さらには、このような警鐘を鳴らす人が非常に限定的である以上、もっといえば、警鐘を鳴らしたうえで自分自身の生活を先住民の生活の回帰の観点で実際に改変している人はより限られる以上、正への回帰への問題は、世界的に解決するのが非常に難しい問題です。


<生活の知恵と健康>
 生活費月10-13万というと生活保護のラインの最低の生活レベルです。今の私の生活水準です。非常に生活するのに困難な、厳しいレベルです。健康格差という言葉がありますが、通常は、経済的に豊かな人は健康的な食事、運動機会があり、顕性疾患にかかったとしても適正な医療を受けられるという意味で、低中所得国の人や日本でも私を含めて相対的貧困状態にある人が健康状態がお金を含めた生活環境が恵まれず、健康状態を維持しにくい事を示します。しかしながら、経済的に余裕がある医療環境が整った高所得国の人々が決して健康が保証されているわけではありません。現代の生活が人工物に囲まれ、歪んでいる中で、あらゆる人が不健康の波にのまれやすい状態です。医療も生活習慣病を代表とする現代病がある事を前提でエコシステムが構築されています。こうした状況において実質的に健康格差とは、病気になった時に治療が受けられるかどうかの有無であり、元々の健康状態を差を示すものではありません。この健康ガイドラインで明記するように、健康が現代の産業と正面衝突する側面が明確にある事から、逆に経済レベルが低い人でも工夫して生活を構築すれば、顕性の病気に罹患せず、健康的な生活を送ることが可能です。しかし、一番大切な食費以外にも、衣類、住居費、社会保険、学費、光熱費、通信費など様々な費用がかかり、特に一人親世帯で子育てを実現する場合において、健康的な生活を実現しながら、収入と費用の均衡状態を維持していくためには以下のような生活の知恵が必要です。
 まず、家計簿をちゃんとつけて数字で生活費を管理する事。これが最も基本的な事です。基本、子どもの登下校、母親の出退勤、食材の買い物などを含めて移動は全て自分の足、すなわち、徒歩です。これが健康的な生活と経費を抑制する最も筋のよい選択です。1時間を超える長い移動でも自分の足で移動できるように、親、子どもの歩行能力を段階的に生活習慣の中で高めていくことが大切になります。衣類は、できるだけ軽装にすることです。薄着でも耐えられるように、家の中で肌を無理のない範囲で露出するなど、少しずつ寒さに慣れることで、冬季でも衣類を減らすことができます。最低限の衣類で運用するという事です。これも健康的な生活と経費抑制を両立する大切な取り組みです。運動習慣がある中で、肌の露出を上げることは、熱交換が円滑になり、段階的に身体の状態を認識しながら(鼻水がでないか、喉が痛くならないか、くしゃみはでないか)、寒さに慣れることで、風邪をこじらせにくい身体となります。そのためには歩行による日常的な運動が必要です。少し家でトレーニングによって筋肉をつけることも有効です。住居費は、すでに安いところに住んでいると思いますが、新たに選ぶ機会があるなら、歩行能力があれば、駅から近い便利なところを選ぶ必要性もなくなるので、不便で需要の低い安いアパートを選択する事が可能になります。このように長い距離歩けるという事は、健康的になる以外に、生活の自由度が上がり、交通費、住宅費など経費が抑えられるという効果もあります。学費も、母親としたら子にしっかり教育を受けさせたいという思いはあると思いますが、今の世の中、インターネット、生成系AIなど自発的に勉強できる環境は整っているので、学業に対して積極的でない人が高等教育を受ける場合と、学業に対して積極的な人が経済的な理由で高等教育を受けられない場合を比較した場合、学ぶ意欲があって、既存の学校以外の手段で勉強する術を身に着けた場合は、後者のほうが結果的に高い学力がつく環境となっています。一つの懸念は、労働市場が学歴で絶対的にみる傾向が今でも続いていることから、良い条件で労働できないという事はありますが、健康で学力があれば、良い労働条件で働ける可能性も以前よりは高いと推定されます。光熱費は、部屋の管理を工夫すれば、特に電気代に関しては抑制できます。部屋を玄関を開けて、部屋の窓のカーテン、窓を全開にして、常に外の空気が部屋中を通るようにしておけば、夏場でも風が入るので、上半身裸で熱交換のよい身体条件でいれば、それでも昼間は暑いですが、慣れれば耐えられる暑さです。どうしても暑い場合は、体に冷たい水を少し塗れば涼しくなります。女性の場合は上半身裸は難しいですが、下着を恥ずかしくないものにして工夫して肌の露出度を上げることで、夏場の電気代のかかるエアコン代を節約できます。昼間のどうしても暑い時間帯だけ使うという選択肢もあります。あるいは寝苦しい夜だけ使うという選択肢もあります。暑さに体を慣らすという事も健康の上で大事で、熱中症の危険もありますが、部屋をしっかりあけて風を通して、肌の露出が高い状態にあり、定期的に冷たい水を塗り、こまめに水分補給すれば、慣れれば問題ないです。床の条件も、木のフローリングにして、絨毯などはひかず、よりシンプルにします。家族3人を想定したとき、トイレットペーパーは経費になります。物価上昇もあり、市場価格は6ロール400円以上はします。トイレットペーパーの使用を劇的に減らせるか、不必要にします。繰り返しになりますが、人間の排泄物(大便、尿)は自分の体から出たものであり、同じ生物である食べ物の残渣(残りかす)や細菌、細菌の死骸、水分などです。細菌が出す物質が臭いがあるので臭いですが、水と生物の集まりです。こうした水と生物は、原理的に同じ生物、細胞の集まりである人の表皮と相性がいいです。トイレットペーパー、紙よりです。従って、あなたが腸、膀胱から出した排泄物は、あなたの指と原理的に相性がいいです。あなたの指は組織として柔らかいです。柔軟な動きができます。ゆえに、組織学的に繊細な肛門、陰部などを拭くときには、硬さのある紙よりも、あなたの指の方が組織を損傷させることはありません。あなたの肛門、陰部と共に指先には感覚があります。その感覚により、肛門の便の残渣、組織の状態を慣れてくれば確かめることができます。小さな傷があれば、痛みによってその部位と程度を特定することができます。指は人差し指、中指、薬指がありますから、自由に動かせるこれらの3本を使って肛門の状態をウォシュレットによる水と指を絡ませながら非常に綺麗に拭くことは可能です。唯一の障害は、便を指で揺れるのが不快という先入観のみです。指は水で洗えばすぐに綺麗にできます。その時に石鹸、ハンドソープは必要ありません。肛門の水気を拭くのに、少しのトイレットペーパーを使い、本当に綺麗になっているかを確かめてもいいです。その肛門の水気が気にならなければ、トイレットペーパーは必要ありません。トイレットペーパーは、災害時、オイルショック時に供給が滞ると、多くの人がパニックになって買いだめをする最も不可欠な、エッセンシャルな日常用品の一つですが、あなたがトイレットペーパーフリーのトイレを実現する事で、こうした制限、危機を抜本的に回避する事が可能になります。災害時、避難所では仮説トイレ負荷が高まり、非常にトイレ内の衛生状態が悪くなった時には、外で土をスコップで掘り、大便を自然の中ですることも可能です。その時にペットボトルに水を持ち、その水と指で肛門を拭くスキルがあれば、紙のごみもでません、大便を土で埋め、木の枝かなんかで便をした印を残せば、それで非常時の対応として事足ります。何の問題もありません。人工物と大量の流されていない便が堆積した非常に衛生状態の悪いトイレで、ストレスを感じながら用をたす必要はありません。トイレットペーパーフリー、節約する生活は生活に苦しむあなたの経費節減として一つ大切な項目ですが、これを生命科学の考え方でもって科学的合理性を持って実現する事は、肛門、陰部の健康状態を上げるだけではなく、緊急時のトイレ問題対しても強靭になります。正しい事をすれば、多くの利点を同時に達成する事ができます。前述した様に、木のフローリングのみにすることで、掃除が楽になります。重い、フィルター、ゴミ交換が必要な電気代のかかる掃除機を都度出さなくても、ほうきと塵取りがあれば、すぐにフローリングは掃除することができます。小さなごみはとれにくいですが、ほうきを縦にする、水を撒いてタオルで拭いてとるなど工夫すれば細かいゴミも除去する事が可能です。すぐに手軽に掃除できるという事は、掃除の機会が増えますから、部屋が原理的に綺麗な状態で保たれやすいです。同時に、玄関を少し開け、ベランダのカーテン、窓を部屋にいるときに全開にすることで、ベランダとの接続性がよくなります。ベランダも素足で出れるように床を綺麗にし、ベランダに何の障害もなくすぐに出入りできるようにします。アルミホイル、コーヒーフィルターなどの消耗品は繰り返し使う事が可能です。外で大気、太陽触れ乾燥させれば、衛生的に使いまわすことが可能です。使った回数分、こうした消耗品のランニングコスト、経費を節減できます。食器、包丁、まな板などの調理関連のものも湿気の多い、風の通らない、太陽もあたらない調理場に常時置くのではなく、水洗いしたら、ベランダの風邪、太陽が当たるところに置きます。まな板は下着同様に洗濯ばさみで多点で挟んで干すことが可能です。こうしたベランダを使った食器の運用により洗う負荷を減らすことができるため、油汚れであっても、手が荒れやすい食器洗剤を使う必要性がなくなります。水洗いのみで運用可能です。手の感触と鼻による臭いの確認によって、食器が綺麗に洗えているかどうかの確認が可能です。取れにくいよごれは、たわしなど固い材料で洗えば除去できます。これで食器洗剤の経費をなくすことができます。手を洗うのも、石鹸、ボディーソープは必要ありません。お風呂もシャンプー、リンス、ボディーソープは必要ありません。髪の毛がパサつきますが、そうなっても問題ないように女性であっても可能な限り、髪の毛を短くします。
 このように生活を工夫していけば、生活費のおおよそは食費に回すことが可能になります。あなたの収入から生活費の上限があるでしょうから、その金額と相談して、上述した様に人、生物、人工物の特徴をしっかり理解して、食費以外の経費を正しくゼロに近づけることで、食費に多く回せるようにします。それで、あなた、子どもの心身の健康、成長を確保します。あなたの地域に生鮮商品が多くあるスーパーマーケットがありますが、家からおおよそ15分以内で到着する程度の距離である半径1km以内には仮に1件しかなくても、1時間と少しかかる距離である5km圏内にすると面積は25倍になりますから、10件程度に少なくとも増加します。そうすると色んなスーパーを選べるようになり、散歩、運動、子どもへの教育もかねて、子どもと共に自分の足で歩いて、スーパーマーケットを回り、飲食品と質、価格の特徴を分析のもとでの最適な買い物を交通費なしで、かつ自分の心身の健康のベースを支える歩行運動によって実現する事ができます。周りの街を細かくみながら、子どもと会話しながら、時には重い荷物を長い時間持つことになります。元々、狩猟採取時代には飢えや食品を取る大変さが今以上にありますから、その時代を想像しながら、自分が生きていくために必要な過不足ない良い食べ物を良い条件で手に入れる大変さを汗をかきながら、子どもと共に共有していくことです。これは子どもへの教育としてとても大切なことです。


<トイレ(排泄)、下水と健康>
  日本史を振り返れば、江戸時代に夏場に江戸(現在の東京)で一流行で数万人、コレラで死亡することがあります。その原因は人の便、尿などの排泄物と当時の人工物を含むゴミが街中に堆積していたことが挙げられます。こういう事があるから、人から出る便、尿は汚染されたもの、あるいは人に害を及ぼすものという先入観があります。今では西アフリカなどでは、現在の電子機器とこうした人の排泄物が堆積している地域もあり、それによる人への害は子供を含め計り知れません。私の立場からすると適切な排泄物の処理、下水の処理をもっと適切に考えるうえで、この先入観は部分的には払拭しないといけません。日本は災害の多い地域です。一番多いのは線状降水帯による洪水、あるいは、台風の被害によるもので、山火事は湿潤のためアメリカなどに比べて少ないです。それで避難所に待機することになると、その期間が長くなればなるほど、排泄物の処理、すなわちトイレの問題がでます。音楽の野外ライブなどでも同様ですが、人が集まった地域に少ない仮設トイレしかないと、特に大便がたまったときに、その負荷に仮設トイレは耐えられなくなり、仮設トイレの臭いなどを含めた衛生状態は非常に悪くなります。日本はトイレが公衆便所も含めて非常に綺麗で、下水も綺麗な循環性のある水資源が豊富な事から整っています。また、現在ではコンビニエンスストアの貢献もあり、外出時にも公衆便所以外の緊急のトイレの場所が至る所にあります。日本人は特に女性はこのトイレの問題に対して非常に敏感です。だからこそ、災害時、そのトイレのシステムが少しでも崩れると非常に生活の上で大きなストレスを抱えることになります。これは、非常に子どもの教育を含めて、健康管理、環境問題、あるいはシステムの維持管理の負荷の観点で大切なので、この健康ガイドラインレベル4で章を設けて記述します。これから述べる事の一般人の解釈が一つ間違えると、それはそれで社会問題になるので、私としても書き方、表現を非常に慎重に気を付ける必要があります。
  ヒトの尿と便というのは人の腸や膀胱にあるものですから、単体としては不要なものを排出してるという事もありますが、そんなに汚いものではありません。例えば、自分の便を少し触ることを毎日続けても、多分、あなたの手の皮膚に湿疹ができたり、皮が乾燥してめくれたりすることはありません。それをそのまま口、もっといえば目にいれると問題ですが、ちゃんと手を洗ってそういう事に気を付ければ、皮膚に問題が出ることはまずありません。しかし、食器を洗う洗剤の場合はそうはいきません。私の鍛えられた皮膚でも指先が乾燥し、時に表皮の一部がめくれることあります。洗剤は「綺麗なもの」、特に大便は「汚いもの」というのは生物学全体を見渡して、人の組織への影響を考えると先入観、固定観念です。これは健康と持続可能性の問題を解決するためには払拭する必要がある。生命科学の学者の中で人を含めた生物の便を使って研究している人は多くいますから、その人たちの便に対する衛生の考え方は、多分、今の私にかなり近いと思います。もっと冷静に便を見ているということです。では、なぜ、江戸時代や今の低中所得国で、人の集中的な排泄物によって深刻な衛生問題が生じているのでしょうか?その大きな理由は「人工物と混じって、大量に存在するから」です。便、尿は人工物と非常に相性が悪い。便が残って、衛生問題が出るのは、パンツなど人工物でできた衣類についたままになるからです。あるいは、トイレが便の負荷が高まったときに衛生状態が非常に悪くなり、そうではなくても一般的に臭いのは、便器などが人工物だからです。臭い、衛生問題の元となる細菌叢が非常に歪んでしまいます。おそらく、1mくらいの草で覆われたところに大便をしてみたらわかると思います。それでも量は確かに問題になりますが、便をしたときの臭いが便器とは全然違うはずです。植物、土壌、便という組み合わせは相性がいい。植物学者の中にはウィキペディアにも書かれていますが、便、尿はリンなどの栄養素が多すぎて、植物を逆に枯らしてしまう、土壌のバランスを不可逆に改変してしまうので、外でみだりに糞便、尿をすることは推奨されないと主張する人がいます。これに関して私は少なくとも2つの論点を持っています。一つは、植物学者が実験として動物、人の尿、便がどのように植物の生育に影響を与えるかを調べた実験環境がそもそもその辺に自然に強く生育する非常に環境相互作用が強い草原と同じ耐性を持つ条件ですか?というのがある。そんな集中的ではない人の便、尿くらいで植物が枯れるようなら、日常の乾燥なども含めた環境変化に耐えられるわけもないというのが私の一つ目の意見。もう一つは、そもそもトイレですることがゼロリスクですか?というのがある。例えば、河川敷を歩いていると、運動施設が整えられていて、決まって仮設トイレが用意されています。これは素晴らしい事でしょうか?仮設トイレに貯まった便、尿は「誰が」交換するのでしょうか?交換する人はゼロリスクで交換できるでしょうか?その方々の気持ち、負担を考えた、想像したことがあるでしょうか?そうまでして非常に広い草原がある川辺に(男性用の)仮設トイレは必要でしょうか?少なくとも感覚が優れた男性の子どもは、水がそのまま流れる川ではなくて、比較的丈の長い草の部分で、それぞれ場所を決めないで分散的に尿くらいはしたらいいのではないでしょうか?子供は臭くて、狭い仮設トイレよりも、そうして大空のもと自然の植物と対話しながら、泌尿器を露出して、尿を適度の放尿する位置を変えながら、済ませたほうが、すごく気持ちよいし、勉強になるのではないでしょうか?どの場所に尿をすべきかを真剣に考えるということです。当然、民家の塀はダメです。用水路もダメです。川、湖もダメです。海ならどうでしょうか?草原でも人が頻繁に通るところはためらいがあります。河川敷のような非常に草木が豊富なところで、分散的にトイレをすることは、果たして間違いでしょうか?間違いというなら、トイレの負荷を考えたことがあるでしょうか?仮設トイレに限らず、バキュームカー、あるいは下水設備を整備して、維持管理する事の負荷、大変さは考慮されているでしょうか?時々、事故で、下水管に人が転落して、その強烈な硫黄臭で人命を落すことがある。トイレは、綺麗にされていますが、掃除している人が常にいる事を考慮すると、決してその負荷がゼロではありません。確かに東京、大阪など草木に対して人が圧倒的に多いところでは、トイレ、下水設備は、過去の江戸でコレラが流行した教訓も踏まえると絶対的に必要です。あるいは、アメリカのような乾燥した地域が多く、植物が相対的に少ないところでは、やはりトイレが必要でしょう。日本は湿潤ですから、草木が非常に多いです。ほとんどが郊外、田舎です。そういった地域に東京、大阪などの都市部と同様に地球を何周もできる長さの下水配管を整備して、それを維持管理して、都会と同じような負荷のトイレを整備する必要があるでしょうか?トイレの他の選択肢を常識として定義する必要はないでしょうか?トイレをする場所、その良し悪しをもっとバランスを考えて真剣に考えるということです。子どもの教育でも大人と同様にそれについて考えさせるのです。草木への放尿が植物が枯れるのでだめと否定するのは、トイレそのものがそもそも負荷、リスクがあるという前提が考慮されていない証拠です。仮設トイレなども含めてトイレは負荷ですし、トイレの部材が人工物ですから、当然、自然である植物に分散的にするよりもはるかにその負荷は大きくなり、衛生上悪くなりやすいです。不健全な細菌叢のバランスが生じやすいです。江戸のコレラ、低中所得国の都市の排泄物問題は、特に現在に関しては、現在の電気、電子機器と排泄物が大量に混じっている事が問題です。トイレが整っていない低中所得国でも、都市部の人口集中を緩和させ、人を郊外に移し、トイレを場所を決めずに分散的にちゃんと草木に考えてすれば、そんなに深刻な衛生問題にならないはずです。例えば、北海道の大雪山では頂上付近で登山者の排泄物の問題が出ているといいます。これは、いくつかの論点がある。一つとして、大便、女性が尿をしたときのティッシュがそのまま捨てられていること。これはダメです。排泄物ではなくティッシュがだめです。上の章で述べた様に大便をするにしても、携帯した水と指で大便した後、肛門周りを綺麗に拭くスキルがあれば、このようなティッシュの問題は回避できます。もう一つは、量です。大雪山の山頂付近はおそらく森林限界を超えていますから、それほど草木が豊富ではなく、あってもまだらで丈が短いです。こうした岩肌を含む場所に大量の登山者が無作為に便、尿をすると当然、環境は吸収しきれませんから、衛生問題が出ます。従って、自然環境の中で排尿、排便をするときにはよく考えないといけない。その意味で、全面的に自然環境への排尿、排便を肯定しているわけでは決してありません。しかしながら、ティッシュなど持ち帰り、あるいは使わず、ゴミを出さず、正しく草木に分散的にトイレをすることができたら、下水設備、回収設備が整ったトイレの負荷も減るし、トイレのマテリアル自身、あるいは排泄物が集まる部分のデザインをもっと植物、土関与で工夫することにもつながります。野外で正しくトイレをするスキルがそれぞれの人に見につくと、災害時、仮設トイレが非常に衛生状態が悪くなった時、うまくトイレができない子供も含めて、より衛生的なトイレに誘導することができます。例えば、緊急時ですから、避難所の周りの自然の部分を探して、スコップで土を掘って、適度な地中に自分の便をすることが女性でもできるでしょう。それで、テッシュを使わずに水と指で肛門を拭く。トイレをしたところには土で埋めた後、木の枝を立てるなど何か便をした目印を自然のマテリアルで残せればマナーとして合格点です。便が大量に存在する臭いのきつい人工物と混じった仮設トイレよりも確実にこちらの方が衛生的です。トイレに関する知識、技術、経験です。川辺を歩いていて、日本人で子供も含めて、野外排尿している人はほとんどいないので、草木の非常に多いところでも尿意を感じたときにはみんな我慢していると思う。倫理上良くないと思っている。こうした倫理感は日本人のマナーとして大切にすべきですが、下水配管の老朽化、維持管理、再構築費用、災害時の対応など様々な観点を考えると、トイレについては、見直す余地のある問題で、この問題を適正に解決する道を見つけることは、広義には、それぞれの人が持つイデオロギーの改変を含めて健康と持続可能性の問題にも一定交差します。


<輸送機器業界との調和>
 健康ガイドラインレベル1から特に3で明示した様に、健康ガイドラインで一番大切な項目は運動と栄養であり、運動の中でも自分の足を使った自然な運動である歩行、走行に重点を置いています。おそらくすでに、臨床現場では患者を継続的に見ている中で、高齢になっても日常的に歩く習慣がある人は、顕性疾患にかかりにくいという感覚はあると思います。この歩行という習慣に一番直接的に負の関わりがあるのが人を機械によって運搬する輸送機器業界です。自動車だけではありません。自転車、バイク、電車、船、バス、新幹線、リニアモーターカー、飛行機全てです。日本は特に自動車産業への産業依存度が高いので、真剣に考えないといけない産業です。一つとしての調和の為の肯定的な立場では、ヒトではなくてモノを運ぶ、すなわち物流の輸送機器の産業の付加価値を上げるという事です。特に健康に関わるところでは、水、その他飲料物、食料です。すでに成熟度が高い業界です。細かいアイデアでは歩行、走行の運動機会と自動車の使用を紐づけるものは筆頭著者の頭の中に存在しますが、健康という所を真に考える時には少し無理があるのでここでは明示しません。ただ、そうした案もあるという事は明言します。画期的な案は健康と関連するところで今のところありませんが、考え方として提示できることがあります。多様性に関わるところです。私のように完全に自動車を手放すのではなくて、自動車を所有しながら、適切に歩行、走行を使った運動機会を見つけるという中庸の考え方です。全く画期的ではなく普通の事です。すでにそのような人はたくさんいる。自動車を所有するか否かが、自動車産業の売り上げに大きく関わるので、この中庸の考え方を一定支持すれば、健康ガイドラインは大きく自動車産業を縮小させないということになります。


<製薬業界との調和>
 この健康ガイドラインの取り組みの絶対的な目標は人々の心身の健康ですから、顕性疾患を薬物治療によって治癒させることを目的で研究開発生産される製薬業界は、この取り組みに対してマイナスの影響を受けやすい業界です。医療とも関わりが当然深く、調和を考えるべき重要性の極めて高い業界です。今の立場、知能の状態で提案できることは実は多くありますが、これは健康ガイドラインなので健康と直接関連のあるところでの調和の記述のみに留めます。健康ガイドラインの立場としては、少なくとも慢性期医療で筆頭筆者が経験しているように薬があることが前提で体が適応して恒常性を築くというシステムにすることを明確に支持しません。最終的には患者が寛解に向かうプロセスで薬物に頼らず、病院からの独立性も一定高めて、健康的な生活習慣を築けるようにすべきであるという主張です。どうしても慢性期に恒常的に薬物に頼らないといけないケースがあるとすれば、その薬物はヒト、生物由来、あるいは水からできた材料で構成すべきであるという補償的な立ち位置を取ります。縮小が余儀なくされる状況で、それを補償する製薬業界が転化しやすい産業の創出を知恵を出して考える中で、このガイドラインでは健康に関わるところで具体的な案を捻出することに挑戦します。
 MRIで脳を観察する時に、造影剤という感度を上げる物質を投与してシグナル増強し、分析感度を上げる方法がありますが、このコンセプトを細胞外小胞分離の分析プロセスに水平展開し、創意を加えます。筆頭著者が今までの経緯の中で関わってきた細胞種特異的薬物送達システムがあります。薬の薬効を上げ、副作用を少なくする目的で特定の細胞種に送達させることを目的で考案したものであり、この技術は抹消させずに大切にしたいと個人的には考えていますし、それで製薬業界の産業を守り、調和に貢献できればよいと考えていますが、この技術を医療に対して健康な人の分析に利用できる可能性がある細胞外小胞分離の分析プロセスの感度向上のために使う事ができます。細胞外小胞の放出プロセスはいくつかありますが、その放出を促す転写因子を細胞外小胞に内包して、特定の細胞種に届くようなシステムにします。そうするとその細胞種から出る細胞外小胞が優位に増えますから、液体生検で分析したときの特定の細胞種の分析感度を選択的に上げることができます。予め、健康状態を分析する時に分析する細胞種を決定するという事です。例えば、心臓の機能を集中的に見たいとしたときには、採決する前に心筋細胞の細胞外小胞が多く出るようにその細胞種に特異的に送達する細胞外小胞を送達させます。多く出るということは量によってもタグ付け(マーキング)できるようになるので、分析の技術的負荷が顕著に小さくなる可能性があり、細胞外小胞分離の実現可能性を顕著に引き上げることになります。この感度向上の細胞種は複数あってもいいわけです。そうすれば一回の採決で任意の複数の細胞種の情報を選択的に取ることができます。コストの問題がいずれにしてもありますが、すでに顕性疾患がある人の場合には、疾患部の細胞種の情報を取りたいという事があるでしょうから、こちらのほうが健康とは直接的な関係はありませんが、需要が強くありコストバランスを構築しやすいです。


<自然-不自然-人工軸の定義の限界>
 自然、不自然、人工軸において、ヒト国際社会として、それぞれの国の社会として、個人としてどのようなアイデンティティー(存在意義)、イデオロギー(観念体系)、価値観、使命感で持って、どの立ち位置を取るかは人の健康と地球持続可能性を考える上で重要です。地球の持続可能性は生物としての40億年の営みによる軌跡の逸脱性という観点での持続可能性であり、地球が消滅するか否かというと別の問題となります。すなわち、仮に人工物を今のペースで作り続けたとしても地球は消滅しないという観点から、持続とは「何の持続なのか?」を問う、その定義を明確にする余地が存在します。一方で、人の健康という観点でいうと、自然、不自然、人工軸の中での立ち位置を考える事は私の健康ガイドラインをレベル1から4まで理解すれば、その重要性が顕在化します。しかしながら、自然、不自然、人工のそれぞれの3つの概念がどういったものかを明確に定義する事は容易ではありません。物理的に限界があります。最後の章では安易に自然とは熱力学第二法則に従う事としました。もう少し、熱力学第二法則の本質について理解し、考え直す余地があります。結論からいうと熱力学第二法則、すなわち系として状態数が多い方向に誘導されるという現象は、その系が閉じた系でしか成立しません。その系に対して外部からエネルギー的な干渉がある場合、すなわち、その系が非平衡な場合、次の状態がより確率的に低くなるような場合も存在しうるという事です。最後の章では生物の一種であるアリの運動は乱雑性に欠けるといいましたが、この根源を辿ると、アリは生物から構成される餌によりエネルギーを定期的にとり、運動を可能にしています。すなわち、アリの運動は外部からのエネルギー的な干渉がある開放的な系であり、熱力学第二法則の閉じた系での、平衡状態での熱力学の前提が成立しないという事になり、そうした非乱雑性の運動は物理的に矛盾しないという帰結になります。生物ではなくても、物質は太陽光、マグマなど様々なエネルギーに暴露されており、その分布のプロセスは外部からのエネルギー的な干渉があり、開けた系である限り、熱力学第二法則から逸脱性を持ちます。従って、熱力学第二法則とは完全に閉じた系である必要があり、実空間、現実と照らし合わせれば、そうした閉じた系と「なりうる」のは特別な実験条件を人工的に構築する場合を除いては、最大、究極の巨視である全宇宙空間のみとなります。この仮説、推定に従えば、宇宙全体として熱力学第二法則は成立している可能性があるけど、その中の細分化された系は、ほとんどの場合、外部干渉があり、一定の非乱雑性を持つ、すなわち確率の低い状態への駆動圧が存在するという事です。この考えに従えば、人工というのが人が生み出したものとしたとしても、自然、不自然の定義の境界を明確に示せなくなります。そうではなく、非生物、生物、ヒトとしたほうがいいのか?という再定義の検討の必要性が出てきます。ネイチャーポジティブという言葉があり、これは自然への回帰、あるいは自然にとって利点がある事という意味ですが、そもそも自然とは何という定義なくして、ヒト社会を自然に寄せる事、何が自然にとって利点があるのかを明確に、具体的に評価する事はできません。自然、不自然、人工という区分があると仮に定義しましたが、なんとなく自然と人工という2極論で考えられ、その間に不自然というのがあるという中庸が欠けている気がします。自然から人工までを連続体として考え、その間に不自然と置く場合、その変化の基準をどのように定めるかが一つの重要な論点となります。不自然を温室効果ガスの環境排出のように人が自然に対して巨視的に関与したものとしてみるか、そうではなく、地球で生じた生物の発生、進化という所をすでに不自然と置くかという問いがあります。前者の主張が多いと推定されますが、すでに生物で起こったことを不自然とみる場合、非生物の中にヒト社会が回帰すべきヒントがあるかもしれないという視点を生み出すという点で価値があります。すなわち、生物を自然と定義する場合、生物多様性の維持というように生物に対して直接的に利点がある事のみの観点となりますが、生物の自然な発生や進化の背景として非生物的な環境が生物に与えた影響をより精細にみるという観点が生物を人工と逆の極値として定義しない場合に生まれます。生物を既に不自然と見なし、その背後にもっと自然に近い、言い換えると宇宙全体の巨視的な全物質の分布の軌跡に近い系がある事に視点が向く設定は一定の意義があります。人為的という人が意識的に行った行為の結果生じた物質的な分布を人工とした場合、その人が文明を築く前の、あるいはサルが人に進化する前の、どの(進化の)地点か議論の余地がありますが、生物が数十億年かけて営なんできた進化のプロセスに大きく逸脱しないことが自然の原点と定義していいか?という問題提起です。生物自体を連続体のどの地点に置くかによらず、最終的な目標をどこに置くかを明確化し、合意形成を図ることは重要です。この健康ガイドラインでは人の真の意味での心身の健康を原点に置き、人は生物の部分集合であるので、生物が数十億年かけて構築してきた生命システムに調和する事こそが心身の健康の重要な素因であるという明確な指針があります。一方で、現代産業、あるいは脳の嗜好と衝突し、それら現代社会で大切にされているものと調和を共生、共感、多様性、動的平衡性などの多元性でもって実現していく事も同様に重要な素因であり、これを具体的に考える事がこの健康ガイドラインレベル4です。数十億年かけて構築してきた生命システムに調和するように生活習慣、産業構造を回帰的に改変したときに見える未来像は、生物多様性の維持という重要な環境問題を同時に解決する潜在性があります。なぜなら、人が本質的に心身が健康になる環境は、同様に他の生物にとっても健康になるという事を本質的に意味するからです。生物は同じシステム上に乗る以上、共通点があるという考え方です。人に特定の選択を促すとき、本質的には後の状態が自分にとって快楽、充実、経済的に豊かなど価値のあるものである条件にすることが重要です。団体を含めて長期的利益に基づいて行動する事の難しさが露呈しているため、直後の短期的な結果がそれぞれの人にとって確率高く利益がある条件設定にすることが重要ですが、心身の健康という価値がこれからの人々にとってより高くなればなるほど、その行動に伴うジレンマ、リスク、負荷という壁を乗り越える駆動力になるため、その実現の為の行動を促すためには心身の健康というブランド価値を形成する必要があります。端的にいえば、健康は当たり前の普通の事という認識ではそれにともなう負の要因を超える事はできません。総体的、大枠の観点として、人が定住し始めてから心身の健康状態が悪くなった可能性があるという事は生活様式の変化と現代の生活習慣病の病因を含めて推定する事ができます。この心身の健康状態の悪化を埋め合わせるために構築された事が、そこから現代に至るまで繁栄の裏で抱えてきた様々なジレンマの源泉という考え方もでき、それはすなわち、それ以前の生活習慣の回帰によって心身の健康状態を上げることができたら、こうしたジレンマの源泉の基礎を健康的に再構築する機会が生まれうることを意味します。こうしたジレンマは歴史的経緯でもってより強靭に負の遺産となっているケースもあることから複雑な困難性を伴いますが、今まで何千年も原理的に解決不可能だったことの前提が変わる潜在性が真の意味での人類の心身の健康の実現に内在する可能性を見出すことができます。この点を考慮に含めると、やはり、心身の健康の実現を具体的プロセスでもって様々な側面、スケール、難易度で定義する事は、現代の人類に課された最も重要な問題と確信する勇気を与えます。


<健康と地球持続可能性の絆> 
 健康とは何ですか?顕性の病気に罹患しないことが健康でしょうか?スマートフォンの画面ばかり見ている未成年は顕性疾患が特になくても健康と言えるでしょうか?細胞、その集まりである生物が絶え間なく紡いできた命の軌跡を考慮することなくして健康は定義できません。健康をより厳密に考えるためには物理学の力が必要です。物理学の第一原理とは素粒子の分布です。時間とは、素粒子の分布がより確率的に高いほうに遷移していく不可逆的な過程です。アリの運動は、ブラウン運動とは逸脱します。これは、すなわち、確率的に低い方向に動く可能性であり、熱力学第二法則に逸脱性を持ちます。熱力学第二法則に従うことが自然だとすれば、アリの動きは不自然です。しかし、これは人工ではありません。健康とは、自然、不自然のはざまにあります。人工の領域にはありません。人工は、ただ、健康を歪めるだけのものです。健康とは地球が生物のいわば、遺伝子の自己複製獲得という不自然の40億年の歴史の中での流れに従う事です。人の身体はその流れに同調するように、その都合で構築されてきました。わかりやすい例を紹介しましょう。近代の日本の近視率は非常に高いです。私の近視です。近くを見るという事は人間のデザインに組み込まれていません。今まで、生物は近くの特定の複雑な対象物を長時間凝視する場面は生活の上で一度も存在しませんでした。従って、近くの字、画像、映像を長時間凝視する事は、当然、眼の健康に対して壊滅的な結果をもたらします。それに対する補償効果は存在しません。これは大なり小なり、人の身体のあらゆる部位に当てはまります。従って、人の健康を考える事は、すなわち、細胞の40億年の歴史、類人猿、ヒト族、ホモサピエンスの歴史を見直すことでしか定義できないのです。これは過言ではありません。もし、人工でそれを構築したいのであれば、40億年に対して、10000倍の賢さで対峙したとしても、40万年擁します。ほんの数百年、もっといえば、数十年で解決しようというのは明らかに生物の絶え間ない営みに対する尊厳の欠如です。
 この自然、不自然、人工という軸で現在の叡智でもって総体的に人の心身の健康について考えた時、私たちは重要な気づきを得ることになります。不自然、自然を定義することにより、人、生物、地球において最も大切なものが実は合理的に両立可能であるという事を、今までの人の脳の過ちを超えて、脳はメタ認知として上位から理解する事が可能になります。これが真の意味で、ネイチャーポジティブ、すなわち、人工から不自然、自然への回帰です。
 自然を考える上で第一原理である素粒子の分布についての最も簡略的な、しかし、本質的な説明を最も簡潔的な様式で施します。その簡略性のためにボース粒子、フェルミ粒子の2分論で宇宙の統一性について定義します。ボース粒子とフェルミ粒子は回転の単位の細かさ(1,1/2)が違うということですが、フェルミ粒子が目に見える実態があり、ボース粒子はそれがないというのはおそらく違います。そもそもずっとスケールを小さくしていったときにはそうした実在論の境界の有無もあいまいになるはずです。「そこに確かにある」を問うことは意味がないかもしれません。ただ、感覚としてグラフ理論でいうエッジ(線)、ノード(点)をそれぞれ光、ヒッグス粒子などのボース粒子を線、電子などのフェルミ粒子を点と考えるとなんとなく私たちの直感と重なるかもしれません。仮にそうします。世の中の不変則は確率としました。それは、宇宙が空間的に膨張することで次の状態が常に拡張し、その状態の数が(器として)増えていくからであると考えました。ビックバンから状態数は増え続けているのです。それを大元で駆動するのが実は数学的には確率論であり、確率が高い方向に誘導されるというものです。水の配管に分岐があり、一方が顕著に太ければ、水分子はそちらに多く流れるという事です。その逆はありません。例えば、造幣された年が全て異なる100枚の10円玉があるとします。それが全て表、裏になる状態の数はたった2パターンしかありませんが、50枚ずつ裏表になるパターンは造幣された年が異なるという一つ一つの10円玉に特異性を与えるとそのパターンは約10の29乗になります。すなわち、エントロピーの法則とは乱雑性ですから、50枚、50枚の最も均一な、乱雑なパターンに誘導されるというのは、その根底にあるのはこの状態の数、すなわち確率なのです。したがって、エントロピー増大の熱力学第二法則とはその根底には確率論があるのです。多くのパターンがある方向への系全体への駆動圧が絶え間なく続いています。それが時間です。逆はありません。宇宙の膨張もおそらくその確率論に支配されます。空間そのものが可変因子。十円玉という玉に着目すると、フェルミ粒子的です。しかし、それぞれの玉には「関係性」があり、その関係性とは引き付ける力であり、それを駆動するのがボース粒子です。だから、点と点の架け橋の元である線であり、この点においてグラフ理論の例えが厳密ではなくても直感的に整合します。
 世の中に存在する人工的なもののほとんどが、分子レベルまで微視的に考え、完成体としての巨視までのスケールでみるとその分布の自然発生的な確率はほぼゼロですから、いわば上の十円玉のケースでいえば、すべてのコインを表に向けるような行為にほかなりません。それを生み出すのは人の脳ですから、人の脳はいわば自然の法則から逸脱する能力を「誰かから」与えられたといえます。これは、下述するように神経細胞に細胞種が分化した時点でその運命線が開かれたという考え方もできますが、もっと以前、すなわち、遺伝子が合成されたときに、遺伝子自体が自己複製能を獲得したことそのものが、結果として生物としてあり得ないことを起す起点であったという考え方もできます。どの時点で、このいわば異常が地球上で起こったのかということを評価、断定する事そのものがこのテーマと同様に科学的に非常に興味深いことです。こうして、人の脳が自然の法則から逸脱するとは、人は意識的に太い道よりも、細いいばらの道を選ぶということです。人に進化するもっと前です。上述した様に遺伝子の地点と考える事もできますが、消化器に神経系が発達したのが起源かもしれません。その奇跡の産物が実は、今の地球を運命づけたといえます。神経細胞への進化こそが分岐点なのです。 神経細胞がよりそれ(人工的な産物を生み出すこと)を決定づけたという考え方もできるでしょう。 
 神経細胞は生物に「嗜好(好き)」という感覚を与えました。「より美味しいものを食べたい」「環境を整えて楽をしたい」「誰か人を支配したい」「お酒、たばこで気持ちよくなりたい」「恋愛をしたい、友情を築きたい」。これらは体の細胞の機能ではありません。心拍が速くなったり連動はしますが、「そうしたい」という欲求は神経細胞の産物です。例えば、あなたが昔の親友と久しぶりにあい居酒屋で盛り上がったとしましょう。二次会にはスナックを選択しました。そうした一夜は何物にも代えがたいものですが、その時にはあなたの体の「しんどい」という悲鳴はどこ吹く風となっているでしょう。そんなことは意識しません。飲みまくります。家に帰ったらトイレで嘔吐します。次の日には頭が痛くなります。それはいわば、体の細胞の遺伝子の集団的な破壊です。寿命を短くします。不健康になります。すなわち、不健康の源泉は、脳の嗜好にあるのです。しかし、この嗜好が現在のすべての産業、人間関係性の礎です。人は脳がある限り、万人がこの嗜好から逃れられません。それが時に苦悩になるのです。脳が無い生物はこのような社会関係性を構築しません。社会性があるアリにも脳があります。アリの動きをみていればわかります。その動きは餌を探すだけの一直線のものでは決してありませんが、明らかにブラウン運動のような分子運動とは異なります。これが現代を支配していますから、避けようのない現代社会において、地球の持続可能性を考えるとは、人の脳、もっといえば、その脳のこうしたいという欲、嗜好とどう調和しながら実現するかを考えることです。現代社会と自然との間の調律を創作することです。この健康ガイドラインレベル4の最も重要なテーマは、その調律をどのように構築するかを考えることです。これは人の健康と地球の持続可能性を両立させる世の中で最も重要な命題ですから、当然、その対象はレベル4となります。私自身が今、その問題と自分の心身を使って対峙しているわけです。その脳の嗜好は人の体を不健康にしますから、それを踏まえた上で人の健康を考えることは、すなわち、今述べたように持続可能性と強力な接点を持つのです。この健康ガイドラインを誰よりも誠実に強い思いを持って実施する私はすでに一歩先がより多様になる自然に導かれているといえます。山中先生の毎日のジョギングのその1歩はノーベル賞よりもずっと尊いのです。山中先生だけではなく、Ciraは名誉所長の影響もあってジョギング、運動する人が多いので、研究活動として非常に健全に回っている可能性がありますが、それでも研究自体がいくらでも時間を食う、搾取する活動なので、研究自体が健康問題と照らし合わせたときに労働と同様に決して全肯定されるものではありません。ヒトの心身全体でいえば、脳が不自然を駆動し、体が自然と接続しています。したがって、今までよりもそれぞれの人が体に耳を傾け、脳の嗜好を制御、抑制することこそが実は地球の持続可能性とつながるのです。それがネイチャーポジティブ(自然に向かう正軌道への回帰)です。
 現代社会を全て否定しているわけでは決してありません。今考えると考慮が足りない中でも人の汗に感謝しながら、それで生じた負の遺産を全世界の人の叡智でもって、正の遺産に変えることが一つの目的です。健康ガイドラインのレベル4は、こうした最もスケールが大きな視点を含めて考えた健康問題と自然、不自然とは対極にある人工にあふれた、それを前提で精緻に構成された世界的な産業構造とどのように折り合いをつけて、正への回帰を駆動していくかを頭を悩ませて考えていくことです。心身の健康を実現することは、現代人において最も根源的な問題です。それはレベル3までで真剣に考えます。レベル4は、それをすることは現代の世界産業構造と正面衝突にすることになる事実から、では、どのようにそうした向かい合うベクトルの中で、別次元の軸を入れて、これからの軌跡として正への回帰を現実的に、作り物の世界ではなく、私を含めそれを真剣に考える者が先導して、実現していくかを考えるものです。


<医療との調和>
  上述したように健康ガイドラインレベル4は主に健康ガイドラインレベル3までで述べる今までの生物の進化の軌跡に調和するという事を基軸にした心身の健康について、具体的な健康習慣というプロセスの提示を主軸において、徹底的に追究、追求しく中で生じる課題と具体的に向き合うものです。ガイドラインなので当然、読者が日々の生活習慣の中で実施できるようにしなければならない。現代社会において、生物多様性の喪失が問題視され、その回復の重要性が長く、広く謳われ、それは別の観点でみれば、社会全体の構造が生物の進化の軌跡から逸脱していることに他ならない。健康ガイドラインレベル3までで明示されたように心身の健康の本質を追究すればするほど、自動的に生物の進化の過程の上に乗り、定住生活以前の古来の生活に回帰する事に気づきます。これは理論的にも合理性があります。現代の社会産業構造はそうした古来の生活への回帰を元にした生活への回帰を促し、仮にそれが実現したとすると基板から崩壊し、この取り組み自体が社会産業構造と正面衝突する事になることは必然です。人々の心身の健康こそが最も大切な資産であり、その実現の為の変化が生じたときには、必ずジレンマが伴います。今まで生物は40億年の間、様々な環境変化を経験し、変化、適応してきました。そこで生じたジレンマは、一定の揺らぎの中で安定を実現する恒常性、動的平衡、多くの異なる種を共存させて変化に強い構造にする多様性、互いに足りないところを補償しあう共生、特定の種が環境全体に及ぼす結果に応じて構造全体の在り方を調整するフィードバックループ、時には絶滅という形で失敗しながらも必死に適応してきた適応拡散などで対峙してきました。こうしたジレンマの解決の時間軸は今の産業の変化と照らし合わせて考えると圧倒的に長期的でした。これを踏まえた上で、心身の健康を実現するという目的の健康ガイドラインと現代社会産業構造との根本的な対立というジレンマとの解消を考える必要性があります。健康ガイドラインは健康を扱うものなので、医療と関連性が深く、同時に現代の医療と真っ向から衝突する事になります。筆頭の著者である私の今までの様々な思いを一定含有させた時、本質的に対立する産業はほとんど全てといえますが、その中でも医療とのこの本質的な課題と向き合う事の重要性は最も高いと位置づけています。この健康ガイドラインレベル4で述べたようにエネルギーとは分布であり、比喩のように聞こえるかもしれないが、日本、国際社会を駆動するためには同様にエネルギーが必要であり、そのエネルギーの源泉が分布、もっと具体的にはその偏りであれば、様々なジレンマを抱えながらも、人々の心身が健康になるように変化を促していくためには、それを具現化させるためには、個人的な思いを含めて一定の偏りによるパワーが必要です。人の場合、そのパワーの源泉は感情であり、特別な感情は、その人のこだわりなどで定義されるアイデンティティー、イデオロギーの偏りによって生まれます。上述したジレンマは人々の不安を惹起する為、その不安を払拭するために対立構造を正直に明記し、具体的な指針でもってそのジレンマの解消に努めなければなりません。、その指針が上述した様に恒常性、多様性、共生、評価改善、失敗再起です。人が発達した脳がある事を考えると、共生のところに共感という概念も加わります。こうしたジレンマの解決の為の指針を多元的に定義しつつ、動かすためにはエネルギーが必要ですから、そのエネルギーの為には人々の感情を動かす必要があり、少なくとも一定の偏向が必要です。その偏向とは具体的には、一つとして選択と集中です。私はそれを明確に「医療」としています。ジレンマを解決するためには一つとして共生、共感が必要であり、その共感が一方で社会構造を動かす原動力となる感情を惹起させます。端的にいえば、健康ガイドラインは本質的に現代病が蔓延していることを前提にした医療構造とは対立しますが、それを提案する少なくとも「私」はあなた方、医療従事者を誰よりも大切に思っているという事を伝える事です。表面上の関係改善、共感の為の迎合だけではなく、一時的に対立したとしても明確に、正直に問題提起し、相手にとって長期的視点で見たときに良い事は何なのかを考え、駆逐するのではなく全体の発展を考える事が真の意味での共生、共感です。生物の絶滅という失敗を繰り返してきました。私も時々、お酒を飲みすぎて、感情に任せて稚拙な文章を書き、フィードバックして文章を書き直すこともそのプロセス自体が失敗ではなくて、意義があると思っています。冷静に淡々と文章を書いているだけでは社会を動かすためのパワーを得ることはできません。感情的なことだけではなく、共生、共感のためには具体的な中身が必要です。対立して縮小を余儀なくされる産業構造に対して、どう新たな産業構造を構築していくのか?その具体的な案を提示する必要があり、それが中身です。以下にその中身について記述します。
 健康ガイドラインレベル3で重要な提言を行いました。エリートランナーの走行フォームの評価、改善の為に骨格の動きを人工知能の推論を利用しながら非侵襲で靴の中まで分析するシステムの提案です。今は、人工知能の社会的流れがあり、具体的にデータセンターも各地に整備されつつあります。その中で人工知能をこれからの社会に利点があるように生かしたいと考えている人は多く、そのソリューションを提示する事の重要性は高いです。心身の健康を実現しながら、現代テクノロジーの一つの極致である人工知能を生かし、すなわち共生する事は最も重要なテーマです。この観点からこの段落で述べる案の重要性は少なくとも現状では一番高いです。さらには、健康ガイドラインレベル3で最も詳細に具体的に記述する運動の中の歩行、走行と直接的に関連することです。この具体案に対する偏りは非常に大きいです。映像に基づいて人々の歩行、走行のフォームを非侵襲で数字でもって分析できるようにすると映像は人がマニュアルで撮影することなくしても、衛星で自動的に撮影する技術がすでにあるため、人工知能に基づく分析システムと同期させれば、常時、人の歩行、走行フォームを分析できます。当然、プライバシーの問題があるので登録された人のみの分析になります。こうしたシステムは、人の正しい歩行、走行を実現するための医療の特別な産業(歩行走行科、歩行走行外来、歩行走行専門病院など)を生み出すことができます。それだけではなく、データの蓄積に伴い歩行、走行フォーム自体が病気の前兆を示すバイオマーカーになる可能性もあります。関節の疾患などは間違いなくリンクします。患者のフォームを理学療法士、医師が事前に分析して、来院したときにフォームの矯正を具体的に実行し、それが治療となります。その人が正しく歩行する、走行する事が間違いなく健康の実現と関係性をもつからです。それは医療が最終的に目指すべきところの一つです。歩行、走行のデータを個人が見れることによって、歩行走行の実施者の特別な価値をもたらします。その歩行、走行データは研究テーマ、靴/靴下/服の設計指針になります。歩行走行データを安全に監視(セキュリティー)、データの受け渡し,設備(衛星、人工知能システムなど)の運用管理の必要性があります。これらの需要は全て新たな産業の基盤となり、これらの精緻なつながりが経済エコシステムとなり、歩行、走行という心身の健康において現代産業と対立する最も大切な生活習慣との共生となります。
 もう一つの軸は、分析です。健康ガイドラインレベル3で明らかになるように、運動の特に歩行、走行で価値の高い情報が出せるのは筆頭著者自身が歩行、走行の介入を実際に行い、一定の結果を明確に分析できるからです。運動は運動能力という客観的な指標(例えば、距離時間など)で評価が可能だからです。一方でもう一つ大切な栄養は、健康ガイドラインで特別な偏りがあって、理論的にも大切である果物を筆頭著者が食べても、その結果、体の中の上体が具体的にどうなっているかの結果はわかりません。従って、重要な情報が出てこないということになります。その原因は分析能力の不足にあります。顕性疾患がある人だけではなく、健常者を含めたすべての人が安全に検査、分析する手法を徹底的に発展させることが、健康ガイドラインと医療との調和であり、その分析に伴う経済エコシステムを作ることが縮小した産業に対する埋め合わせです。より具体的にここで提案できる事としては、細胞外小胞分離による液体生検の分析です。人から採取した液体の中の物質と由来(どの細胞種にあったものか?など)を分析できるようになれば、血液や尿から体の中の状態の分析精度はかなり高くなります。それができる可能性があるのが、細胞外小胞分離です。当然、様々な困難性を伴いますが、これは健康ガイドラインと医療、産業との共生のためであり、実現を目指すための明確な価値、意義がある事です。もう一つはMRIガイド集束超音波装置の開発です。経頭蓋だけではありません。MRIと超音波装置の高性能化です。これらの測定は、原理的に身体への負荷が少ないので健常者に対する分析手法として優れます。これらの装置が組み合わせることも含めて高性能化すると、例えば脳の状態をより精細に分析する事ができるようになるので、頭脳主体で動く現代産業の価値観と高く調和します。生理学的な、臨床医療としての利点も当然あります。健康の状態がその人を傷つけることなく分析できるようになると、一気に健康ガイドラインの内容の質があがります。それは私の運動の分析を外挿すると間違いありません。
 現代医療、これからの医療の極致として、iPS細胞によって細胞の若さをリセットして原理的に若返らせるという事が考えられますが、そもそも人の寿命の上限がおおよそ120年というのはおそらく局所的ではなくて、体全体で決定され、しかも、遺伝子を含めた全体のシステムとして今までの生物の進化の軌跡が刻印された結果であるという推定もできます。この観点に立てば、臓器移植や細胞を入れ替えて若返らせるということは、今までの生物、類人猿、ヒト族の進化を理解して見直すことなくしては、非常に危険な結果をもたらす可能性があるという事です。細胞は数十億年前から始まっているので、単一細胞をとっても長い歴史が刻印された産物といえます。従って、原理的に扱いが非常に難しいです。一方で、例えば、歯は外側のエナメル質は物質的に決定されています。細胞のように動的ではないです。腸、肺の上皮組織のような回転の速いところを原理的に老人から子供のような若さにすることは生物学的に無理があるし、それを強引にしようとすると大きなリスクが想定されますが、物質的に決まっているところ、すなわち物質回転しない、あるいはそれが非常に長いところは、現代テクノロジーによる介入の余地が大きいです。例えば、歯は入れ替えることができます。私の前歯の一本もそうです。問題なく機能しています。それ以外にも眼がそうです。従って、iPS細胞の初めの臨床応用は眼から始まっています。骨もそうです。歯や眼の健康はガイドラインで定義するように栄養摂取と視覚に関わり健康において重要であり、それに関して考えられることは多くあります。例えば、歯にヒドロゲルから構成されるマウスピースのような材料を作り、表面のフッ素化やヒドロキシアパタイトの合成をより効率的に誘導できるかもしれません。走行、歩行に関わるところでいえば、その運動においてカギを握るアキレス腱に関していえば、踵近くの最も多くの病理がある部分に対して、体外で合成したⅠ型コラーゲン、エラスチンを配向特性を制御しながら注入して、治療、強化する事ができるかもしれません。アキレス腱も代謝活性がサテライト細胞で低く、代謝回転が長いからです。しかも、表皮からアプローチしやすいところにあります。健康と医療との調和を考える時に、現代テクノロジーが直接的に医療的な介入をして人の健康を促進させたいという需要は医療関係の研究者も含めて絶対的にある中で、ここで示せる一つの道筋として、まずは、代謝回転しない、代謝回転が非常に遅くて重要な組織(例えば、アキレス腱の根元)を特定して、体外で人工的な材料、最も言えば人工的な合成技術に依拠せず、iPS細胞技術なども含めてできるだけ生物の自然な材料、合成技術(それに近い技術)を使いながら、治療、機能強化を目指すという指針です。



 

 
;