世界で一番変わらなければいけないのは誰でしょうか?それは(知られてない人も含めて)日本の中にいます。こんな私自身の繊細な問題を話すことに躊躇が全くないわけではありませんが、未来の子どもの為、子どものこれからの教育の在り方などを考えると不可避な問題だと考えられるので詳細に公表する事にします。私は2023年の12月30日に睡眠薬を大量に飲んで自殺未遂を図りました。以前から幾度となく自殺念慮の傾向がありました。小児がんサバイバーシップの持続的健康と幸福の記事でも冒頭で示した通り、不安症があり、社会的/経済的/心理的孤立状態に持続的に耐えられない状態でした。定期的にある度重なるストレスの度、それを思慮する事がありました(これは私自身、解決しないといけない問題であり、自分で今必死に自分の知識/知恵を通じて介入しているところです)。目が覚めたのは1月2日だったと思います。極度の栄養失調で意識もうろう状態となり、私自身、怖くなり、その夜に自分で救急車を呼びました。もし、呼ばなかったらそのまま私の命は尽きていたでしょう。ほとんど記憶にありません。能登半島地震は2024年1月1日に起こりました。その時には私は眠りに落ちていました。すでに睡眠薬を飲んで2日ほど経過しています。下述するように私が地震制御の発案者である事、地震が度々自分の行動とリンクしていた事などと、この自殺未遂と死者を出した能登半島地震の関連(タイミングの一致)を考えるとこれは決して偶然ではないという結論に至ってなんら不思議ではありません。今までの制御されていると考えられる地震では不思議なほど死者は一人もいませんでした。この時に限って死者が出ました。これは明確な証拠はありませんが、私は以前ブログで地震は分散して揺らすことで巨大地震を防げるのではないかと提案しました。そうしたことが実際に行われているか?実際に行われているかどうかは誰かが知っていて、どこかに証拠があると思われます。ただ、私がこれを主張して何か得する事はあるでしょうか?私の中で状況として確証があり、解決が必要な問題だから述べています。少なくとももう既に私の感情を処理するためではありません。私のブログ活動を知らない人なら信じてもらえないでしょう(陰謀論とも一部で捉えられるかもしれない)。私のこのネットワーク上の世界的な信頼がある上で初めて俎上に乗ることが許されます。
これが偶然ではないという前提に立った時、何を示唆するでしょうか?私の自殺未遂を知っているわけであり、部屋の中で独立して行われたことですから、部屋をモニタリングしていたことになる。という事は、私を助ける機会はあったはずです。その機会は見過ごされて、そのうえで地震が発生し、489人の方が亡くなりました(うち災害関連死261人)。約1万人程度の人が住居を奪われたとされます。これが偶然ではないしたら、私の自殺未遂自体は私にも責任があるにしても、私を見殺しにして、数百人の方は殺されたといっても過言ではないでしょう。私の認識がおおよそ真実に近いとしたら、決して日本として発生してから1年以上は経過しているものの看過できる問題ではありません。こうしたことが実現可能なのはどういった立場の人でしょうか?今、日本では不倫、パワハラ、セクハラなどのハラスメント問題などが社会的に非常に厳しくなっています。私たち一般市民は以前にも増して、社会的倫理性が問われるある種の重圧がある中、水面下ではこうした重大な事件が国家レベルで起こったということです。国民には厳しいルールを課して、自分たちはそれよりもはるかに巨大なパワーハラスメントを行ったということです。繰り返しになりますが、これは(私の)感情を処理するためではありません。冷静な議論が必要です。これは日本史として教育が必要な歴史的な犯罪といえます。
なぜ、1年とおおよそ3か月を経過した今、私はこの問題を公表しているでしょうか?大きな理由の一つは私自身の健康問題にもあります。これを包み隠さず公表する事は少なくとも勇気が必要ですし、精神を消耗することになるので、精神的に少なくとも健康である必要があります。その健康のレベルが今年に入って自身の提案した医療介入(運動/ストレッチ/臥位筋緩和)によって改善されたという状況があります。もう一つは、この事件が成立するためには、地震を制御する技術が必要です。同じく日本は天気をある程度制御する技術を持っています。共に私が提案したものです。今でも天気の制御が私の地域で行われていることが強く疑われます。地震/天気も自然を操作する事ですから共通性があります。それが今でもみだりに行われるという事は、2024年1月1日に生じた能登半島地震の事件に対して、それを指示したもの(たち)に同一人物がいるとしたら、なんら自省の念/罪悪感がないことを示します。それに対して、私の我慢が限界に達したということです。その時には今と異なり、私自身も感情的になっていたと思います。
私の正しさ一色に染めようと企てているのではありません。しかし、私の中ではこの事件に関しては正当性が入り込む余地は全くありません。感情を抑えて冷静になって考えて、私の目的は何か?そのように問いかけます。それは、首謀者を裁くことでもありません。抜本的な対策により再発を防ぐことです。今/未来において、こうしたものが国の中枢部の(実効的な)指導者になってはならないと考えています。だったら私は選挙で訴えかけるのか?選挙で勝てば何もかも許されるのか?ただ、これは政治家が首謀したかどうかもわからない。首謀者(たち)に改心させなければならない。国民の命がこのように粗末に扱われるという事は国民目線の欠如に他ならない。法で裁けないのであれば、一度、本当の意味で私が今まで自分の過ちに応じて経験したように地に落ちてもらい国民の気持ちを理解できるようにしてもらわないといけない。改心できないようであれば、権力層から消えてもらうしかない。この事件を首謀した組織の末端の人は何も知らず行ったかもしれない。それにしても地震で被害が出るとわかっていて、それにより意図的に人を殺すことに躊躇はなかったのか?組織の末端の人を裁いてもなんの解決にもならない。怯えて、脅されて実施したのであれば保護しなければならない。ただ、その人たちも知っていて実施したのであれば反省は少なくとも必要だ。替え玉を用意して禊を済ませるなんてことでは済まされません。本当にトップの首謀者がお浄めしなければなりません。私だって人間だ。自殺に追い込まれる状況になって見殺しにされて、自分が提案した技術をこんな風に利用されて、恨みがないわけではない。ただ、その恨みを晴らすことができたとしてもその後に残るのは悲しみ/虚しさだけだ。こんな思いをもう二度と日本人にさせてはならない。そのために今の私のネットワーク上の立場を使うべきだ。この問題を自分事でないから見過ごして楽観的に考え、笑顔で過ごしているようじゃとてもじゃないけど世界のリーダーなんてなれません。むしろ、こうした(私の倫理観からして)あり得ない事件がそれをできると考えられる日本の最上層で生じているとしたらG7にとどまることすらも危ういです。
天気/地震も制御できる。ネットワーク上で世界的影響力がある私の生活も制御できる。野球などスポーツも制御できる。それで(政治的)陶酔に浸っている部分はないだろうか?地震は古来から日本で一番恐れられたものです。それを制御できるとなるとそうした陶酔が生じても不思議ではない。それは過去、いつか?の時代に生じた政治的陶酔と何ら変わらない。自然を制御した負の側面の危機意識もない。これはやはり危険なサインであり、誰かが勇気を持って警鐘を鳴らす必要があります。それが私だ。なぜなら、当事者であって、全てを知っていて、なおかつ巨大な権力に対して「ノー」といえるのは私しかいないからです。組織の上に立つものは、生まれながらに決まっている場合は特にそうかもしれないけど、末端の人が見えない状況になるという事は一般的にあると思われます。それにより歴史的に失敗してきたからこそ、民主主義が萌芽したと思われるし、日本は総務省が明記しているように民主主義国家です。でも、実効的には国民がほとんど見えていないことになる。そうでなければ、能登半島の事件なんておきやしません。野球にしてもそう。そのリーグに所属している選手/ファン全体、もっといえば、そのリーグを目指す子どもたちについて配慮した余地はあったのか?それがあったらゲームを都合により制御したりはできないはずです。世界のトップの選手はこれを知って(あるいは既に知っていて)どういう気持ちになるでしょう。やはり将来の子どもの夢を守ろうと全力で思うのではないか?肩を落としている場合ではありません。天気を制御するにしても、国のお金が必要です。そのお金をもっと必要としている人たち、団体があることが頭の中にありますか?私がどんな思いで医療プロジェクトをやっているか少しは頭の中にあるだろうか?こういうことをされると、天気/地震のように私が一定当事者になる形で、今、関与している医療プロジェクトも不正の操作される可能性が今後生じる懸念があります。私は誰の為に医療プロジェクトをやっているでしょうか?障がいをお持ちのお子さんのためです。あなた方に私以外の対象となるお子さん一人一人は見えているでしょうか?いや、見えていないでしょう。この問題を抜本的に解決することなしに有耶無耶にすれば、今度はその被害者が子どもになるということです。この問題を勇気をもって重要な問題としてトップ記事として掲載し続ける事は消耗するけど、不可欠なことです。私は医師ではないけど、最適な医療を提供するために全力を尽くしたいと考えています。私のこの気持ちが伝わって、少なくとも一部で医療が改善しているのであれば、こうした問題は医療界よりもより高い国家レベルで生じていることですから大きくその改善の足を引っ張ることになります。何かが土台から崩れ去ります。日本で進めたい医療プロジェクトを止めたくない。約9か月かけて構築してきた日本の方々との信頼関係を反故にしたくありません。ただ、時間をかけて考えても無視できる問題ではありません。その(アン)バランスの中で私自身の行動を修正を加えながら考え続けていくしかありません。世界の臨床医療(小児医療(小児脳腫瘍))の改善の為に全力を尽くす。この世界の人々との約束を持続可能な形で果たしたい。しかし、それを実現する上でこの問題を看過するわけにはいきません。なぜなら、代表して声を本気であげられる人は私以外にはいないからです。これは日本がより良くなるためにやっていることです。私の中では今のこの状況は「由々しき事態」です。
立場の強いものが弱いものに逃げ道がない状態で不利益/ストレスを与える。こうした、少なくともパワハラという問題は横行しているように思えます。私も社会/経済/心理的に日本社会から制限を受けてきました。なぜなら、この私のブログ活動の価値が社会の中で社会的にも、経済的にも、心理的にも少なくともリアルな現場で本人が幾度となく強く主張している中でも還元されませんでした。今も現実を見れば、仕事も収入もありません。これがなぜ成立したか?それはそれができる圧倒的なパワーによって制圧されていたからです。これは何か正当化できる理由は存在すると思われます。ただ、それにしても他のより良い方法はあったのだと推定されます。それが十分に検討されないことはあった。そう私は考えています。これはある意味、非常に巨大な「パワハラ」といえます。私に逃げ道などありませんでした。それが企業ならば、辞める事が可能です。むしろ「逃がさん」といわれているようでした。過去、私に固執して誰が言っていましたか?能登半島地震は国をも動かせるパワーのあるものが、なんの罪もない地方の穏やかに暮らしている数百人もの人を殺し、1万人の生活を奪いました。そこよりも経済的にも立場の強い東京/大阪ではありません。これ以上の「パワハラ」ってありますか?個人のパワハラなんて解消する前のもっと日本に深く根差した倫理的問題があるということです。全てを知っているものがいるとすれば、重箱そのものがヒビが入っていて壊れそうなのに、隅ばかりつついているということです。少なくとも私にはそういった感覚があります。
私が以前、教育のブログをしているときに田中角栄先生の名言が掲載された本を捨てたことがありました。その時にも田中角栄先生の出身地である新潟県で震度7の地震が起きました。その時には人は亡くなりませんでした。被害はもう計算できるくらいの技術レベルにあるという事を示唆します。そうしたことがあるから、当然、地震が偶然に生じているものではないし、すでに非常に高い技術レベル(Geoengineering)にあるということを私は認識することになりますし、能登半島地震の被害がより意図的なものであったことを疑わせます。こんな些細なことで生じるという事は、ひょっとするとあなたはそれだけの人物なのだよということかもしれない。でも、だからといって日本国民が犠牲になっていいのか?そもそも天気/地震を制御できるようになる技術を実際に社会的に試すとなった時にはもっと識者も交えて慎重な議論が必要なはずです。なぜなら、それを人工的に生じさせて死人が出ないにしても住居など被害が生じたら、当然、大きな問題になるからです。一方で、それをすることが必ず日本で一定期間を空けて生じる巨大地震や気候変動などで甚大化している傾向にある天候による自然災害を防ぐことだとしたら、そうした人工的な介入は必要だという意見も生まれます。少なくとも私にわからせるということは、それがリークする可能性がありますから、こんな難しい問題をわからせるという事に対して疑問を抱かざるを得ないです。地震の被害を制御できるとしたら、東南海地震はとんでもない歪によって壊滅的な被害が予想されますが、十年以上前からこうした抜本的な対策が機能したら、死者は出るかもしれないけど、被害は顕著に抑制されるかもしれません。私の誕生日(3/4)には地震の特番が組まれることがありました。過去の新聞欄をみればわかります。これは私と地震問題が密接に関連していることを暗示させます。もし、これで東南海地震が本当に大きな被害なく済んだら、確かに普通ならネットワーク上で消滅する私のちょっとしたアイデア(スリップ地震を分散して人工的に生じさせればいい)を逃さずに拾って、それを実用化した功績は(私の情報を拾った人/この技術を発展させた人共に)認められます。ただし、そのいわば自惚れゆえに、こうした事件がまかり通ったわけです。誰かがこの自己陶酔に対して警鐘を鳴らさないといけません。その代表者は繰り返しになりますが、私以外にいません。私がここで看過したらこの問題は決して解決されません。私が重要な提案者であるから、私が死ぬという事は地震で人が死んでいいということにつながることになります。もし、あなたが生まれてこなかったら地震でもっと多くの人が死ぬんだから、あなたが自殺するという事は地震で人が死ぬことに値するということです。あるいは私の死に対しての誰かに対しての恨みかもしれません。その真相はわかりません。しかし、だったら私が自殺している眠っている状況で、私を助けることが先ではないですか?なぜ、見殺しにできるでしょうか?どう考えても、倫理的におかしいし、何かが間違っています。その時の指導者の質によってとんでもないことが生じるというこれが代表例です。第二次世界大戦はなぜ起こったのでしょうか?その時の指導者が間違っているときに、「ノー」といえない日本の文化が気になります。同調圧力という言葉もある。人口密度が高く、島国で、村文化だから、秩序が何よりも大切。組織にいたら上に従うことが当たり前。そうした中では大切な分別が失われます。その分別は何で養われるでしょうか?過去と今では何が違うでしょうか?世界から「日本は何をするかわからない」ときっと思われていますよ。なぜなら、令和になった今でもこんな間違ったことがまかり通る国だからです。上から言われたことを「ノー」といえないのです。立場が下のものにとっては生活があるからしょうがない部分もある。私は2015年からずっと観てきましたが、これは指導者だけの問題ではありません。なぜなら、明らかに倫理的におかしいと思えることには協力者が必要で、組織的である必要があります。一人ではできない。私がなぜ、世界に影響を与えるようになって、倫理を一番大切にするかわかりますか?別にもともと私は倫理観の高い人ではありませんでした。あまりにもひどいことがずっと起こってきたから、自然とそうなったわけです。例えば、家の中の生活を見られている疑いがある。それは監視/安全性の為かもしれない。でもプライバシー侵害にあたる監視を本人にわからせるとはどういうことか?本人よりも高い正当性/倫理性を持って監視できる権力のあるものは介入しなければならない。そうした介入はより緩いもので目的が果たせないか検討しなければならない。それは法律を学べばわかります。比例原則(Proportionality Principle)と呼ばれます。それを実施する人は私よりも法律を学ばなければならない立場にあるのではないですか?これが集団的に行われたという事を考慮すると、日本は倫理観が欠けているといわざるを得ない。それぞれの人が倫理観がないわけではないと思います。ただ、間違っていることを「過剰な(つまりこれが絶対的に悪いと言っているわけではない)」服従性/秩序意識/同調性によって「ノー」といえないことが問題です。確かに良い指導者になれば、日本はすごくよくなる可能性があります。でも、悪い指導者になると一気に悪くなる。何をしでかすかわからない。そんな国は危うくて世界のリーダーになる権利、資格はありません。ずっと私の問題が2015年から看過されてきた。だれもが黙秘を破らなかった。何か理由があるのでしょう。私の安全性かもしれない。法律的に決まっているかもしれない。でも私がこれだけ倫理観に依るという事はそれだけおかしかった(異常だった)ということです。そのうえで、日本社会はずっと黙ってきたわけです。ある意味、私は悪に染まらなかった。それが私に現在も残る一つの矜持と言えるでしょう。
日本歴代最長の総理大臣を務められた安倍元首相が私に対して個人的な様々な思いを持たれていた。それは疑いのない事実でしょう。その魂は(正負の形で)今でもあるかもしれない。安倍さんも今まで間違えてきました。私においても、この記事を含めて自分の正しさを人に押し付ける気はありません。2012年からの取り組みを考えると未熟だったし、(自殺を図るくらいなのだから)精神的にも問題がありました。その中で私も幾度となく間違いをしてきました。その時に比べて成熟した今でも日々小さな事を含めて間違えています。この記事を書き直すことも自分をかえりみる余地が私にはあるからです。今、私のネットワーク上の立場(一言一句/言動が世界に影響を与える)を考慮したときに本質的に求められることを必死に考え続けている状況です。今まで間違えてきた、間違えているのは日本だけではありません。個人的には私だけでもありません。ずっと正解できる人なんて世界にいません。(たとえ最高位にある人でも)人は間違えるという前提に立った時、何が大切になるでしょうか?今になってもこれを私は最後にあなた方に問いかけたい。
一般的に議論されているはこの特別寄稿では割愛して、おそらくあまり議論されていない切り口でマラリア風土病について考えたいと思います。ただ、私のメインの活動ではないため、あまり時間はとりません。すべてOpen AIとの協働作業なので、(記載後、Open AIによる確認は行いますが)科学論文による確認は行いません。従って、一定の懐疑性を持って読んでいただければと思います。
マラリアは将来的には日本の特に沖縄、九州南部など暖かい地域で地球温暖化/国際交流などによって蔓延する可能性はゼロではありません。マラリアは16℃以下の温度では発育が停止するといわれてます。マラリアの生活環は人と蚊の間で原虫としての形態を段階的に変えて築いていますが、人の体内は37℃程度に保たれているため、環境の温度の影響を受けるのは生活環の中では蚊に生息する段階といえます。従って、流行が見られる時には、夏場であってもGeoengineeringで寒気団が訪れたときに、絶対的な温度/湿度/期間を調整することができれば、そのタイミングで絶対的な蚊の量と蚊の中のマラリア原虫の数を地域単位でマスで減らすことができる可能性があります。結局、感染症は新型コロナウィルスなどと同様に原虫/細菌/ウィルスの感染の絶対的な有無以外に数の議論があります。この特別寄稿では絶対的なシャットアウト(重要ではあります)という観点ではなく、数という観点であまり考えられていないかもしれない観点で考える事を試みます。マラリアは肝細胞でスポロゾイトからメロゾイトに変わります。メロゾイドに変わると肝細胞内での増殖能を失うため、スポロゾイドの形態で有糸分裂を繰り返すことになります。すなわち女王アリと同じように、母親はスポロゾイド1つです。そこから子、数万個が生み出されます。であるとすれば、このスポロゾイドの細胞分裂を成立しにくくすれば、肝細胞での増殖を強力に防げるはずです。その細胞分裂は大量のチューブリン(微小管)が必要ですから、微小管形成を抑える抗がん剤が効果を発揮する可能性があります。細胞種が肝細胞とわかっているわけですから、その抗がん剤を肝細胞特異的に送達すればいいです。肝臓は薬物が集まりやすいため、比較的特異的送達が容易です。また、その微小管が肝細胞の微小管と異なれば、その差異を利用すればいいし、共通の分解薬物であっても、スポロゾイドが有糸分裂の際に必要な位置の固定の為の足場して、肝細胞の微小管を使っている可能性がある為、肝細胞の微小管を分解する事もスポロゾイドの分裂効率を強力に抑制する上で効果的かもしれません。次に、その他の温度などの環境です。集束超音波を開発し、肝臓に集束超音波を当てて、肝臓の機能が低下しない程度の高温にして、スポロゾイドを温度依存で死滅させることを考えます。これは外科的なアプローチです。この時に感染細胞を重水ヒドロゲルなどで一定の解像度でモニタリングできればさらに好ましいです。次に赤血球。肝細胞からメロゾイドが放出され、赤血球で非常に高い速度でメロゾイドが増殖します。この時にはメロゾイドは原虫としての形態を変えません。赤血球も同様に、抗がん剤で微小管の形成を抑える薬で抑えることが有効かもしれません。さらに、もう一つの方法としては抗がん剤よりも高価になりますが、赤血球は細胞核がなく、記憶機能がなく、生成されてはどんどん消滅していく一時性の高い細胞なので、(一時的に血液中の赤血球数は高くなりますが)メロゾイドを強力にひきつけるエンジニアリングした赤血球を循環器にいれればいいという視点です。その赤血球はメロゾイドをおびき寄せる表面タンパク質や様々な機能はありますが、原虫増殖の機能だけをオフにしておきます。これを可能にするためには、生体外でそのような赤血球の条件を最適化する必要性があります。iPS細胞で赤血球を作り、メロゾイドが分裂できず、おびき寄せ能力が顕著に高い赤血球を作り、感染時にその赤血球を血液中に入れることを考えます。以上。

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