2025年11月7日金曜日

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私の今の考えをはっきりさせます。感情的にならずに冷静に考えると私が東京大学に高い嫌悪感を持つ明確な理由は見当たりません。具体的に実生活に関わるところで、特に生存、生活に関わるところで何らかの不利益を受けたという事実は存在しません。私の活動自身は、既に確立された構造を強化するというよりも、より先進的なものなので、役割としては大学、研究所との整合性が高いです。日本の大学の構造、バランスを考えたときに、日本では東京大学が名実共に中心にあるという事実は変わりませんから、その構造に一定のコヒーレンシーを持ちながら活動する事は重要です。但し、私は大阪出身なので、個人的な都合(地理的要因以外に個人的な人に対する好みの傾向など)も当然あります。完全な公的というわけにはいきません。東京大学において繰り返し「安倍晋三」を連想させる名前をわからせるように伝えることの背景は直接のコミュニケーションがないのでわかりません(もう、こんなの気にしなくていい。)。この人間は実生活に関わるところで、特に生存、生活に関わるところで何らかの不利益を受けたという事実が非常に多くあるので、東京大学に嫌悪感を持つ原点はこの人間にある。私にあなた方にこの人間を否定しろという権限はなし、それを行使しようとする意思もない。なぜなら、あなた方の多くは特に生存、生活に関わるところで毎日のように繰り返しなんらかの不利益を得たという事がないと推定されるからです。私と状況が全く異なるという事です。物理学にはエネルギー保存則というのがあって、こうした私特異的な負のエネルギーは何かの伝達媒体に変換しない限り、消えません。その負のエネルギーをなくなるまで重力波のように日本社会に分散させることは、最悪の場合、武力行使を伴う内戦につながる可能性がある。だから、私は、自分の中に持ち続けたいと思っています。従って、許すことはない。但し、安倍が死んでから後の話ですが、能登半島地震は安倍一味によって私の自殺未遂を原因に何らかの可換な力によって人工的に生じさせた可能性が高い。これは私一人で済まされる問題ではない。私はあなた方との関係性はバランスに基づいて冷静に考えています。ちゃんと、対話していないからわからないけど、東京大学は首都の大学なので、私個人的な都合よりも日本全体の事を考えている。京都大学は私の能力を認め、私を大切にしてくれている。京都は、東京とは遠いから客観的に見えるよね。東京にいたら灯台もと暗しですからね。東京大学は実直で、真面目で、そういう意味において非常に伸びしろが大きいです。ただ、基本的に優等生なので、上の言うことに逆らえないというのがある。色々、見ていると振れるので、間違った方向に行かないようにしないといけない。日本トップの大学なので。そういう意味で心配です。東京大学に正せ!というのではなく、私自身が今よりもしっかりして、ちゃんと正しい方向に導いていかないといけない。私ももう少ししっかりしないといけないね。46歳で若いけどね。私が今、東京大学に言いたいこととしては、私は自分を一番信じて、自分自身が正しいと思う事に集中する。それを東大に決して押し付けない。でも、もっと抽象的なところで、東京大学のあなた方は、自分たちの立ち位置を考える十分な能力、知識、知能、経験があるよね。自分を信じて、自分たちが正しいと思う方向に向かってほしい。そんな状況で変わったらダメだよ。私が自分の考えを押し付けるというよりも、そこだね。大学として、きちんとした指針に従ってほしい(東京大学ビジョン2020はあるけど、2025はないですね?2030は?)。私は歩行を信じる。それが一つ。京都大学は何ですか?私のダメなところを話しましょう。私は、自分の承認欲求にかまけて(それに気にとられて、他のことを疎かにする)色んな事を細かく話過ぎ。それこそ、歩行、走行にしてもそう。人間は、自由度、余白があるので、その余白を私が埋めようとしてもダメ。それぞれの人が自分で苦労して、工夫して埋めないと。物理にしてもあるんだよ。もっと考えたいことが。それをするとね、よくないね。一体何のためにそれをするの?人に健康になってほしいから。だったら、突き放してでも、その人の自主性を重んじるべき。日本は実質的に人口密度が多くて特に東京はそう。だから、周りが気になると思う。例えば、男性にしても、女性にしても、私の年齢でもすごく服装に気を遣うよね。東京の人は。周りを気にして判断するというのも大切だけど、東大はトップなんだから、日本を引っ張っていく立場なんだから、主体的に動いてほしい。政府の顔色を窺ってもダメだよ。いいんだよ。「安倍」って書いても。私ももっとしっかりしないと!東京大学としての自由度、余白があるので、その余白をあなたたちがよく考えて埋めてほしい。私がそれについてとやかく言う筋合いはない。京都大学も同じですよ。私の事はあまり気にしなくていいから。これからは。あべという名前を気にしなくていいよ。私の中でどうか?という問題だから。あなた達には関係ない。あなたたちの気持ちはすでに十分伝わっているから。あなたたちの自由度、余白でもって、何が正しいか問い続けてほしい。私もそうする。日本にはこれが必要じゃないかな?まずは、私が実践する。

今日は、何か話さないといけない気がするのですが、自分の気持ちのバランスも考えると、適切な言葉が見当たりません。私は自分自身を一番、信用しています。誰よりも。その信用は裏切りません。何をどう見ても、私が世界で一番素晴らしいと思う。私の中でね。そうだね。今日はこれが一番しっくりくる。いいね。何かが大きく崩れる時、暴走が止められない時に起こる事は、中心となる人物のまずは健康状態が悪い状態にある。特にメンタルが。もう一つは自分に対する信頼が失われているときです。健康状態が非常に良くて、かつ、自分に対する絶対の信頼がある場合において、まず、少なくとも「長時間にわたる」暴走は起きない。もう少し、説明します。今の私の気持ちとして、あなた方の不安を払拭させたいというのがある。それに対して「私は極めて健全で、大丈夫です。今日も歩行を確実に実施します。」もう一つとして、「周りのあらゆる人って、本当に私にとって信頼に値するのかな?」というのがある。私は基本的には周りの長所を見て、それを理屈立てて褒めることをします。それに対して褒めすぎじゃないかな?と思う部分もある。毎日、一つ一つの私の選択を誰よりも私がみている。その基準で人を判断するとほとんどの場合、落胆するんじゃないかな?と思える。それくらい私が日々、何をしているかというのが極めて健全ってことです。頭で考える事も含めて。なぜ、私が石破さん(先生)が一番大切、とか、東京大学病院のスタッフ全員の事を家族と同様なくらい大切に思っているよっていうのか?私も人間だから、「よい社会的つながり(superb social bond)」が欲しいと本心で思っている。私の日常生活に人はいませんから。一人です。海外だと、自分の配偶者に対して「I love you.」と定期的にいうわけですよね。私もあなた方に対して「ずっとあなた方の長所を見ているよ(うん、確かに私は人、団体の長所を見るね)」と人情の表現をするわけですね。しかし、それで大切な事を見落とす部分もある。それが自分自身です。「ヒト(他人)じゃなく、まずは自分。」今年に入って私自身の如実な健康状態の改善は、今までよりも自分自身を実質的に大切にするようになったからです。それが明らかに功を奏している。今日の気持ちとして「もっと自分を見ていい。今までよりももっと自分を信じていい。自分を大切にすべき。」と思う。翔平だの、イチローさんだの、いうというのは偏に寂しいからでしょうね。今は、これからもずっと健康状態がいいので十分に耐えらえる寂しさですけどね。本当に、それぞれの人が自分の心身の健康を軸として実質的に自分を大切にすると、社会全体が今よりもずっと良くなる気がします。「ヒトよりも自分を大切にするんだから逆じゃないの」、いや、多分、そうじゃない。

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